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【パロディ】坊っちゃん(猿蟹合戦)

 うらなり君を延岡に左遷した赤シャツと野だはとうとう坊っちゃんに仇を取られた。坊っちゃんは山嵐と共に、怨敵の赤シャツを成敗したのである。――その話はいまさらしないでも好い。ただ赤シャツを殴った後、坊っちゃんを始め同志のものはどう云う運命に逢着したか、それを話すことは必要である。なぜと云えば夏目漱石「坊っちゃん」は全然このことは話していない。
 いや、話していないどころか、あたかも坊ちゃんは東京で街鉄の技手になって清と一緒に住み、太平無事な生涯でも送ったかのように装っている。
 しかしそれは偽である。彼等は仇を取った後、警官の捕縛するところとなり、ことごとく監獄に投ぜられた。しかも裁判を重ねた結果、主犯坊っちゃんは執行猶予なしの有罪判決、共犯の山嵐も実刑判決の宣告を受けたのである。小説「坊っちゃん」のみしか知らない読者はこう云う彼等の運命に、怪訝の念を持つかも知れない。が、これは事実である。寸毫も疑いのない事実である。
 坊っちゃんは彼自身の言によれば、赤シャツはうらなり君を延岡のような田舎に左遷させ、山嵐までも辞めさせたと云う。しかしうらなり君は自分の希望で延岡へ赴任することになっており、山嵐も暴力事件を起こしたから仕方がない。そもそも二人の処遇に関して、赤シャツに悪意があったかどうか、その辺の証拠は不十分である。だから坊っちゃんの弁護に立った、雄弁の名の高い某弁護士も、裁判官の同情を乞うよりほかに、策の出づるところを知らなかったらしい。その弁護士は気の毒そうに、坊っちゃんの親指の傷痕を見ながら、「あきらめ給え」と云ったそうである。もっともこの「あきらめ給え」は、実刑判決を下されたことをあきらめ給えと云ったのだか、弁護士に大金をとられたことをあきらめ給えと云ったのだか、それは誰にも決定出来ない。
 その上新聞雑誌の輿論も、坊っちゃんに同情を寄せたものはほとんど一つもなかったようである。坊っちゃんの赤シャツに対する暴行は私憤の結果にほかならない。しかもその私憤たるや、己の無知と軽卒を赤シャツにたしなめられたのを忌々しがっただけではないか? 優勝劣敗の世の中にこう云う私憤を洩らすとすれば、愚者にあらずんば狂者である。――と云う非難が多かったらしい。現に商業会議所会頭某男爵のごときは大体上のような意見と共に、赤シャツに暴力をふるったのも多少は流行の左翼思想にかぶれたのであろうと論断した。そのせいか坊っちゃん暴行事件以来、某男爵は壮士のほかにも、監視カメラを十台買ったそうである。
 かつまた坊っちゃんの行為はいわゆる識者の間にも、一向好評を博さなかった。松山在住の某民俗学者は、坊っちゃんは松山のことを「大森ぐらいな漁村」とこき下ろし、さらには「野蛮」や「不浄の地」などと言い放った。これは四国民としては許し難いと云った。それから延岡観光協会会長は坊っちゃんが延岡のことを「山の中も山の中も大変な山の中」や、「猿と人とが半々に住んでる」などとデマを流したために観光客が減り、風評被害で大打撃を受けていると憤った。赤シャツのことを「嘘つきの法螺右衛門」と云う前にご自分の発言を見直してはいかがかと苦言を呈した。それから坊っちゃんの中学校の生徒の一人は、ゆっくり喋ってくれとお願いしただけで、「おくれんかな、もしは生温るい言葉だ。おれは江戸っ子だから君等の言葉は使えない、分からなければ、分るまで待ってるがいい」と愛着のある方言まで馬鹿にされたと云った。これは東京人の地方に対する明らかな蔑視であり、彼は差別主義者ですと涙を流して訴えた。それから同僚の古賀先生は、坊っちゃんが僕のことを「うらなり」だとヘイト発言したために、「うらなり」という不名誉な綽名が定着してしまった。しかも「あんな山の中へ猿のお相手をしに行く唐変木」呼ばわりまでされたので、名誉棄損で民事訴訟を起こすつもりだと公表した。それから――また各方面にいろいろ批評する名士はあったが、いずれも坊っちゃんの行動には不賛成の声ばかりだった。そう云う中にたった一人、坊っちゃんのために気を吐いたのは、某国のハニートラップにまんまと引っ掛かったとの噂の某代議士である。代議士は坊っちゃんの行動は武士道の精神と一致すると云った。しかしこんな時代遅れの議論は誰の耳にも止るはずはない。のみならず新聞のゴシップによると、その代議士は数年以前、道後温泉に行った時に性接待がなかったことを遺恨に思っていたそうである。
 小説「坊っちゃん」しか知らない読者は、悲しい坊っちゃんの運命に同情の涙を落すかも知れない。しかし坊っちゃんの有罪は当然である。それを気の毒に思いなどするのは、婦女童幼のセンティメンタリズムに過ぎない。天下は坊っちゃんの有罪を是なりとした。現に判決の下った夜、判事、検事、弁護士、延岡市民、松山市民等は四十八時間熟睡したそうである。その上皆夢の中に、天国の門を見たそうである。天国は彼等の話によると、封建時代の城に似たデパアトメント・ストアらしい。
 ついでに坊っちゃんが牢屋に入った後、坊っちゃんの家庭はどうしたか、それも少し書いて置きたい。清は売笑婦になった。なった動機は貧困のためか、彼女自身の性情のためか、どちらか未に判然しない。坊っちゃんの兄は小説家になった。勿論小説家のことだから、女に惚れるほかは何もしない。ただ将棋を指し卑怯な待ち駒をするばかりである。坊っちゃんには息子がいた。息子は親譲りの無鉄砲だったから、損ばかりしていた。それが物理学校の前を通り掛かかったら生徒募集の広告が出ており、――その先は話す必要はあるまい。
 とにかく赤シャツと戦ったが最後、坊っちゃんは必ず天下のために成敗されることだけは事実である。語を天下の読者に寄す。君たちもたいてい坊っちゃんなんですよ。

(令和五年一月)








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