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究極の矛盾だったと知る事~私にとっての無力感・無価値感~



後日、ふと、昨年夏頃の向き合いで気づいた事を思い出しました。
それは、幼少期、それ以降、私は父親に過度に行動を制限されて涙するという日常だった為に、
自分には、生きる為に悲しむ事や悲しいと涙する環境状況が必要だと無意識に思い込んでいた事。
また、悲しいと涙するように物事を受け取る思考の癖がついていた、という気づきでした。
(note記事 自分の中の制限に気づく事~当たり前のようになっていた事~2023.9投稿)
気づいて、腑に落ちて、未完了だった感情を完了させる事が出来ると、それまでの胸につかえたような感覚が消えて、すっ...と消化出来た感覚になる(潜在意識が書き換わる気がします)ので、上記の気づき、またその後に気づいた事も、書いて投稿した後は、忘れてしまっていました。


その気づきを、ふと思い出して、私が心の奥に抱えていた無力感、無価値感も、あぁ...そうか...と。
そのどちらも、幼い頃、またその後、体験している環境が過酷だと捉えた私が、そこで生きていく為に、その環境で安心感を得て生きていく為に、私自身がそう思い込んでしまったんだな...と思いました。
(自分のせい、思い込んだ自分が悪いという事ではありません。)

幼少期、残念ながら、私は父親からの過度な制限と抑圧で、自分というアイデンティティを育てられない環境下で、気持ちを我慢する事が多い日常でした。
子供でしたので、自分の気持ちを抑えて適応して生きる為には、制限にいつも反発したり抵抗するよりも、自分は何も出来ない無力で無価値な存在なんだと受け取り諦める方が、楽だったんだと思います。
意図せずに、無意識にそう感じる事で、心のバランスをとっていたと思います。


人間には、そもそも生きたいという本能や、生きていく為に自分を守らないといけないという本能が備わっているそうです。
それからホメオスタシスという恒常性機能。生体が変化を拒み、一定の状態を維持しようとする働きの事で、心の(脳の)働きにもそれは備わっているそうです。
心の現状維持装置。心が(脳が)安心感を感じて生きたいが為にそもそも備わっている機能。



自分の体験を当てはめて考えてみました。
幼い私にも、生きたい思いと、自分を守らなければいけないという本能があったので、
その、そもそも備わった心(脳)の仕組みに添って、与えられた環境に適応して生きようとして、私は無力で無価値だという思い込みをしてしまった。
本能で、無意識に、気づかずに、
ただ自分で自分を守って安心感を得て生きる為に、真逆の、本来は安心しない、自分が苦しむ思い込みをしてしまった。
安心感を得て生きる為の思い込みが、生きづらくなる為の思い込みだった。
幼い時に、心の中心部分に、この大きな矛盾が出来てしまい、それが私の中で、恒常性機能によって保たれる事になってしまった。
この事が、その後の人生に作用し続けて、生きづらさに繋がってしまったのではないか...と、思いました。


その作用によって、自分が生きる為には、無力感、無価値感を感じる環境状況が必要なんだと、無意識に思ってしまっていた。
そして自分は無力で無価値なんだと感じるように物事を受け取る思考の癖がついてしまい、無意識にその思いがいつも働いて、物事のちょうど良い加減、いい塩梅がわからなくなった。
その為に、色々な物事を完璧にしたい(しなければ)とか、頑張り過ぎ、無理し過ぎという行動に無意識に繋がっていた、のではないか...?と思いました。


こう気づいた時、...あぁ...私は...そうだったのかもしれない...と気持ちが抜けて、緩みました。自分なりに腑に落ちました。


そして、もしかしたらですが、生きづらさを感じていらっしゃる方の中には、心の深い部分に、私の場合と同じ幼い頃に作った無力感や、無価値感の思い込みがあったり、それとは別の感情の思い込みがあったりするのではないかな...と思いました。


気持ちが抜けて、緩み、自分なりに腑に落ちたと
同時に、私のエゴはそういう思考回路だったんだ...と静かに驚いて、頭を抱えました。
そうだったんだ...と。私には難しくて、今までずっと気づかなかった...と。
専門の先生やカウンセラーさんに相談したら、もっと早くこの事がわかったかもしれない。頼ればよかった...と、この時、頭を抱えたままそう思いました。


私のエゴを、私を守ってくれる思い込み、思考の癖、もう1人の私という視点で捉えてみました。
エゴは、私が当時の日常の環境で生きられるように、私の事を最優先で考えてくれて、誰よりも私を守る為に、私の事を考えてくれて、我慢の日々が辛かった私が心に折り合いをつけて生きられるように、ずっと全力で守ってきてくれた。
だけど、それは、幼少期、1番最初に心(脳)に矛盾を作っていたから、私を守るつもりで、私に、無力感、無価値感を思い込ませていたから、
その結果、年齢と様々な体験を重ねるうちに、
思い込みが増えて、重なり合って作用し合い、
「生きる為に生きててはいけないという究極に矛盾した思い込み」に発展してしまった。
だから、どうしようもなく生きづらかった。
私流で、偏った見方かもしれませんが...、私は腑に落ちた気がしました。


心の中にあった矛盾に気がつかず、本当に、本当に生きづらく苦しかったけれど、私が今まで生きてくる為の思い込みだったんだ...と思いました。
私は、私のエゴに、
もう思い込みがなくても、私、生きられるよ...。
もう私、大丈夫だよと。
本当にありがとうね。
幼い頃から、今まで、ずっと私が...生きられるように、守ってきてくれて...本当に...ありがとう。
...ありがとう。
心からそう思い、自分の胸に手を当てて、言葉にして丁寧に伝えました。
幼い頃から今までの、色々な事が思い出されてきて、涙が止まりませんでした。
心の中にあった、最後の捻れがとれたような気がしました。
この、捻れのないまっすぐで平たんな心の状態が、私が戻りたかった、本来の私のような気がしました。



時間の経過と共に、この、心が楽な感覚、心が楽で深呼吸出来る感覚が常に私のベース。私のニュートラルな地点だと、再度感じられました。
この気持ち、感覚が私の真ん中にあって、あるからこそ、この 0地点から、日々少しずつ成長していけばいい。休んだり、後戻りもしながら、ゆっくり、焦らず、自分の速度と歩幅で。あらためてそう思いました。




Blizzard/Mrs. GREEN APPLE



お読み頂き、ありがとうございました。






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