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#1404 「問い」と「発問」の違いを意識した授業

まず論を進める前に、「質問」「発問」「問い」の違いを整理する。

質問:「問われる側」のみ答えを知っている
発問:「問う側」のみ答えを知っている
問い:「問う側」「問われる側」の両者とも答えを知らない

この違いを前提にして、論を進める。

従来までの授業では、教師の「発問」により、授業が構成されていた。

つまり、教師が「想定する答え」をもっており、子どもがそれを当てる「正解ありきの授業」がなされていた。

これでは、これからの時代に必要な「コンピテンシーベースの授業」は成立しない。

そこで重要となるのが「問い」である。

「問い」は上記の前提で確認したとおり、教師も子どもも答えを知らない。

答えは1つに定まるわけではないので、教師が正解をもつことができないのである。

そのような「問い」を授業の中心とすれば、子どもと教師が「共同探究者」となって、問いに対する「納得解」を見つけることが目標となっていく。

そして、そのような「問い」が本質的であればあるほど、それに対する納得解を導くことで、事実的知識よりも深い(転移可能な)概念的理解を実現することができる。

もちろん、そのような「本質的な問い」は抽象度が高いので、子どもは簡単に納得解を導くことができない。

そこで「他者との協働」が必須条件となるのである。

このように「対話」「協働」「交流」があることで、「本質的な問い」に挑戦していくことができる。

さらに、抽象的な「本質的な問い」に挑戦するためには、具体的な事実的知識を確認・習得するような「低次の思考」を活用することも必要だ。

なので、低次の思考を促す教師からの「発問」も必要になってくる。

このように、事実的知識を習得する「低次の思考」と、概念を理解する「高次の思考」が相乗的に作用することで、概念的理解に至るのである。

このようなスパイラルな思考を「相乗的思考」と呼ぶ。

このように、子どもたちによる「問い」に対する応答が、次の「新たな問い」「新たな学び」を生んでいく。


上記のような授業をデザインする上では、単元レベルにおける「本質的な問い」の設定が鍵になってくるだろう。

単元を貫くような抽象的な「問い」が必要だ。

このような「本質的な問い」を単元の学習中、常に意識できるようにすることが必要となる。

「発問」は通常、教師がタイミングを見計らって発する。

しかし、単元を貫く「本質的な問い」は、発問のように発することなく、電子黒板や黒板に表示しておくことが必要だ。

これにより、単元の学習中に、常に子どもたちに意識させることができる。

この手法を応用すれば、1時間単位の授業であっても、「問い」は教師が発することなく、電子黒板や黒板に表示することもできる。

「発問」はタイミングが重要なので、どうしても教師が口頭で発する必要がある。

しかし、答えが1つに定まらない「問い」は、その性質上、いつどこに表示しておいても、子どもの思考を活性化させることができる。

なので、「問い」は表示したり、ワークシートに示したりすることだって可能なのである。

このように、「問い」によって子どもたちの思考が刺激され、対話・議論が生まれ、最終的に納得解を導き出すことで、概念的理解とコンピテンシーの育成が実現される。

たいへん有意義な授業が実現できるのである。

そして、これこそがまさに「探究的な学び」「探究学習」なのである。

しかし、このような授業を実現するためには、教師が単元を貫く「本質的な問い」と1時間単位で活用する「問い」の設定・吟味が必要だ。

深い教材研究と知見が要求される。

ぜひとも、「問い」を研究し続け、上記のような授業をデザインできるようになっていきたい。

では。

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