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これからのあなたの人生の方が大事なのです。泣くなよ。がんばれ!

過去にあげた記事なのですが
とても心に残る内容なので再掲します。


ある特攻隊のとあるお話です。




大石清伍長は、空襲で
父を失い、重病だった母親も亡くします。


肉親は,妹である
静恵さん、当時小学生。



兄が戦場に行き、妹は伯父の元に
引き取られていました。



妹思いの兄は、
給与のほとんどを妹に送金しており、
このような手紙をやりとりしたそうです。



『静(せい)ちゃん
お便りありがとう。
何べんも何べんも読みました。
お送りしたお金、
こんなに喜んでもらえるとは
思いませんでした。


神棚などに供えなくてもよいから、
必要なものは
何でも買って、つかって下さい。
兄ちゃんの給料は
うんとありますし、隊にいると
お金を使うこともありませんから、
これからも静ちゃんのサイフが
空っぽにならない様、
毎月送ります。
では元気で、
おじさん、おばさんに、よろしく。』


そして、ついに出撃の時が来ます。
次の遺書を整備担当であった
大野沢さんに預けました。



『なつかしい静(せい)ちゃん!
おわかれの時がきました。
兄ちゃんはいよいよ出げきします。
この手紙がとどくころは、
沖なわの海に散っています。



思いがけない父、母の死で、
幼い静ちゃんを
一人のこしていくのは、
とてもかなしいのですが、
ゆるして下さい。



兄ちゃんのかたみとして
静ちゃんの名であずけていた
ゆうびん(郵便)通帳とハンコ、
これは静ちゃんが
女学校に上がるときに
つかって下さい。



時計と軍刀も送ります。
これも
木下のおじさんにたのんで、
売ってお金にかえなさい。


兄ちゃんのかたみなどより、
これからの
静ちゃんの人生のほうが
大じなのです。


もうプロペラがまわっています。
さあ、出げきです。
では兄ちゃんは征きます。
泣くなよ静ちゃん。がんばれ!』


この遺書を預かった大野沢さんは
次のような手紙を添えています。



『大石静恵ちゃん、
突然、見知らぬ者からの手紙で
おどろかれたことと思います。
わたしは大石伍長どのの
飛行機がかりの兵隊です。



伍長どのは今日、
みごとに出げきされました。
そのとき、このお手紙をわたしに
あづけて行かれました。
おとどけいたします。



伍長どのは、
静恵ちゃんのつくった人形を
大へん大事にしておられました。
いつも、
その小さな人形を飛行服の
背中に吊っておられました。




ほかの飛行兵の人は、
みんな腰や落下傘の縛帯の
胸にぶらさげているのですが、
伍長どのは、突入する時に
人形が怖がると可哀そうと
言っておんぶでもするように
背中に吊っておられました。



飛行機にのるため
走って行かれる時など、
その人形がゆらゆらと
すがりつくようにゆれて、
うしろからでも一目で、
あれが伍長どのと
すぐにわかりました。



伍長どのは、いつも
静恵ちゃんといっしょに居るつもり
だったのでしょう。



同行二人。
仏さまのことばで、そう言います。
苦しいときも、さびしいときも、
ひとりぽっちではない。
いつも仏さまがそばにいて
はげましてくださる。



伍長どのの仏さまは、
きっと静恵ちゃんだったのでしょう。
けれど今日からは伍長どのが
静恵ちゃんの”仏さま”になって、
いつも見ていてくださることと
信じます。



伍長どのは勇かんに
敵の空母に体当たりされました。
静恵ちゃんも、
りっぱな兄さんに負けないよう、
元気を出して
勉強してください。
さようなら』


幼い妹を一人残して逝く
大石伍長の句が残されています。



「妹のことを伯父にたのみ、
新宮駅にて訣別。
妹泣く。伯父上夫婦も泣く。
せめてあと数日、
妹の傍に居りてやりたし」


終戦まで3ヶ月弱前の5月20日、
特攻出撃。




この方が護られたのは
静ちゃんだけではありません。
日本も私達の今も護られました。
特攻隊について、賛否両論あると思います。
しかし、このような方が命をかけて
私達を護って下さったことに対して
私は心からの感謝と敬意を示します。
このような美しい日本精神の火が
一人でも多くの人の心に灯りますように。



美しい日本精神を取り戻すために
取り組ませて頂いています。
少しでもご関心がある方は
是非、ご覧ください。
お待ちしております。

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