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比喩の6つの役割

比喩って便利。

便利な物は危険。

正しくは、脳が味を占める物は危険。

脳は楽をしたがるから、一度味を占めたものにすがろうとする。

一度便利さを覚えてしまったが最後、それがまるでこの世の正解の様な錯覚を持ち始める。

有名な「チーズはどこへ消えた?」という本の話だけど、一度たくさんチーズがあるとわかっても、そこから徐々に離れなきゃいけない。

そこにいつまでもチーズはありはしない。

僕にとっては、今それが、比喩にあたる。

僕にとって、比喩はチーズだ。

(言うてる側からチーズに喩えてる)




何の話かと言うと、noteを書いてる時の話。

すぐに比喩に走ってしまう。

ちゃんと比喩という表現技法の持つ特性を捉えなきゃいけない。

比喩の最も根本的な役割は、わかりやすくすること。

言葉だけでは伝わりづらいニュアンスを比喩により上手く描写して伝える。または抽象的で難しい概念を、身近な物や抽象度の低い物などに置き換えて説明することで、相手にも理解しやすくする。

それがだんだんと文明や文化の発展、正しくは、それの発展に伴う人類の脳機能の発展に伴い、比喩の持つ機能も複雑化してきた。

ここで言う複雑化とは多数の意味合いを持つことであり、それは例えば、本来は電話機能しか持たなかったはずの携帯電話が、スマホと呼ばれて今やパソコンの様な役割を持ち始め、スマホさえあればこの世の全てが事足りるという錯覚を生み出している現象にも似ている。

(ここでもまた比喩。)

