田中美津さんへのインタビュー記事に思ったこと

このインタビューの存在は、ちょっととりわけ重みのあるものになる可能性があるような気がしたので、
思ったことを走り書きだけどまず書いておこうと思います。

なお環境上の理由により、動画は観られていません。(タイミングみて観たい)

備忘録です。

・太字の部分は、記事中の言葉です。

前編
『男の力誇示にNO「女性のための作品を」』
http://mainichi.jp/articles/20170220/k00/00e/040/228000c

後編
『抱えた「心の病」 自分を取り戻すことが大切』
http://mainichi.jp/articles/20170221/k00/00e/040/165000c


【前編について】


・性の解放
“性の解放”という言葉は、最近ではもう一歩進んだ(と言うか、オープンにしてもいい、ということはもう前提としてなされている)議論があって、それは「オープンにする方向だけが“解放”ではないよね」ということ。
私が欲しい“性の解放”は、ただしくは“性規範からの解放”なので、
オープンでいたいときにはオープンでいること、
けれどクローズでいたいときにはクローズでいられることが必要。
最近は、消費者のために・消費されることを目的として開陳された表象ばかりを“性的に解放された女性像”のように都合よく言われることが多いから、ちょっと注意して使いたい言葉。

しかし、もちろん前提としての「女ももっと性にオープンでいたい! もっとオープンでいいじゃない!」みたいなのには全力で賛同もする所存。

・「男の欲望ってこんなものなの?」
あー、これはセックスって実際やってみたら全然大したことなかったな、って思ったときのあの感じにもしや似ているのでは。

・「男目線で作られているAVを女性たちにこそ見てほしいと思っていました。「男によって幸せになる」というファンタジーを与えられ続けてきた女たちも、「こういうAVを喜んで見る男に頼っていたら、ろくな人生にならない」ということがよく分かると思うんです」
なるほど。

・『「女は主に妻として、母として生きよ」「その生き方の中で満足を得るのが女の一番の幸せだ」というデマを長い間、私たちは押し付けられてきました。そして、女の方から「そんなのうそだ」「私は母であるとともにエロい存在なんだ」と言い始めたのがウーマンリブだったんです』
そうだ、いいぞ、いいぞ!

・『「嫌な男にお尻を触られたくない。でも、好きな男が触りたいと思うお尻がほしい」』
それなー。
個人的にはそういう気持ちも欲求もないけど、そりゃそうだよねー。要は自分の体は自分のものって話よな。わかる、わかる。

・『「母であり妻であり、そして女なのよ」』
母であり妻であり、そして女であり、
しかしそれが女じゃなくてもいいよね、と私は言いたい。

・『人間の心の最も核心にあるのが性ですから』
私の心の核心にそれへの欲求はありませんが、脅かされたり勝手に扱われたりしたら大ダメージだ、ということはわかる。
(関係ないけど、私が無機物萌えするのは、そういう理由もあるのかしら)

・『「エロい私」に気付きたくない女の方が、いまだに多数派ですから。「AVの世界なんかに近付くからひどい目に遭うのよ」という考えの女性は、バッシングしている意識もなくそれに加担しています』
“エロい私に気づきたくない”のと、AVの世界に近づくからひどい目にあう、という(女性に限らず世間一般的に抱かれている)視座とは別ものでは?

・『「他から抜きんでている男らしい俺」を目指して自作自演』
あーーーみるみる! いるいる!
それしてることに気づいてもいなそうなナチュラルなそういう人、いる!


【後編について】


・「嗜癖(しへき)」
は? 嗜癖ってなにそれ?
(文末に解説あり、以下引用)

ある特定の物質や行動のパターンに執着し、のめり込むこと。英語では「アディクション」。習慣や嗜好が強まってコントロールが難しくなり、「周囲に迷惑をかけると分かっているのにやめられない」「それをしないと禁断症状が出る」など病的な依存のレベルにまで進んだ状態のことを言う。アルコールやたばこなどの「物質」、ギャンブルや買い物、仕事、セックスなどの「行為」、恋人や配偶者などとの「人間関係」など依存する対象はさまざまで、本人が依存しているという現状を否認しがちなのも特徴。概念としては軽症から重症まで広い範囲を含み、うち重症化したものが「依存症」と呼ばれ病気として扱われる。

・『100本単位のAV出演歴がありながら「強要だった」と訴えた元女優などのケースは「一種の嗜癖だろう」と分析。「その人にとって、嫌なものによって蹂躙(じゅうりん)されることが重要だったのではないか」と指摘する』
なぜ、強要“された”話なのに、本人が「嗜癖」によって招いたことのように語られているの?
そもそも、被害者のことをなぜ分析して語っているの? なぜ被害者が分析して語られなきゃいけないの?

