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Black Lives Matter.

このことについて、これまであまりSNS等で発信してこなかった。
できなかった、という方が正直かもしれない。

家にTVがなく、ニュースに疎くなりがちな私だが、この件については目にするのが早かった。アメリカに住んでいたときの友達が、SNSにいち早く、たくさん、投稿していたからだった。

最初は、「またか…」と思った。
またそんなことが起きてしまったのか、まだそんなことをやっているのか、と。

黒人差別については、アメリカの学校の授業でたくさん習ったし、Martin Luther King Dayをみんなで祝福したりもした。
そうした場では「差別はなくなった」と言っているのに、実際にはいろんな場面で根深く残っている現実も目の当たりにしてきた。

私は常に、「私は黄色人種だから」と、この問題に対して一本線を引いていた。
黄色人種だって、白人から差別された歴史がある一方で、アパルトヘイトをはじめ、黒人より上位に立って見下していた過去もある。
日本人も、どこかの国でひどい扱いを受けた歴史もあれば、特定の民族をひどく傷つけた歴史もある。

いついかなる時でも、肌の色によって、生まれによって、性別によって優劣をつけるようなことがあってはならないと、それだけは確かに、深く、しっかりと、胸にも頭に刻み込まれていた…つもりだった。

George Floydさんが亡くなってから1週間ほどが経ったころ、友人たちの毎日の積極的な投稿や、スポーツ選手やアーティストなどにも広がる活動に、
私も何か行動しなければ、と思い、インスタのストーリーに少しだけ想いを投稿した。

「この時代に差別なんてありえない、すぐ変えるべき」という日本人のツイートを見ると、分からないけれど、もちろん正しいのだけれど、アメリカにおける黒人差別の問題の根深さを知らずに発言しているんじゃないかと思ったり、
「この状況で黙ってる白人は、差別に同調しているのと同じだ」というアメリカ人の友達の投稿を見ると、やっぱり黄色人種は当事者ではないと感じてしまったり、
「アメリカで黒人として生きていくのがどういうことか分かるか?」という問いかけには、そもそも”アメリカ”というものに対してよそ者な私にその実態は分からないよなと思ってしまったり、
いろんな感情があって、どうも下手なことは言いたくなくて、ただただこの問題を気にかけていると、私がお世話になった、大好きなアメリカが、より良い方向へ変わることを願っていると、そう言うことしかできなかった。

それ以降も、世界の動きは活発化した。人々の発信はあふれた。

私は「知らなければ!」と、積極的に知ろうとした。

信じられないような現実に胸を痛めたり、
これは本当にあってはならないことだと涙を流したり、
まさに歴史を動かそうとしている友人たちに拍手を送ったりした。

しかし、次第に、苦しくなった。
ずっと胸の内にあったわだかまりが、少しずつ大きくなって、とうとう関連の投稿を見るのが苦痛になった。
そして気づいた。

罪悪感

罪悪感なる感情が、私の中にあったのだ。

街を一人で歩いているとき、黒人が歩いてきたら白人のときよりも警戒する。

もちろん、差別したことはない。それは断言できる。
しかし、黒人に対する偏見がなかったかと言われると、きっとあった…

アジア人。つたない英語。
私は基本的に、びくびくどきどき、常に防衛意識というか、気を張って過ごしていた。店員さんの言葉が聞き取れず、何度も聞き返していやな顔をされることは日常茶飯事だったし、言いたいことが伝わらなくてもどかしかったり諦めたりすることもよくあった。
とにかく馴染むこと、目立たないことを意識して、アメリカ社会に溶け込もうとした結果、随所に埋もれている偏見にも染まってしまったのかもしれない。
単純に、テレビやラジオの報道の偏りから影響を受けてしまったのかもしれない。
また、文化として、黒人特有のノリがあったり言葉遣いがあったりするのは事実で、それが時に乱暴に聞こえたり、荒っぽく思えたりすることもあると思う(あくまで個人的な意見です)。
それは、関西人が関西弁をしゃべるようなもので、何も問題でも、無理に否定(全員一緒だと主張)するべきものでもない。
ただ、一部だけを切り取って、あるいは誤解を招くような形で誇張して取り上げることで、偏った意見や見方が醸成されていく傾向は確実にある。

差別の恐ろしさというのは、そこにあると思う。
知らず知らずのうちに…、頭では分かっていても…、
歴史的・文化的背景を持ち、人々の意識の中に顕在的・潜在的に埋め込まれてしまっているもの。

よく、「本当の意味で差別をなくすためには、人々の意識を変えなければならない」と言うが、これは本当にそうで、しかし、容易なことではない。
この言葉と事実を重く受け止め、そのうえで本当に、実際に、変えていく必要がある。

一度ネットにアップしたものは完全には消せない、といわれる中で、この文章をあげるかどうかはすごく悩んだ。
誰かを傷つけてしまうかもしれないし、信頼を失ってしまうかもしれない。
ただ、もしも、私がこの文章をあげることで、誰かがこの問題について考えるきっかけになるのなら、、
そんな願いを込めて、投稿を決めました。

長くなりましたが、私がここで伝えたかったことは、
・アメリカにおける黒人差別問題の根深さ、
・差別というものの真の恐ろしさ、そして
・この問題について、知り、考え、議論することの大切さ、です。

今回、自分の中に偏見の意識があると気が付いたことは正直ショックでした。しかし、認識できたことでもう一度、この問題について知ろう、知らなければ!と思うことができました。

友人が活動をして新聞に取材されていたり、通っていた学区で大規模な抗議デモが行われている様子がストーリーにあがっていたりするのは、なかなかに衝撃的です。あの時一緒に過ごした彼らは、同じチームでプレイした彼女たちは、今まさに歴史を動かす渦中にいるのだと、よりよい社会のために闘っているのだと痛感します。
これは、海の向こうの、他人事ではありません。

みんなでアメリカを、世界を、意識を、変えていきましょう。

読んでくださってありがとうございました。
もしも不快な思いをさせてしまっていたらごめんなさい。

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写真はいつかアメリカで見た花火。

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