比喩は万能ではない。

では、具体的に比喩にはどんな機能があるのかを見てみる。

あくまで僕個人が短時間で考えただけであり、科学的根拠や言語学研究などに基づくものではない。

したがって、全くもって参考にしない方がいい。

自分の頭の整理のために書いたものを他の人にも公開しているという、それだけだと思ってもらいたい。

では、話の続き。

比喩にはどんな役割があるかというと、

①程度
②描写
③理解
④説得
⑤芸術
⑥面白

1つずつ見ていく。



①程度

シンプル。これこそ比喩の最も基本的な使い方。

何かの程度を表すのに、擬音語とか熟語とか副詞や形容詞だけだと表しにくい時に使う比喩。

こういうやつ。

「あそこの店の酸辣湯麺はレモン丸齧りしてるぐらい酸っぱい。」

「怒った田中君は飢えたライオンぐらい怖くて近寄らない方がいい。」

「あのプロテニス選手のサーブは最高で260㎞ほどあり、新幹線と同じぐらいのスピードが出る。」

酸っぱい物や

怖い物や

早い物を

別のわかりやすい物や馴染みのある物に例えることで、相手にその程度をわかりやすく伝える使い方です。




②描写

何かの状態をより上手く描写するために用いる比喩。これもまた超基本的な使い方。

こんな感じ。

「生まれたての赤ん坊の様にクシャクシャの顔で泣き喚いていた。」

「怒ったイノシシみたいに真正面から全力でタックルしてきた。」

「お花畑のような甘くて上品な香りが漂っていた。」

どんな泣き方かを示すのに、顔や声の様子、涙の様子を一つずつ丁寧に説明したところで、なかなか伝わりません。タックルも同じ。

ましてや、香りをその香りに含まれる化学成分の名称で説明しても何にも伝わりません。

その代わりに他の人にもイメージできる物に置き換えて説明することでわかりやすく描写する使い方です。




③理解

これもまた1番基本的な役割の1つ。

難しい概念や馴染みのない内容を、簡単な概念や馴染みのある物に置き換えて説明することで、相手に理解してもらうための比喩。

例えば、こんな感じ。

「PCRとは遺伝子を増やす技術です。例えば、少し気になる異性がいた時、最初は気持ちが小さすぎて、この気持ちが好きかどうかわかりません。何度か会って気持ちが十分に大きくなって初めて、これは恋だったと気づくし、恋じゃなければ気持ちは大きくなりません。
PCRもそれと同じで、例えばコロナウイルス。唾液だけだと少量すぎて(正しくは濃度が薄すぎて)検出できません。PCRをして、コロナなら増えて検出できるし、コロナじゃなかったから増えません。つまり、”PCR検査”と1括りに呼ばれていますが、実はPCRは遺伝子を増やすだけの技術であり、ウイルスがいるかどうかはわかりません。
気になる異性と何度か会って気持ちを大きくすることが”PCR”であり、自分の胸に手を当ててあの人への思いが本物かどうか確かめることが”検査(検出)”です。
たまに、恋だと思ったけど、付き合ってみたら違ったとか、恋じゃないと思ってたけど、遊びで付き合ってみたら運命の人だったとかあると思います。それがいわゆるコロナ陰性だけど陽性と判定される偽陽性や、陽性だけど陰性と判定される偽陰性という現象だと思ってください。」


果たして、これは理解を促進するための比喩の使い方の例文としてよかったのかは甚だ疑問だけど、あえて変な例文にしようとする辺りに自分の人間性がよく出ている気もします。笑

PCRとか

遺伝子を増やすとか

検出できる量とか

こういった馴染みのない概念を、誰しも馴染みのある淡い恋心に例えることで、理解を促進するという使い方です。
(上の例文は逆にわかりにくくした気もしなくはない。笑)




④説得

相手に何かしらの行動や考え方の変容を求める時、相手の心に刺さる物に例える比喩。

こんな感じ。

「お前、機嫌悪いからってすぐ怒鳴るとかやめろよ。やってること高校の担任の田山先生と一緒やん。散々あの先生のこと批判しといて、自分が田山先生みたいなことするなよ。」

自分のやってる行動の愚かさに気づけない人に、その人にも心当たりのある、自分はこうはなりたくないと思うような愚かな人で例える使い方です。

こんなのもあります。

「困ってる人がいたら放って置けない優しいところとか、お母さんそっくりやな。」

これもまた説得の一つで、本当に優しくて素敵な人ですねという気持ちを、相手に伝えるために、相手も優しくされたことのある人を喩えに用いる使い方です。

これがもし、ガンジーみたいに優しいねとか、マザーテレサみたいに優しいねだと、世間一般的に優しいイメージのある人に喩えるということで、少し意味合いは変わってきて、①の程度の役割に近くなります。




⑤芸術

そんな風に喩えて来るかーとか、すごい表現の仕方やなー、と読んだり聞いたりした人を唸らせるための比喩。

ちょっとだけ高等テクニック。

こんな感じ。

「あの子の言葉を聞くと、僕は軽やかで優しい気持ちになる。まるでホットミルクに溶かした角砂糖みたいに、彼女の世界にそっと溶け込む。彼女の言葉は、すり減った心をいつも治してくれるアロエベラだ。もし、彼女に出会えていなかったら、すり減って傷付いた心の膿が膨らみ、破裂して、人に向けてはいけない悪い自分や、嫌いな自分、誰かを攻撃する自分たちが溢れて、今頃百鬼夜行を起こしていただろう。そんな人をこれまでにたくさん見てきた。閻魔みたいな顔した堅物上司も、般若の形相の近所のモンスターおばさんも、みんな彼女に出会えていたら今頃違ったのかな。彼女が僕にくれる言葉は、単なる傷ついた心の治癒に収まらず、僕が修羅の道へ落ちてしまわぬために施された、天女の施しにすら思える。あの子に出会えてよかった。」

自分を、角砂糖に

言葉を、アロエベラや天女の施しに

優しさを失った大人や悪い心を、鬼や妖怪に

といった様に、本来何の関係性もないような物同士で喩えたりして、むしろ人によっては分かりにくくすら感じる表現をすることにより、万人向けではなく、ある程度表現を理解する能力を持った人に対して、分かりやすさではなく、「それをそんな風に喩えてきたかー」というレトリックの妙であったり、発想の斬新さやアート性を楽しんでもらうための比喩の使い方です。

