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鳥類研究者・川口孫治郎について

 先日、柳田国男・高木敏雄が発行していた『郷土研究』の目次を確認していた際に、川口孫治郎という人物が多く投稿しているのを知ってこの人物のことが気になった。川口については、『日本民俗学大系』第10巻(口承文芸)(平凡社、1959年)の「物故者紹介 民俗学に寄与した人々」に載っており、最上孝敬「川口孫治郎伝」によって以下のように紹介されている。

明治六年、和歌山県有田郡御霊村(現・吉備町)西丹生岡に生まれ、東京高師文科の教育科を出て、一時和歌山、佐賀の両県で教鞭をとったのち、京都帝大法科大学政治科に入って明治四五年卒業、その後岐阜県高山の斐太中学や福岡県の若松中学、久留米明善校の校長として、さらに九州医専の教授として、令名すこぶる高かった。また早くから野鳥生態の研究に志し、公務の余暇はほとんどこのために費やされたが、晩年の二ヵ年ばかり京大理学部の嘱託となり、東奔西走各地に野鳥の生態を追って研究に没頭された。(中略)氏が観察旅行中、北海道の孤島松前小島でにわかに病をえたのは昭和一一年六月、以来静養の効なく逝去されたのは翌一二年三月で、氏はこの死のすこし前辛うじて、この最後の著書の出版を迎えられたのであった。/氏の生態観察が自然研究として優秀なものであることは、その道の人びとの等しく認めるところであるが、氏の研究は野鳥の生態そのものに限ったものではなく、これら野鳥に接してきた人びとが、野鳥に対する見方、態度というものにも焦点を合わせ、野鳥と人びととの交渉の面をも解明しようとするきわめて幅の広い厚みのある研究であった。そこに氏が日本民俗学の方面においても記憶され、尊重されねばならないわけがある。野鳥に関する古今、各地の名称、その鳴声のききなしなどから、食用としての野鳥、薬用としての野鳥のこと、野鳥を捕える方法、仕組、野鳥駆除のこと、その他野鳥に関する俗信の類など、すべて鳥の民俗に関する研究は、氏の熱心な収集、犀利な分析によって、その基礎をかためられたといえよう。(後略)

 川口は野鳥の研究だけでなく、鳥に関する民俗を研究していたようである。「ざっさくプラス」で確認すると、川口は民俗学・郷土研究関連の雑誌では『郷土研究』以外に『飛騨史壇』、『民族』、『島』、『郷土研究筑後』に投稿している。また、柳田が関わっていた「炉辺叢書」として、『飛騨の鳥』(1921年)、『続飛騨の鳥』(1922年)を出版している。川口は当時の民俗学研究者たちとどのような交流があったのかが気になるところだ。

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