・『被害者の心の傷が癒えて立ち直っていくためには「人権(回復)の視点だけでは圧倒的に足りない。AV出演で得たプラスの力をクリエーティブなことに生かしていくべきだ」と強調した』
立ち直りのために、人権(回復)の視点だけでは足りないこともあるだろうけど、人権の回復は必須条件なわけで、性犯罪一般でそこは全くなされていない現状なのに、人権の回復を目指すことを「それじゃダメだよ」みたいな言い方にしちゃうのはおかしくない?

・『AV業界というのは「自分を罰したい女」が集まりやすい職場だということです』
いや、それって「風俗やってる女の子は病んでる子が多い」っていう古くからの偏見とどう違うんだろう? 「魂が傷つく」論と親和性高すぎない?

(しかし氏の話ぶりからは「病んでいる」ことを悪いこと、弱いこと、病んでいる人を落とすような思いは感じられないので、そこはとても信頼したい)

・『数百本も出演して「強要だった」と訴えた人を「何を今さら?」と非難する人もいますが、そういう心の病があることを分かっていないと理解できませんよ』
いやいや、強要を本人の「嗜癖」「心の病」の話にしちゃうのはダメでしょう。
それに、もし万が一その状況を招いたのが本人の「嗜癖」の問題であろうが、強要しちゃダメでしょう、仕事なんだから。
なんで「誘ったあいつが悪い」みたいな話になるんだ。

・(「意に反するAV撮影で傷付いた」と訴えている人に対しての言葉として)『AV出演がクリエーティブな仕事でなかったのならば、本当にクリエーティブな仕事に関わることによってしか、たぶんその人は癒やされないと思います』
いやいやいや、何で癒されるとか癒されないとか、本人以外が決めて語ってはいけないのでは。それこそ、本人の回復を妨げるのでは。

・『「人権を守れ」という人たちと、「私たち(AV関係者)はダメな人間だと思っていない。ただ楽しく仕事がしたい」という人たちの対立に見えます』
そう見える、のはわかるけど、“私たち(AV関係者)はダメな人間だと思っていない。ただ楽しく仕事がしたい”から“人権を守れ”が必要なわけで、本当は対立すべき話ではないし、対立ではないところを目指せるように話さなければいけないのでは。
あと“人権”という言葉が自分の中から出てこなかった、というのはあくまで田中さん個人の話なので、“普通、みんな、そうだよね”って話ではないはずなのに、なんで一般化できる話みたいな文章になってるの?

・『「世の中の男女関係をそのまま映しているのがAVだ」という視点がなければいけません』
反映はされていようが、AVはあくまでフィクションでありファンタジーなので、“そのまま写している”とは言えないのでは。

・『立ち上がったAV女優さんを、「世の中に大きな顔ができないようなことに関わってしまった私」という場所に立たせてはいけない』
同意。

・『人権なんていう言葉でひとまとめにせず、名乗り出た一人一人の物語を大事にしていく方が、多くの共感を得られると思います』
ひとまとめにするまでもなく、人権は全ての人にあって、かけがえがないから話さざるをえないのでは。ひとりひとりの物語を大事にするためにこそ、人権のことを考えるのが欠かせないのでは。
人権への視点だけでは足りないのだとしても、その視点は欠かせない土台。土台のない場所で議論を積み重ねていくことはできないだろう。

以上。

※100円の支援をいただけると、「缶コーヒーの1杯くらいおごってやってもいいよ」と思っていただけたんだな、と感じて喜びます。

※800円の支援をいただけると、この記事を作成する時間分、子どもを安全な環境に預けるのに必要な保育料程度のカンパになります。



【サポートご不要です】こちらのnoteは非営利の作文です。サポートはご不要ですが、ほしいものリスト上記に公開しておりますので、そちらからプレゼントいただけると励みになります。浮いたお金は、記事の更新・取材費用などに使わせていただきます。お読みいただき、ありがとうございました!