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[雑記]私にとっての洋服(と、その後)

世の中のおしゃれな人たちには兄や姉がいたり、街の空気やさまざまな情報に影響を受けておしゃれな格好をしてきたのだと思うけれど、私はそうではなかった。ショッピングセンターしかない片田舎に住み、女の子なんだから赤やピンクの服を着ればいいという母と緑や青が着たいという私の攻防戦が多少あったものの結局はお金を出す母の意見がそこそこ通った服を着ていたし、それは高校に入った直後まで続いた。

思い返すと、当時の(そして今も)原動力の大半は“見返したい”という気持ちにあった。運動は嫌いでもそれなりにできると思われていたから、あとは勉強をひたすらがんばった。そしてその中学からまだ入学した人がいなかったレベルかつ県外の私立を目指して受験した。自分を無視することでバカにした人間に対して、テストの点数や合格不合格がわかる受験という絶対的な評価基準で上回って鬱憤を晴らしたかったのだ。

ある部分では、洋服への興味もこの延長線上にあるものだったかもしれない。スカート丈すらノーマルのままで着ていた数少ない生徒だったので、傍目にはずいぶん真面目に見えていたと思う。高校に入ってパーマをかけたら、「真面目だった○○さん(私)は高校でパーマをかけたらしい」と与り知らぬ地元の高校で話題になっていたと人づてに聞いたと記したら、周囲が私に持っていた印象が少しは伝わるだろうか。本当は真面目云々ではなく制服自体に興味がなかったのだ。(イケているとされた)ヒダの数やスカート丈、白シャツの襟の開け方やリボンの結び方にこだわって担任や生活指導の先生といつももめていた同級生たちの行動はこの上なくくだらなかった。

入学した私立の高校には制服がなかった。制服を巡る田舎ぽくくだらない攻防戦がなくなって喜んだが、それだけではすまされなくなった。制服がないということは、毎日自分で選んだ違う服を着ていかなければならないのだ。私からすれば同級生たちは皆、入学初日の時点でこの上なくおしゃれだった。内部進学が大多数を占める高校には京都の有名なセレクトショップに中学の頃から出入りする子も多く、それはそれはもうレベルが違いすぎていた。でも、それがよかったのかもしれない。珍しく中学時代のような、人と比べて悔しいとか悲しいとかいう気持ちがあまりわかなかったのだ。

それ以降はむしろ、「どうして自分には理想があるのに自分はまったくそこに当てはまらないのだろうか」と思う機会が圧倒的に多くなった。私の顔かたちや目鼻だちや体型は、自分の理想とは全然違っていたので好きなところがひとつもなかった(それは今でも同じ)。そんなこともあってか、洋服は次第にコンプレックスを一足飛びに覆い隠してくれるもの、という新たな意味と役割を担うようになった。身体のどこにも好きな部分はないけど、これが好きだと言える洋服があってそれを着ている。そのことは少しだけ自分の自信になった。年数を経て化粧品や装身具へと装うものは増えていったけれど、それらがすべて、些細な衝撃ですぐ折れそうになる心を守る鎧であることは変わらない。

誰も聞いていないのに洋服についての自分語りをしようと思ったのは、2013年5月に開催されたコミティア104で初頒布されたChapter22の新刊『My favorite Skin(あたらしいひふ)』を読んだからだ。

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無難で平均的な洋服の受付嬢(イメージはベージュと薄ピンク)、洋服に自信がない女性プロジェクトマネジャー(黒)、かわいいで武装するSEのバイトギャル(紫とショッキングピンク)、モード服に自分の存在価値を重ねるデザイナー(グリッターにパイソン柄)。総務、システム課、デザイン課と会社の中に散らばる4人の女の子たちの洋服と着飾ることへの想い、そしてそれぞれの洋服と人柄に対する印象が、職業ととてもうまくリンクさせて描かれていた。
この4人の中なら、自分が最も近いのはデザイナーの子だなと思った(自分はデザイナーではないし、今の洋服がおしゃれかどうかはさておく)。一番好きな場面は、彼女が世界の色が一気に変わるような洋服に出会った瞬間を思い出すところ。そして、ひとつも自分に好きなところがないならせめて大好きな洋服を、と思って照れるところ。そういう彼女の行動が、いつかの自分とまったく同じだったからだ。

