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『教室の窓』~春になると、満開の桜が美しく映える~子どもたちに贈るやさしいエッセイ 講師 樋口信太郎

新学期が始まりましたね。
新しい教室の窓からはどんな景色がみえますか。
桜は咲いていますか。

リテラの先生が、子どもたちに贈るやさしいエッセイ。
ぜひ、ご覧ください。

リテラ「考える」国語の教室 講師 樋口信太郎


中学生のころ、教室の窓は席に着いた生徒の背中側にあった。
そのため、意識して振り向かない限り、窓の外を見ることはなかった。
だが、窓の外のすぐそこには桜の木が植えられていたことをよく覚えている。
春になると、満開の桜が美しく映える。

高校生になると、黒板を正面にして、左側に窓が位置するようになった。
窓側の席に座ることが何度もあっただろう。
だから、授業中、窓の外を見ることも何度もあったはずだ。
だが、高校を卒業して約10年が経った今、窓から見える外の景色の記憶が全く浮かんでこないのだ。
いったいなぜなのだろう。
廊下の窓から見える、広い校庭でサッカーをする生徒たち、高校校舎に対して比較的最近建てられた中学校舎の全貌は、目に浮かぶというのに。

そもそも、授業中に窓の外を見るというのは、どういう時なのか。
よくよく当時の自分を思い起こしてみれば、授業が退屈だと感じられた時は、寝るなり、内職するなりしていたはずだ。
授業に集中していれば、先生の話に耳を傾けたり、ノートを取ったりすることに忙しかったはずだ。
当然、窓の外を見ることなんてしない。

では、いつ窓の外を見るのだ?
夏の暑い日であれば、蒸し暑さに己の集中力が負け、ふと外を眺めてみれば、カンカンに照る太陽が見える。
「あちー」と当たり前のことを思いながら、また自分の仕事に戻るのだろう。
雷の鳴る豪雨の日であれば、授業中でありながら、「帰るの大変だなぁ」と授業後を思い嘆息する。
そして、やはり黒板の方を向き直すのだろう。

あまりに日常的な一場面であるがゆえに、今では忘れてしまった記憶。
それでも、窓の外を見るという行為が過ぎ去りし日々に彩りをもたらしていたのだ。

そう思うと、何やら感慨深いものを感じるのだ。


このエッセイを書いた講師 



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