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矜持とは

矜持って持っていますか?

僕は何となく持っていました。

ただ、矜持というものの定義がここ数日で変わりました。


辞書的には、

矜持:「自分の能力を信じて抱く誇り。プライド」(出典;OxfordLanguages)と書いています。


僕にとって、矜持とは



・これまでは

 矜持・・・傷つけられたくない尊厳    = プライド

・現在は

 矜持・・・信頼してもらうための誇り = ブランド



といった感じです。

100:0から0:100に変わったというわけではなく、60:40から10:90に変わった感じです。

これまでは、僕にとって、矜持というのは、そこだけは馬鹿にされたくないとか、負けたくないというプライドでした。

例えば、たくさんあるので、代表して5個だけ書きますが、

「誰よりも理系的、論理的に考え、話す。分析し、解決策を考える。」
「自分で考える。徹底的に考える。素直さと思考の放棄をはき違えない。」
「伝えたいことは本気で伝えに行く。」
「面白く生きる。人と違うことをする。」
「一人一人のキャラを尊重し、常に笑いと笑顔を意識する。」

こんな矜持をよく抱いていました。

でも、これらの矜持を誰かの役に立つようにあまり使えていませんでした。

大体、こんな使い方をしていました。

「論点を整理せずに攻撃してくる人を(相手が何歳年上で、どんな立場にあろうと)徹底的に論破する」
「とりあえず先生は絶対的存在であり言う通りにしなければならないみたいな考え方の人にイラつく」
「ちゃんと伝えようという意思を全く感じない発表や話し方をする人間に違和感を抱く」
「誰でも考えつくようなことしか考えない人に違和感を抱く」
「笑いと笑顔を大切にしない人間や、年下に優しくない人間とは普通に距離を置く」


これでは、自分の矜持は人を攻撃し、寄せ付けないための番犬みたいな存在でしかありません。

それも警戒心の強い、過去に人からいじめられた経験のある中型犬とかです。

とにかく吠えるんです。飼い主を守りたいというよりかは、自分が怖くてキャンキャン吠えまくるんです。自分が弱いということも自覚しているから、精いっぱい吠えて自分を少しでも大きくて強い存在に見せようとするんです。

そら、人は寄り付かない。

ある意味、番犬としては優秀です。だってとにかく吠えまくるんだから。でも、そんなに吠えまくる犬がいたら、怖くてよっぽどのことでもない限り誰も近寄らなくなります。

郵便局とか佐川急便しか来ません。




でも、少なくとも僕の場合は、心の中ってそんなに守らなきゃならない物ってないんです。

印鑑も通帳もないんです。

むしろ、自分にとって守らなければいけないのは、プライドとか恥ずかしさとかではなく、今目の前にあるイベントの成功や、これまでに出会った大切な仲間や、仲間と過ごす時間や、これまでに過ごした思い出や、これから築いていく思い出と成功なんです。

だから、むしろ積極的に心泥棒に入ってほしいぐらいなんです。

僕自身、人と打ち解けるのは上手な人間ではなくて、でも人のことは大好きだし、仲良くしてくれるのも嬉しい。

でも、一人でいたいともよく思うし、めっちゃガサツな感じに仲良くなろうとされるのも好きではない。

だからこそ、僕が抱くべき矜持というのは、僕のプライドではなく、僕のブランドであるべきだと思っています。

怖くてキャンキャン吠え散らかす中型犬ではなく、飼い主や近所の人に誰かが来たのを知らせるために吠え、なつく人にはなついて、家に迎え入れるためにバウバウ吠える、賢い大型犬のような矜持を抱きたい。

「藤井くんなら、知識もいっぱい持ってるし、いっぱいいろいろ考えて、私たちにないアイデア出してくれるんじゃないか」
「藤井さんなら、論理的に一つ一つ細かく分解して考えて、問題点や良い改善策をきっと導き出してくれるに違いない」
「藤井くんなら、また独創的でアホなおもしろい発想を出してくれそうや」
「藤井さんなら、上手に伝えてくれそうやし、私たちも上手な伝え方を盗み取ろ」
「藤井さんなら、私たちのキャラを否定せずに優しく、悩みとか困りごととか全部聞いてくれそうや」


こんな感じに、藤井さんちの大型犬はいつもバウバウ吠えて歓迎してくれるから、今日もあのワンちゃんに会いにいこかな、と思われるような矜持を抱いていたいと思っています。



矜持とは、プライドではなく、ブランド。

うん。なんかええこと言ってる気はする!笑






で、そんな風に考えるようになった理由についても書きます。

先に断っておきますが、最後の1段落は吐き気がするほどキモい文章の書き方してます。

吐き気止めを飲んでからお読みください。




ここ最近こんなことばっかり書いていますが、最近いろいろと考え方や行動習慣を変えようと思う出来事がたくさんありました。

その一つに、先日観に行った劇団四季のミュージカル「ライオンキング」のこんなセリフがあります。

「この世は全て絶妙なバランスの上に成り立っている。」

これは、主人公シンバのお父さんであり、プライドランドの王様ムファサがシンバに向けて言った言葉です。

「いいか、シンバ。生きとし生けるもの全てを尊重する必要がある。」

「でも、父さん。僕たちはレイヨウを食べるよ。」

「そうだ。我々はレイヨウを食べる。だが、我々が死んだ時、我々の体は大地に吸収されて、草木の栄養となり、その草をまたレイヨウ達が食べる。この世は全て絶妙なバランスの上に成り立っている。」