大学生の頃、四条河原町の京都BALにあったコム・デ・ギャルソンでローブ・ド・シャンブルの黒いワンピースを初めて見た時のことは今でも忘れられないでいる。ハイブランドのキャッシャーにも関わらず、お札が足りなくて小銭までじゃらじゃらと出して払うというだいぶ恥ずかしいこと
をした。でもそんな周りの目がどうでもよくなるくらいに、どうしてもどうしてもどうしてもどうしてもそのワンピースが欲しかった。ジャージー素材で少しだけ変わったカッティング。ごくシンプルなのになぜか忘れられないデザイン。あの時の気持ちを思った途端に胸の奥がギュッとなった。あれからもうずいぶん経ったけれど、あんな気持ちになった洋服との出会いはそうそうない。

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女が好きな服と男が好きな服が違うのは知っている。自分の好きな服が「モテる」分野の範疇にはないことも知っている。ちなみに先のワンピースにはよくサングラスとドクターマーチンの6ホールを合わせて学校に行っていたが、そのせいか周りからえらく怖い人だと思われていたことをのちのち友達になった人から聞いた。

デザインに凝ったネイルも大きすぎるコスチュームジュエリーも見る人が見れば派手すぎるというのもわかる。今はこういう題材が流行りなのか、社会学者や作家やブロガーその他いろいろな人間がしたり顔で適当な定義をつけて分類している。でも彼や彼女たちは(当たり前だが)上っ面のことしか語る素材にしない。だいたい、誰にも好かれる服はわたしを助けてはくれない。やさしくて人当たりはいいけれど、泣きそうになった時に鋼の鎧になって「あいつらを見返してやる」と気持ちを奮い立たせてはくれないのだ。

赤い口紅を塗るには体力が要る。でも一度つけたら赤い色に引きずられて嫌でも動けるようになる。外反母趾で扁平な足には高いヒールで長時間歩くのは痛いし辛い。でも履いている時は背筋が伸びて自分が嘘でも強くなったように思える。そこには鋼の鎧が放つ光が溢れ、キラキラしたそれは自分を勇気づけ輝かせてくれる。

わたしにとっての洋服は、昔からずっとそういうものだったと思う。

ここ最近、好きなものやことを改めて思い返す機会が多い。大半が90年代の記憶を辿る作業になっているのだけれど、このマンガを読んだ後、やっぱり同じような作業をすることになった。わたしにとっての洋服はどんな存在だったのか。それを再確認させる言葉に今出会ったからこそ少し泣いてしまったのだなと思った。

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2013年5月10日にこんな日記を書いてから7年が経った(今回引用するにあたり少し修正を加えた)。日記を書くきっかけになったChapter22は高野雀の名義でマンガ家としてプロデビューし、同人誌だった『My favorite Skin(あたらしいひふ)』は2017年に祥伝社からコミックス『あたらしいひふ』として発売された。

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そして、女性をとりまく社会の認識も、少しずつだけど変わってきている。例えば、外向きには新たな時代における適切な女性の自立の形や地位を再確認する傾向、内向きには他人と比較するより自分の個性を活かし慈しもうという多様性の認識に基づく考え方の広がり、など。ファッションの世界でも、サイズや身体や肌など見た目に囚われないモデルや義足や車椅子に乗ったモデルが活躍の場を広げている。事実、そうした多様性をいち早く理解して展開したブランドは伸び、旧来の美しさにこだわるブランドは窮地に陥った。女性が持つ身体のコンプレックスやファッション、メイクに関する思いをストレートに歌詞に織り込んだバンドCHAIや同じく女性の在り方に関してエッジの利いたアジテーションを繰り広げるあっこゴリラのようなミュージシャンも増えている。
そして私もそれなりに歳を取った。高いヒールは物理的に履けなくなったし、身体に負荷がかかる見た目のデザイン以上に質のよさや心地よさへと興味が向くようになった。でも、見た目と内面の差異にこだわるところはまだ心の奥にちゃんとあるし、好きな服を着ていることが自分を強くしてくれるものであることは変わらない。

旧来の美しさやコンプレックス、ある種の考え方の呪縛から自由になろうという動きの急速な広がりぶりを見ていると、自分のような思いを持ち続けている世代はもうこれで最後なのかもしれない。ただ、自分らしさに自信を持ち自分の意見を伝えていくことと、自分の考えが最優先だとして周りに目もくれず無理に押し通すことは違う(ちなみに「梨泰院クラス」の女性マネージャーには最後までなじめなかった)。だから、外見のコンプレックスを個性に変えられ、内面では繊細さは忘れずに意見はきちんと伝えられる。そういう在り方こそが、これからの“美しい”女性像になっていくんだと思う。

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