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父と娘の禁断の..ビクトル・エリセ「エルスール」

エルスールというタイトルのみ知っており、前知識一切無しで鑑賞。エルスール?女の子の名前?くらいの感じだった。どこの国の映画かすら知らない。

まあー、画面の構成が無駄がなく、色彩が美しく(リマスタリングもしっかりされている!)本当に見事ですよね。唯一残念だったのが音楽が音割れしまくりだったことである。

父と娘。そしてついでに母。
この関係性、なかなかにリアルですよね。
女の子にとって、母って大切な愛しい存在ではあるけど、同時に疎ましい存在でもあるんだよな、と。

この映画、いま女性が観たら、どう思うだろう?と考えてしまった。気持ち悪いとか思わないだろうか?なにしろ、この親子、序盤からまるで近親相姦のような雰囲気が濃厚にただよっているのである。

しかしながら、この作品の素晴らしいところは、ふたりともそれに最後まで気付いてないことなのである。いや、明確にいうのであれば、最後の2人のランチのシーンで娘だけは気付いたのである。(あ、あのダンス..)父は、最後まで自分自身の本性に気づかないままであった。わたしはそう思う。

序盤から触覚(ダウジング)嗅覚、未知の感覚をふたりで共有する。妻とは共有しない、モラルに反する感覚を共有する父と娘。まるで恋人同士のような会話。女性が観たら嫌悪感を抱きそうだ。

ダウジング中に棒がビーンて立って、娘が駆け寄ってくる。うーん。わかりやすい(笑)ちょっと笑いそうになる。

娘のなんとかの儀式における、父親の銃の発砲は、あきらかに性欲のメタファに他ならない。それを聴いて突然に儀式をほっぽり出して家を飛び出て怯えたような高揚したような顔でびくん!びくん!とするシーンは非常に危険な感じがいたしました。監督、変態ですね。でも、芸術としては素晴らしい。大半の人には静かだ、何も起きねえわ、寝よって感じだと思いますが、彼らの内面は常にいろいろ渦巻いて事件が持ち上がってるんですよね。そこに自分自身の内面が接続されるかどうかによって評価は大きく変わるでしょう。

つげ義春のなんかの短編でも、あの銃のシーンはオマージュされてたような?

父とかつて関係した映画女優は、きっと男と女であると同時に、政治活動家、レジスタンスの同士の関係でもあったのでしょう。説明がほとんどされないのに、とっても分かりやすい。スペインの歴史さっぱりな自分でも、彼らの感情は手に取るように理解できた。父は、革命の敗北者なのだ。敗北者の映画って、やっぱり惹かれるよね。

最後、娘は父のインモラルな性欲にふと気づきながら、父を責める訳では全くなかった。それどころか、彼を思って涙を流す。これが、モラルに縛られない自由な性格と肯定的にとることもできるが、少女に夢を仮託しすぎという謂わば宮崎駿的な、宮崎駿が好きそうな少女像(笑)と思わずにいられないのだが、映画としては本当に素晴らしく、余韻たなびくのでした。あゝ。

なんとも気持ち悪い話なのに、なんかいい話っぽいのである。ずるい!完全にやられた。

父が最後に残したダウジングのあれに込めた気持ちは何だったのだろう?秘密の共有?かな?結構内的な、地味な感情を取り上げてる映画ってやっぱり好きですね。娘に変わらないでいてほしい、という無理な願いも感じられますよね。でも、娘は自立して、家を出ていき、変わっていく。南(エルスール)へ行くと、夢は現実になる。きっと、現在と変わり映えのしない場所なのではないだろうか。娘はそこで現実を知ることになるだろう..。

個人的には、死んだ母の生い立ちにとても似ているためなかなか冷静に観れない映画でもありました。

母の父は、医師の家系であり、医師である父が死んでから、大家族なため非常に貧乏になり、戦後金がないため高卒から医師ではなく警察官になった。祖父は警察学校の先生で、まわりから慕われていたらしい(母の談)。祖父は警察官でありながら、マルキドサドを愛読し。インテリでありながら、どこか風変わりな男だったらしい。らしい、というのは、彼は酒に溺れて、39歳で膵臓癌で亡くなったため、私は祖父に会ったことがないのだ。母が10歳の時だった。スペインの遠い国の、大昔の時代の映画にもかかわらず、彼らの心の有り様は、まさしく自分の母と祖父のような感じがした。名作は実感を齎すよなあ、と改めて感じた。「父には愛人がいた。」そのことを嬉しそうに話す母の顔がいまだに忘れられない。

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