「しんどいから辞める」は逃げなのか

私は現在、絶賛休職中である。GWの連休明け、1日会社に行ったら次の日の朝会社に行けなくなった。五月病といえばそうなのかもしれないけど、行けなくなったものはしょうがない。約2ヶ月、療養しながら人生の休憩と名付けてゆっくり暮らしている。体調もよくなってきて、徐々にこれからのことを考える余裕ができた。「復職」するのか、「退職して転職」するのか。この質問を何度も自分に投げかけながらも、本当は答えが出ているのかもしれない。私は今の仕事を辞めたい。友達とランチに行くたびに合言葉のように言っていた「仕事辞めたい」は、ただの飾りではなく割とガチだったのだ。

私はなぜこんなにも今の仕事を辞めたいのか。その理由は簡単だ。
「しんどいから」だ。

「しんどい」と一言に言っても、肉体的なしんどさと精神的なしんどさに分けられる。私のしんどいは主に精神的なしんどいである。具体的にあげると以下の3つである。

・一般事務の仕事にやりがいを感じられない
・スキルアップの限界とこれからの不安
・暇さえあれば浮かぶ「今のこの生活、幸せ?」という自問自答

一般事務として入社して6年目になるが、世に言うブラック企業というほどではなく、ニュースになるような残業何百時間という仕事を課せられていたわけでもなかった。でも私はしんどくて、我慢して、鬱になった。数年後にはAIに取って代わられるだろう誰でもできる仕事を私はしたかったんだっけ。私はなんで暇な時間を悟られないように仕事してるふりをしてるんだっけ。私はなんで仕事しながら涙を流してるんだっけ。忙しくない、難しくない仕事なのになんでこんなにしんどいんだろう。
「忙しくないし、難しくない、けどなんとなくやりたくないこと」は、5年かけて私の首を緩やかに締めていた。人それぞれ向き不向きががあると思うけど、私にとってルーティンワークは息ができなくなるほど苦しかった。それに気がつくのに5年かかった。気付いたのも、鬱になってからだったのだけど。

人はなんのために働くのだろう。
生きていくため?将来のため?仕事に行き詰まった人が何度も繰り返すこの質問に、私は私なりの答えを導き出した。それは「なりたい自分になるため」だ。
私はいつでも自分のやりたいことにいつでも正直で、何歳になっても学ぶことをやめない人でありたい。そして自分の「好き」「楽しい」の気持ちが、誰かの喜びにつながるような人でありたい。なりたい自分を改めて考えた時、今の仕事でこのまま働き続けても、そんな人にはなれないだろうと思った。10年後の同じ仕事を死んだ顔でやっている自分を想像したらゾッとした。きっと「そんなの甘えだ」という人もいるだろう。でも私にとっては、今の仕事を続けることの方が甘えだと感じる。成長を辞めて、ただ機械のように仕事をこなす。楽だし、怒られない。だけど心は確実に死んでいった。

「しんどい」と思うことを続けていても、自分にいいことは一つもないと思った。我慢できるようになるかもしれないけど、我慢しすぎるといつか限界を超えて自分が壊れてしまうことを今回身をもって経験したのである。
しんどいと声をあげた自分の心から目を逸らさないで。辞めることは逃げではない。心を守るために与えられた自由だ。今まで頑張ってくれてありがとう。これからもっと幸せになれるように頑張ろうね。

私は幸せになるために、一歩を踏み出す。

#転職 #鬱 #休職 #仕事 #働くこと #働きたい

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