セリフがちゃんと合っているかはわかりませんが、大体こんな感じのやり取りがありました。




本当にバランスって大事だと思ってます。

雑日記①にも記したけど、やっぱり自分の生活が学園祭あたりからYCA中心に傾きすぎていました。

そのことには自分でも気づいていたから文字に書いたし、なんとかしなきゃとは思っていたけど、生活や人生におけるいろんな課題を後回しにしすぎていました。

だから、少しYCAと距離を置こうと思っていたけど、なんか気が付きゃあれよあれよとまたYCAに寄り過ぎていました。

だから、意識的に距離を置いたりして、これまで後回しにしていた自分の生活や人生においてやらなきゃならないことに手をつけたり、普段の生活の質を上げたりすることに時間を費やしました。

昨日の授業も時間を縛られてしまうので、大好きな発送法の授業でしたが、補講で受けることにして、自分の日常におけるやらなきゃならないことあれこれに手をつけていました。

(明日の授業も補講の予定です。)

そして、いろんなことが劇的に良くなりました。

生活におけるバランスとか、熱意のバランスについて意識しているうちに、何事も藤井ってバランスが良くなかったなーと思い始めました。

自分がいつも極端な行動をする人間だということは分かっていたけど、別にそれも自分らしいとこれまでは思ってました。

今も思ってはいますが、限度とか、やりすぎっていうものがありました。




今の自分はようやくエンタメに向けて一歩踏み出し、周りには自分よりもずっと若いけど、頑張って前へと歩んでいる若者たちがいっぱいいる。

充実感も幸せも、未来への希望も感じている。でも、焦りも忙しさも生活の乱れも感じている。本職に対するやる気のなさも感じている。

忙しくてもいい。焦ってもいい。生活が乱れてもいい。本職よりもやりたいことがあってもいい。

全部力に変えて、実績に変えて、自信に変えてやればいい。

でも、忙しさや焦りにばかり心を奪われすぎてもいけないし、生活が乱れて結局頑張りたいはずのことへの生産性が低下したら元も子もないし、お金をもらってるんだから本職を適当にするとかはあり得ない。

そこのバランスが若干崩れてしまっていました。





バランスが崩れてしまったら、一気に世界が壊れます。

それは、ライオンキングの世界で言うと、ムファサに変わってスカーが支配し、ハイエナが入り込んだプライドランドと同じです。

ハイエナたちは、ただただ食べ続けることしか考えません。

みんなで分け与えることも、狩を行うメスライオンの負担も、草食動物たちとのバランスも、全く考えはしません。

それに、スカーのことを王や仲間だなんてこれっぽっちも思っていません。

ただただ都合が良いから一緒にいるだけです。

そうなったらスカーは結局、自分がムファサのように愛されないことに不満を抱き始めるんです。

自分には何が足りないんだ。どうして自分は誰からも愛されないんだ。どうしてずっと心が飢えているんだ。と嘆きます。

やがて、群れのライオンみんなから見放され、大きくなって戻ってきたシンバにやっつけられ、ハイエナたちに食べられて、哀れに生涯を終えることになります。




バランスを見失ったり、極端な考え方や行動ばかりするというのは、スカーみたいになることを意味しているんだと思います。

自分が生み出した焦りや、忙しさや生活の乱れや、本職に対する意識の低さがハイエナみたいに心を支配して、やがて自分自身をも食べ尽くしてしまうのでしょう。

めちゃめちゃなことしても、結局バランスを崩さずにやれる人もいます。

でも、少なくとも僕はめちゃめちゃな行動をしても大丈夫なほどバランス感覚に優れてはいないし、島田紳助さんや西野亮廣さんや岡本太郎さんみたいに、圧倒的な実力と実績とカリスマ性で全てをねじ伏せれる人間でもありません。

だから、スカーみたいにならないためにもバランスを意識しないといけないなって思ってます。




だって!藤井よ!

お前はもう散々人と違う考え方をしたいと思ってこれまで28年間生きてきたじゃないか!

今更周りに合わせたりして、上手に生きたところで、お前の個性なんて一つもなくならん。

全力で合わせに行ったとしても滲み出るぐらい、お前は十分に変なやつや。どうせいそんなに合わせられへんねんから結局は。

それに、これまでは、人と違う生き方をしたいとか思いながらも、全然何も行動を起こしていない「普通の」お前がコンプレックスでキャンキャン吠えてたかしらんけど、もうそんなことしなくてもいいだろ。

もうお前は十分に自分の人生と向き合っている。

お前は今もう、エンタメの道を歩いてる。

今後、お前がどんな生き方をするのか確定的なことは言えない。

でも、本業であろうと、副業であろうと、エンタメや創作をお前の人生の中心に置いて生きていくことは100%間違いない。

だから、バランスを大切にして、尖った部分はなくして、それでも残った自分らしさを本当の自分らしさだと思って、誰よりも上手に生きていけばいい。

お前はそれができるだけの、経験も、苦労も、絶え間ぬ学びも勉強も、行動もやってきてる。


28年間頑として変わらなかったお前が、バランス感覚や、お前らしさの出し方を意識して、これまでよりもずっと優しくなって、歩んでいくこれからの人生を楽しみにしてる。

頑張れよ!


(書き方キッッッモ!)

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