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これからの時代のジェンダーを考える

インターネットで個人情報を入力する際に、「男性」「女性」の他に「返答しない」や「その他」のような項目が出てきた。
ジェンダーに関して、時代が大きく変わろうとしていると思う。
頭を切り替えないと、時代は変わっていく。そう感じて、私の考えるこれからのジェンダーを書いてみることにした。

今は、マイノリティ保護の立場もあり、「女性でも〇〇して良いのでは。」「男性だって、、、、。」などという表現をする。
これからは、こういった表現もなくなってくると感じている。

そこで、特に企業や公に文章やルールを作るときなど、どんな基準で考えればいいのかをここ何日か考えていた。

その基準が、「生物学的に性差が関係してくる事柄に関しては、性差を述べることができる。」ということである。
まだ思いついた段階なので、不備はあるかもしれないがこれが最善だと思っている。もう少し、ジェンダーについてはこれから勉強していこうと思っているところなので、参考文献があれば教えて頂きたい。

例えば受験生に聞いた話だが、同じ学校でも女性のほうが偏差値が高い。入学できる人数が、高校までは男子〇〇名、女子〇〇名と決まっているからだ。
入学できる人数を性別で分けることは、性差によってもたらす社会的生活(学校生活)と関係あるのであろうか?
答えは「ない」という時代になると思う。
男子校・女子校という括りは必要なのか?公に性差として、分ける理由を論理的に説明できるのであろうか?

だいぶ先のことになるが、英語やヨーロッパ言語の「He」「She」もなくなるかもしれない。分ける必要はない。

では、性差としてその必要性があるものの例は何であろうか?
スポーツは、性差として筋肉や身体のつくり、大きさが関わってくるので、男性・女性という分類は必要かもしれない。
しかし、個人的には、競争や勝ち負けの時代も陰りが見えてくるような気がしている。

よく言われている、男の子だから青、女の子はピンク、という考え方は、かなり見直されている。
しかし、色にバラエティが出てきても、男の子のイメージの色、女の子のイメージの色という括りはなくなっていない。
生まれてすぐに、親や大人によってもたらされ、身にまとった色のイメージの定着は悪でしかない。
幼稚園生が、「男の子なのに、ピンク?」なんて言葉を発してしまうのだから、大人がもたらす社会に対する罪はひどいものだ。
では、どう考えればよいのだろうか?それは、「男の子でもピンクOK」という風に考える自体が時代遅れだ。
色と性別は関係がないという前提に立つと、男の子だろうが、女の子であろうが、一人の人間として、Aちゃんはピンクが好き。似合う。それだけである。
そうすると、名前に男の子っぽい名前、女の子っぽい名前をつけるのもナンセンスだな。これは、今、はじめて気がついた。
4人の子どもたちに、「中性的な名前はやめよう」なんて考えてつけてしまった。時代にやられてたのは私だ。

つまりですね、性差とはお○ん○んがついているか、ついていないか。ついていると、身体は大きめになる。比べると強くなる。あとは、子どもをつくるときの生物学的役割の違いだけ。

実は今回のジェンダー考察、末っ子の言動から考えさせられている。
我が家は、男・女・女・男の順で生まれてきている。
上二人が女の子のこともあり、末っ子は、「ピンク」が好き。ドレスが好き。ドレスが着たい。ドレスを着たときの顔がたまらなくうれしそう。リカちゃん人形がほしい。
戦いごっこが好き。戦隊モノが好き。仮面ライダーが好き。乗り物が好き。
よく考えてみれば、バイアスのかかっていない、素直な子なのである。

彼は、お○ん○んがついているだけなのだから、美しいものが好きでも一人の人間としてあたりまえである。
生物学的な男の子と、時代遅れの性別の枠組みの女の子っぽい、男の子っぽいは関係ない。

もう一つ、末っ子から学んだ考察がある。
末っ子4歳は、「かわいい」「かっこいい」「すてき」の自分としての基準、定義をもっていて、自分で事象を分類する。
「スノボが上手だった人、かっこいいね。」
「この靴、すてきだよね。」
「○○先生はすてき。△△先生はかわいい。」
だから、自分のことを「かっこいいね」と言われると、「違うよ。すてきだよ。」と返す。
自分の中での価値観のもと、自分の存在は、「すてき」が一番フィットしているようである。
今までは、親である私の中に前提で、かっこいいは男の子。かわいいは女の子。なんて、時代遅れの考え方が占めてしまっていた。
だけど、そんな枠組みはいつのまにか出来上がっていた、もうすぐ時代遅れとなる考え方なのだ。
二人の姉がいて、保育園のクラスもなぜか女の子の多いクラスで育った、末っ子は、「すてき」な価値観を大事にしている。

世界に目を向けると、メイクも洋服もジェンダーレスな風潮が出てきている。
BTSの美しくも、かっこいい世界観。日本人の40代オーバーには理解できるだろうか?

そのバイアスをはずして、本質的に個人として生きる世界。
企業も、生物学的な性差による区別が必要な場合以外は、そのジェンダーを問うたり、マーケティングを行ったりすることも変えなければいけない時代になると思う。
そして、一気にそんな時代が来る気がしている。

若い人の感覚を学び、個人のセンスが幸せを創り出す時代。
せめて子供たちに、古い価値観を押し付けないように気を付けていかねば。

そう、末っ子に「女の子になりたい」と言われた。保育園で、「男の子だよ。」と言われたらしい。
「お○ん○んがついている女の子でいいんじゃない?」と答えてみた。
「男の子」「女の子」という言葉が使われない社会になるといいのかな。

追記:電車に乗って、思ったこと。
今は見渡すと、男性・女性が見かけ(服や髪形)で判別できてしまう。それは、社会的に作られたジェンダー。
これからは、見かけで男性・女性と判別できる必要はないのだろう。個々がそれぞれの色をまとっていればそれでいいと思うから。

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