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愛が足りない僕たちは

こんばんは。皆様いかがお過ごしでしょうか。

突然ですが、今回は

なぜ私は、マッチングアプリから抜け出せないのか。

という議題です。

実は、あと2時間でこの答えを出さなくてはならなくなりまして。到底答えなんて出そうにないんですが、ここに書いているうちにふわっと出るかなあ、なんて。

まあ、記事を2時間で書き終えたことなんてないのですがね。

彼女と私のコンプレックス

先日「隠れビッチやってました」という映画を見た。
男を落とすことだけが生き甲斐の女性が、落とすつもりのない男に愛されて自分を見つめ直す話だ(と解釈した)。

彼女の父親はDVをする人だった。愛され方も愛し方も知らない彼女は、他人からの愛に飢え、逆に本気で人を愛することに怯え、いざ愛そうとしても歪んだ愛情表現しかできなくなっていた。

これは流石に極端な例だけれど、私にも似たようなところはある。
私の家族はみんなバチ仲良し☆なので、「もういいよ〜」と言いたくなるくらい私のことを愛してくれている。たった一人、父親を除いては。

父親ははるか昔、私が父親の名前を漢字で書けるようになった頃、家から出て行った。出て行かされたのかもしれないが。

幼少期の父親との関わりは、確実に今の愛着行動(?)に関係していると思う。

愛された経験ある?

実を言うと、こんなにアプリで男と2人きりになるくせに、男女の感情抜きで異性と2人の空間にいることがとても苦痛なのだ。
男性社員と仕事でペアになった時、男性の美容師さん(アシスタント?)がシャンプーすることになった時、コンビニのレジの担当が男性だった時。え、そんなことまで?ってくらい細かなことまで意外と緊張してしまう。

恋愛対象として意識しているわけではないのだが、だからこそ振る舞い方に困ってしまう。恋愛感情がない相手への接し方がわからない。

異性=恋愛一択という思考回路だからなのだが、始まりはおそらく逆で、愛されることが存在意義なのだ。そしてその愛してくれる人は異性でなくてはいけなくて、つまり男から愛されることで私は生きていると感じる。(宗教みたいだな)

だから愛を期待しない男には何を求め何を提供したらいいかわからないのだ。

かすかに覚えている記憶の中の父親は、都合のいい時だけ私を可愛がり、自分が疲れている時や機嫌が悪い時は私や母親に当たり散らかしていた。
自転車に乗れるようになっても、習い事の水泳で進級しても、父親は私ではなく私より若い年齢で自転車に乗れた少年時代や私が成功できるよう指導した自分のことを褒めているようだった。

私は最初に知るべきだった異性(父親)からの愛され方を知らないのだ。

つまり私は、今更になってあの頃父親からもらうはずだった愛をかき集めて、愛されたことにしようとしている。空っぽの心の中を埋めようとしている。

父親からよりよっぽど容易く手に入る泡より脆い愛情たちは一瞬で弾けて消えて、心は一向に満たされないとも知らずに。

愛せるわけがない

そしてこんなに愛されたくてたまらないのに、ちゃんとした恋愛は怖くて踏み出せない。

愛さないと愛してもらえないことはわかっている。
でも裏切られるのが怖くて、無駄に疑って嫉妬してイライラして当たってしまう。相手には行動を求めるのに、自分は恥ずかしくてなんの愛情表現もできない。

高校生の時の将来性ゼロの純粋な恋愛も、大学生の時の外面第一の恋愛も、社会人になってからのレーダーチャートで正五角形を目指す恋愛も、全て相手からの愛を疑ってかかっていた。

誰かに愛される自信がない。だから誰かを愛せる自信もない。

その結果、なんの見返りも求めない浅はかな「恋愛ごっこ」がちょうどいいと思ってしまうのだ。


ふう。やっと答えに辿り着けた。ちなみにかかった時間は2時間、と3日と17時間。
なぜ2時間で答えを出したかったのかって?それはまた次の機会にとっておきます。

「親のせいにするな」と言われると何も言えないのだが、どうか可哀想なやつだと思って親のせいにして欲しい。もう成人してるのに自分の人生を親のせいにしかできない可哀想なやつだと。


流行り病

現代の個人主義やひとりっ子の増加は、私みたいな病の若者を増やす原因になっていると思う。
いくら夫婦円満、無病息災な環境で育っても、この時代に生きている以上罹る時は罹る病なのだ。

愛が足りない僕たちは、薄っぺらい愛を積み重ねていつか心を満たすことができるのだろうか。それともあの映画の主人公みたいに疑いなく愛してくれる誰かを見つけて、心を満たすこと自体を忘れられる日が来るのだろうか。

愛が足りない僕たちは、また今日も愛を求めて生きていくんだ。

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