川上弘美はゆうれいなのかもしれない −−『大きな鳥にさらわれないよう』を読んで

川上弘美の『大きな鳥にさらわれないよう』を読みました。

川上弘美の真骨頂だ、と思う。
そして、川上弘美というひとの書くものにどうしてこんなに惹かれるのかということについて思い至りました。

遠い未来のSFでありながら、いっぽうでこれは神話でもありました。
遠い未来、人類が衰退してゆく物語です。おそらくディストピア小説と呼ばれるものだと思います。
ディストピアというのは、もっと私から離れたもので、無味乾燥した世界のようなイメージがあったのですが、この小説はそういったイメージとは異なるものでした。ディストピア小説を読んだことがないので、これがこの小説独特のものなのかは、よくわからないのですけど。
でも、川上弘美が書いたものであるから、というのは大いに影響していると思います。

彼女はいつも、何食わぬ顔で不思議な世界に歩いていき、平然と馴染み、そしてどんな人物も、それが自分自身であるかのようになりかわることができるように思います。
そういった彼女の在り方が、本作でも見られます。特殊な能力を持つ人間やクローン、合成代謝を行う人間、果ては人工知能にまで、彼女はごく自然になりかわります。そして成り代わった人間(時には人工知能)でいるときには、自分を自分にとってのスタンダードとして持ち、異質なものを(別の章ではそれらにもなりかわっているにも関わらず)不思議に思ったり、恐れたり、する。
川上弘美の小説(時にはエッセイでさえそうなのですが)を読んでいる私たちは、彼女に手を引かれてそこを旅します。難なくすいすいとあちらこちらを行く彼女に連れられているため、私たちも水を漂うように滑らかに移っていくことができるのです。
そして、そういったそれぞれの彼らから見た世界を、私たちも垣間見ることができます。だからこそ、こんなに不思議な世界や暮らしの中にいる人々にも(時には人工知能にでさえ)共感することができるのだと思います。

「どんな人物にもなりかわることができる」と、私は言ったでしょうか。失礼な言い方、と誤解を招くかもしれないので避けたのですが、本当は「憑く」というほうがしっくりきます。どんな不思議な場所にも軽々歩いていき、どんな人物のなかにも入り込む彼女は、もしかしたらゆうれいとかそういった類のものなのかもしれない…と感じるからです。
思えば川上弘美の小説にはゆうれいだの魂だの気配だの、そういったものがたくさんでてきます。少なくとも、彼女はそういったものと親しんでいるように感じられます。

そうやって、知り合いに紹介してくれるように不思議な世界に私たちを連れていってくれる彼女との旅は、なんと心地のいい旅だろうと思います。そして同時に、なんとものすごい旅なのだろうと思います。
どの物語のなかでも、読み進めていくうちに、いつのまにかずいぶん深くまで潜っていることにふと気づくのです。相変わらず、川上弘美本人は何食わぬ顔をして、どこか楽しんでもいるようです。

本作もいい旅でした。

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