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赤松啓介『民俗学の基礎的諸問題に就いて』の行方

 赤松啓介は柳田国男を厳しく批判し、性に関する民俗を中心に研究した人物として知られているが、戦前に赤松は「民俗学の基礎的諸問題に就いて」という著書を出版したとされている。この本について、赤松は「読書案内―柳田国男論」(岩田重則編『赤松啓介民俗学選集』第5巻(明石書店、2000年)に収録)で以下のように回想している。

(前略)ぼくが柳田民俗学について、第一に批判を集中したのは、その反動的性格である。柳田民俗学の価値、あるいは柳田の業績を公然とほめたのも、奇妙にぼくが最初であった。加賀紫水の主催する『土俗趣味』の双書として発行した『民俗学の基礎的問題に就いて』がそれで、これは僅か二、三十部、秘密出版みたいに出ただけで、一般の目には殆んど触れていない。その中心が柳田民俗学の批判にあったため、加賀紫水がほんの申わけに出しただけであったからだ(後略)

岩田重則編『赤松啓介民俗学選集』第5巻(明石書店、2000年)、P381

ここで赤松の述べている『土俗趣味』は『土の香』で「『土俗趣味』の双書」はこの雑誌と並行して発行されていた「趣味叢書」のことであろう。私が確認できた範囲では、確かに『土の香』第15巻第1号(1935年1月)に『民俗学の基礎的諸問題に就いて』が趣味叢書の1冊として発行されるという広告が出ている。しかしながら、岩田重則『赤松啓介  民俗学とマルクス主義と』(有志社、2021年)によれば、この本は土俗趣味社からは発行されず、戦後に兵庫県立尼崎工業高等学校社研クラブが100部を発行したのみであったという。上記に引用した赤松の回想は記録違いであったようだ。

 ところで、加賀紫水は赤松の本の発行を他にも計画していたようだ。『土の香』第16巻第3号(1935年9月)には、趣味叢書の近刊予告として栗山一夫(赤松啓介)『雨乞風俗の発生と展開』が紹介されている。しかしながら、私が確認できた範囲では、この本も発行されていない。

 ここで興味深いのは最終的に出版されなかったとしても加賀が赤松の本の出版を計画していたことである。『土の香』は柳田も注目していた雑誌であり、柳田と加賀の間に交流があったが、加賀の人間関係は柳田周辺以外の赤松にも及ぶほど広いものであり、その人間関係は柳田の影響をあまり受けなかったように思われる。赤松は当時マルクス主義の運動に関わっていたことから官憲からも目を付けられていたので、赤松の本を出版するのはそれなりに勇気が必要だったと推測されるが、その計画を立てた加賀は赤松の事情をあまり気にしなかったのだろうか。

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