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北海道縦断歩き旅 20日目 「オロロンラインと廃墟」留萌~

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朝早く起きて荷物を整理する。

昨日の雨で何もかも生乾きのままだった。

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キャリーバッグのタイヤを洗い泥を落とす。

異音が鳴り続け、だんだんタイヤの回転が重く感じていたので、車輪の軸まで洗う。油を持っていないのが惜しい。

もともと泊まり込みの仕事の為に5年以上も使ったものを、今回の旅で500km以上引き続け、まだ使えるので丈夫なほうだと思う。

持ち手の写真は、輪ゴムの下に厚田村で拾った金具が入っている。

あの後も歩きながら金具を探してみたが、見つからず。

本当に奇跡的に代わりの金具が見つかったんだと思った。


ホテルから留萌川に向かって歩くと、

晴れているし、道幅は広く、車は少なく、快適で一日の出だしとして好調と思えた。

留萌川の橋を渡って国道232オロロンラインと合流した途端。

歩道はなくなり道は狭く、交通量は増す。

そして、急に土砂降りになり、風も強く、トラックが弾く雨にあたり、

数分でびしょびしょに濡れた。


急激に降った雨は20分ほどですぐ止んだが、風が強いのもあって凍えるほど体が冷えてしまった。

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わりとすぐに歩道が復活して、オロロンラインらしい沿岸沿いの真っすぐの道が続く。


予想以上に交通量が多い。この日は土曜日というのもあるが、この先も絶えず車は通り続けた。

トラック、バイク、キャンピングカー。

自転車も10分に一回は見かけたと思う。

ほとんどが観光客なので、バイクや自転車に手を振り通しだった。

バイク通しの挨拶だと思うのだが、自転車はする人としない人が半々くらい。

バイクの人は、手を振る人がほとんどだが、歩行者の自分には親指立ててくれる人も結構いた。

この日だけでも100回以上手を振って貰ったと思う。


バイクの男女比は自分が見た感じでは、

3~5%くらいで女性を見かけた気がする。

自転車は夫婦で漕いでいるのをみかけ、

女性の自転車一人旅はほぼ0人。(宗谷岬で外国人女性が一人)


軽自動車が停車し、「どこまで行くの?乗せていこうか?」と親切に声をかけてくれる人もいた。


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廃墟(廃屋)をいくつも見かける。

今までの道でも多かったがオロロンラインはポツンとある事が多くて目立った。

建てた頃はどんなだったんだろう。

住んでいた頃はどんなだったんだろう。

営業していた頃はどんなだったんだろう。

色々、想像してしまう。


小平蘂川を渡る。

また真っすぐのオロロンライン。

歩道が無くなる。

それだけで疲れが変わってくる。


聴きなれない小鳥の鳴き声が聞こえる。

ススキの穂が生い茂っていて、トンボが大量に飛び回っていて。

秋のような景色が広がる。(当時8月初旬)

覚悟していたが、休むところも無くひたすら真っすぐ歩く。

この時は色々準備していたが、隠れるところも無く交通量が多いためトイレが心配だった。

わりと大きな道の駅に着き休憩。

土曜日の為か混雑していた。

いまいち食欲も少なく、なにを食べていいか分からず、

チャーシュー麺を食べる。

食欲がなくてもラーメンは食べやすいが、

スープがしょっぱく、肝心のチャーシュウが古いのか不味くて硬い。

たんぱく質をとっておきたかったので不味いが詰め込む。

口直しに他になにか食べたい気持ちもあったが混雑していて煩わしくなり、

あまり休憩せずに出発。


再び真っすぐの道を歩く。歩道があってよかった。

途中で轢かれた海鳥の死体が道路の真ん中にあり、

ドライバーが次々と避けていくので、草むらに死体を移動してやる。


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距離を稼ぎたかったので夕暮れまで歩く。

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こんな北の地のバス停にもコロナの影響で張り紙が貼ってある。


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バス停をすぎたあたりで地元の人らしき方からトウモロコシを2つ頂いた。

とても温かかった。

おそらく、たまたま見かけて渡してくれたのではなくて、見かけた後トウモロコシを茹でて、わざわざ渡しに来てくれたのだろう。


ありがたい。

その日の晩に食べたのだが、冷えてもとても甘く、美味しかった。


トウモロコシをくれた車はUターンして引き返して去っていった。

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古丹別川を渡るころには日が沈みそうになっていた。


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午前中トンボの大群と遭遇していたが、

夕暮れになると歩道にトンボの死骸がよく散らばっていた。


包むにつれトンボの死骸は増え10Mに100匹以上死骸がありそうなほど多かった。

黒く乾いたアスファルトの中で、無数の轢きつぶされたトンボの死骸が、キラキラと夕日に反射して輝いていた。


沿岸バスがよく通っていた。

帰りはバスか電車かまだ決めていなかった。


何となく道は順調そうで、残り一週間以内で旅が終わりそうだと感じてきていた。

今までギブアップを恐れて「小樽まで諦めない」「小樽まで諦めない」と意識していたが、

ゴールが近づくにつれて「諦めない」というよりも「終わってしまう」「ついてしまう」「帰りの事を考えなければならない」「帰って生活を再開できるのだろうか」そんな事を考えるようになっていた。


このままでは、「生活の問題を解決しないまま、ただ浪費して最北端に行った人」になるのではないか?

残りゴールまで有意義になるように、この状況を味わおう。

そう再確認した。


浪費するだけでなく、いい旅人で在れるよう。

夕方で疲れていても手を振るバイクに手を振り返し続けた。


19時、日没と同じくらいに苫前キャンプ場に着く。

18時受付終了だが、トイレにまだ従業員の方が残っていて、お願いしてキャンプ登録してもらう。

キャンプ場はほとんど埋まっていたが、特別に他の利用者とのハザマのスペースを間借りする事が出来た。

家族連れがもちろん多いが、ソロキャンパーも多く。

手慣れた料理やキャンプ道具の使い方を横目でみて感心していた。


混んでいるキャンプ場の中で、

一人地味なパスタを茹でようと準備するが、


お湯が沸騰する前にガスが切れてしまう。


おなかが減っていた為、かなりショックだが、

気持ちを切り替えてレトルトのおかゆをぬるいお湯で温めて食べる。


物足りなかったが、夕方のトウモロコシを2つ食べて満たされた。

トウモロコシは冷えても甘く、プチプチと歯ごたえがあった。

ありがたい。


周りのキャンプ利用者は遅くまで起きてなかなか暗くならなかったがイヤホンで耳栓をして寝た。


20日目終了 歩いた距離 43km

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