芸術と呼ぶだけあり、良い感じに表現できることもあれば、自分では良いと思っていたけど、実はただの自己満足だったということもあります。
(僕の書いた例文も然り)




⑥面白

いわゆる例えツッコみとかのこと。

そんなに説明はいらないかもしれないけど、こういうやつのこと。

「高低差ありすぎて耳キーンなるわ」(後藤輝基さん)

「さまぁ~ずさんと太ジーパンぐらい合う」(千鳥さん)

「ベーコンレタストマトエッグつくねライスバーガーか」(上田晋也さん)

「矢田亜希子、和田アキ子。あんこと○んこみたいやな」(島田紳介さん)

これが一番高等テクニックを必要とされる比喩です。間違いなく。

全然違う関係ないような物同士を例えに用いたりするという点では、芸術とも通ずる。

しかし、芸術と違って、アホやな~と思わせることが大切だし、共感から遠いところにあればあるほど良くなりがちな芸術と違い、全然関係のないような物で喩える場合も、共感が強くないといけません。

お笑いにおいて最も大切なのは共感だから、芸術性、つまり独自性や斬新さを兼ね備えつつも(玄人に深く刺さりつつも)、きちんと共感性を確保する(多くの人に共感してもらえる)という、まるで一本釣りでイワシの大群を引き上げるかのような荒技が必要となります。

それに、芸術の場合は自己満足という逃げ道があるけど、面白にはそれがありません。人を笑わせなきゃならない。

そして、笑いが感情の中で一番難しい。悲しませるのは簡単です。殴ったり罵倒すればいい。でも、笑わせたり喜ばせるのってそんな単純なことではありません。圧倒的に難しい。

現に、僕もさっきまでは自分で考えて例文を書いていたけど、例文があまり浮かばなかった。

一応、覚えている範囲でこれまでに自分がここ最近やったことのある例えツッコみなどを書いておきます。

これまでの人生で満塁ホームラン級の良い例えツッコミとかもいっぱいしてきたはずやのになー。

覚えてないのは良くない。スマホのメモ帳に例えツッコミフォルダ作ることにしよう。笑

藤井のここ最近の覚えている例えツッコミです。

「壁にまっすぐ突進するから、9と3/4番線行こうとしてるんか思ったわ。」

「濡れ衣重ね着してるやん。」

「めっちゃ濡れ衣着せられてるやん。濡れ衣十二単か。」

「おい、いつまで先延ばしにすんねん。アホのルフィか。」

「自分で自分の揚げ足持ち上げんなよ。ネイマールか。」






と、①〜⑥まで僕が思う比喩の役割を書きました。

でも散々書いといて結局は、極論を言うと、物語とかネタとかって全部極端な見方をすれば比喩だとも思います。

どのシーンもどのセリフも、どのキャラクターデザインも、どの例えツッコミも、作者や芸人さんの考える何かを表現するための物だから、極論を言えば全て比喩になる。

ただ、比喩表現を使った文章や例えツッコミばかり使ってると、読んだり聞いたりしていて飽きが来るし、表現の幅が乏しい印象にもなる。

だから、直接的に比喩という表現を使うのではなく、展開(ドラマ性、出来事)で見せたり、これでもかってぐらいに強い表現や美しい表現、面白い表現などのいろんな表現を、変化球でなく、ど真ん中どストレートで投げられるようにもしておかなきゃならない。

例えばお笑いで言うと、個人的に大好きなネタで、チュートリアルさんの「東大阪宇宙科学センター」っていう20分弱ぐらいの長めの尺のコントがあって、それのラストらへんで溜めに溜めに溜めまくって徳井さんが泣き叫ぶシーンとか最強だなって思います。ぜひ見てみてください。

