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高校生が思う結婚とは

高校生の意見は参考にならないと思われることであろう。確かに高校生とは経験値が浅いため、推測で語ることも多いように感じる。その一方で、高校生の意見というものは貴重である。
モラトリアム期という言葉をご存じであろうか。子供もないが大人でもない時期のことである。この期間は非常に意味を有している。社会的責任を免除されているため、社会を俯瞰的な第三者目線で眺めることが出来るのである。例えると、井の中の蛙が1週間だけ、外界を散策するようなものである。毎日が非日常ということである。常識は日々の感動を忘れさせる。
100年前の非常識は現在の常識である。
高校生は沈黙を保つ。彼らは青春という対価を与えられるが余り、モラトリアム期の気づきを発信しない。目の前にケーキを置かれたらそれを食べるし、課題を課されたらそれを解くという生活を彼らは送る。大人の扉が開かれたら、普通に第一歩を踏み出すのだ。そうして、大衆的な意見が彼らにもインプットされていく。そんな社会へ対する嫌気が絶えないので今日も記事を書き不純物的意見を送りこむのである。


今日は結婚はすべきか否かということについて考えてみた。
皆は結婚しているのであろうか。noteの利用者層は社会人の層と還暦の方の層が多いように感じる。未婚率が進んでいる現代社会といえども既婚者は多いと予想される。
学生の一意見として、結婚=楽しそうである。
学生がする恋愛と結婚とは全くの別物であるとは思うが、デート=楽しいものである。人によってだが結婚したら毎日がハッピーだと思う。
独身者の場合は、守るべき人間がいないため目的の喪失を引き起こしやすい。なぜ結婚しなかったかを突き詰めるたびにブラックホールに突き落とされた気持ちに襲われることであろう。
ここまで聞くと配偶者の存在とは、支えあうという観点でみて重要である。
歴史的な観点から掘り下げたとしても、女性は家事、男性は労働に従事という価値観があった。現在は家事は分業という考え方にシフトしたが、どちらにしてもそれぞれの負担の軽減が見込まれる。


自分は結婚したくない

申し上げにくいが、私は別に独身で一生を終えても構わないと思っている。ここまで、結婚の利点をつらつらと述べてきたわけだが、自身の理念に反することをここまで書けたのはある意味才能である。
もしかしたら、どうでもいいことなのかもしれない….
正直にいって結婚願望がないのは今だけかと、疑っている….


高校生の私が思う結婚とは

最初に書き記した通り、高校生の私が思う結婚について脚色なく述べることとする。
結婚とは、、、今の私にとっては必要がないものであると感じる….
あくまでも個人論である
自慢ではないが、私は女子とも話せるし、告白もされたことも何度かあるので、突発的に異性の悪感情を抱いているわけではない。
しかし、人生とは一人で構わないと感じてしまう。結婚とは人生のルームシェアと考えることも可能だ。あなたは自身のスマホをシェアすることは出来るだろうか。スマホとはどこに行くにも一緒な恋人のようなものではないだろうか。
スマホもシェア出来ないのに、人生はシェア出来るというのはどういうことであろうか。
ここまで挑発的なことを書いてみたが、ここには常識というロジックが潜んでいると踏んだ。つまり、結婚とは常識であるという支配関係が成立しているということである。
常識と意思とは完全分離をすることが難しい。例え分離しようとしても、そこには不安、金銭、恥というものが不純物として内在してしまう。
結婚においても同じことが言える。お見合い婚が婚活や合コンといった自発的な出会いに置換されていることから、結婚の自由化が進んでいると感じられる。
しかし他者によって結婚相手が決められていた時代は、不安や金銭や恥というものから分離されていた。しかし、自身の手によって結婚相手を選ぶということは責任を伴うのである。他者の支援を打ち切って結婚した場合は、結婚後の不和に対し不安が募り、金銭的なサポートを受けられない懸念、離婚をした際の恥などが挙げられる。
特に恥という要素は厄介である。あなたは1人の人間として生きていると思うが、ここでいう恥とは全世界に対して発せられる恥である。
→全世界地球人口
あなたは、他人と比べて生きている。この世の中には永久機関が存在しないと言われているが、人間の相対意欲熱量に関してはどこからともなく湧き出てくる永久機関のようなものである。ほとんどのことについては他人と比べた上でという論理が成り立つ。

なぜ勝負に勝ちたいのか→弱いと思われたくないから=価値を表現
なぜタワマンに住むのか→金持ちと思われたいから=価値を表現
なぜ高得点を取りたいのか→高偏差値と思われたいから=価値を表現
なぜ高偏差値と思われたいのか→就活に便利だから=価値を表現
なぜ結婚するのか→?

生きたいから、美味しいからなどは主観的な反応である。その一方で価値を表現するという目的があるものは、必ず他人という媒介を通しての受動的なものである。

あなたが価値を求めて結婚していないなら、それは理想的である。


私[ライター]について

ここまでお読みいただきありがとうございます。高校生ながら知識を深堀りすることを目的に不定期ではあるものの投稿をしています。
専門的な知識ではなく、身近な事象から来る疑問などを中心に取り上げます。興味深かったという方はフォローしていただけると幸いです。
また日々の生活で感じた葛藤のようなものも投稿しています。
Xもやっているのでチェックしてみてください
今回の結婚に関する記事は面白かったので続編を出すかもです!!


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