もう世の中には、お笑いのテンプレートとか、誰でも真似すれば上手くいく型がたくさんあって、みんなすぐにそこに手を出します。

だから、例えツッコミとか、独特のワードセンスのツッコミとかで笑いを取ることが現代の笑いの主流です。

その方が作りやすいし、作りやすい型が出来て来たということは、お笑いという文化が大企業化して来たということであり、コンビニスイーツのごとく安くて手軽なお笑いが世間から求められ、そして市場シェアを占める様になってきたという様な状態でもあります。

そんな中、チュートリアルさんのこのコントのラストのところは、徳井さんの泣き叫びの演技力と、そこに至るまでの展開、そして幼稚園からずっと一緒にいる徳井さんと福田さんという二人のコントを超えた関係性の部分で大爆笑を掻っ攫っていて、腹を抱えて大爆笑すると同時に、見終わった後震えるほど感動しました。

だから、センスのあるツッコミで笑いをとる漫才やコントももちろん大好きだけど、笑いが起きるポイントをツッコミではなくボケに置いてる漫才やコントやトークをされる方々に対しては特に強い憧れを抱きます。代表例は笑い飯さんですかね。ボケだけでアホらしすぎて笑えてしまうので、憧れです。いとしこいしさんの漫才とかもそうですね。

その他にも、ツッコミ一つ取っても、パワーで突っ込む人にも憧れを持ちます。デカい声で力強く叫ぶことにより、純粋に力で笑いを掻っ攫って行けるタイプの人です。

上田晋也さんや千鳥のノブさんとかは、大声で「黙れ!」「なんでやねん!」「クソ坊主!」とかで笑いを取れてしまうし、かといって力技以外の例えツッコミなどのテクニックも超一流だから憧れます。

憧れの漫才師やコント師、ツッコミとかを書いていると止まらなくなってしまったので、チュートリアルさん、笑い飯さん、いとしこいしさん、上田晋也さん、千鳥のノブさんだけを取り上げさせてもらいましたが、ホントにまだまだたっくさんいるし、全芸人さんホントに尊敬していて、大好きです。

お笑い以外でも、漫画ならNARUTO(特に少年編)とか、SLAM DUNKとか、金色のガッシュとかは比喩に頼らず、ストレートに来るなーと思うし、

ドラマなら、恋は続くよどこまでもとか、花より男子とか、半沢直樹とかストレートだなって思うし、

文章だけで勝負をする小説でも、そしてバトンは渡されたとか、キネマの神様とか、走れメロスとかは、もちろん直喩も隠喩も含めて比喩はたくさん出て来ているけど、展開とかでストレートに勝負してくるなーって思います。

漫画もドラマも小説も好きなやつがたくさんありすぎるから、ほんの一部だけ書きました。




なんやらかんやらと散々書いたけど、noteは自分が書きたい様に好き放題書き殴る場所にしているから、引き続き比喩を多用することにはなるでしょう。笑

それに、結局はまず自分の投げれる球種をよく理解した上で、どんな球種をどう組み合わせていくかが大事。

変化球が得意な人間は変化球を8割投げて、2割だけストレートを投げれば十分。その2割があるだけで8割が生きるし、8割があれば2割も活きてくるから、藤川球児みたいなストレートを投げれなくても、2割だけなら十分効果的な球になる。

これは実は島田紳助さんの考え方で、その通りだなとも思います。

それに、まずは自分の得意な球種をきちんと極めて、それだけではダメだと思った時に、別の球種を練習していくという方法もありかと思います。




そして、言葉についてたくさん書いて来たけど、言葉の限界を理解して、絵や音楽や、演技などの言葉以外を頑張ることも大事にしなきゃならない。

言葉以外の何でもいいから、ある程度の認知や人気を獲得すれば、自分の言葉に関心をもつ人も出てくるはずだから、そういった戦略も大切になってくる。考えることが多いなぁ。




ということで、散々長文を書いた結論。

「何でもいいから表現しまくる!!!!」

特に、「書きまくる!!!!」



書くぞー。引き続き書きまくるし、あれこれ作りまくるし、喋りまくるし、行動しまくるし、人に会いまくるぞー。

えいえいおー。

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