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何回も人生迷子になりかけたけど、3年間勉強を続けたら転職成功したし、人生好転したよって話 【退職エントリ】

こんにちは。まもーと申します。ほぼ初noteです。
2024年2月に新卒から約7年間働いた日系メーカーの開発部門を退職し、
3月より同じく日系メーカーのマーケティング部門で働いています。
おそらく日本人のほとんどが1度は聞いたことのある企業ではないかと思います。
兼ねてから仕事を通じて海外で働きたい、英語が流暢に話せるようになりたいという思いが漠然とあり、前職ではそのキャリア実現が難しいと考え、今回行動して
転職する運びとなりました。
転職先は海外売上比率の非常に高い企業で、多数の海外顧客、ベンダとやり取り
するため、業務での英語を使用したコミュニケーションが必須になります。しかし、前職では英語を話すどころか、英文を作成してのメールのやり取りすらやったことのない状況でした。また、企画部門との業務を通じてのやり取りはありましたが、マーケティングに関する専門知識等もありませんでした。こういったバックグラウンドの私がどのようにして、転職を成功することができたのかを書き残すことで誰かの参考や助けになれればと思い、今回記すことにしました。
また、人生においての1つのターニングポイントになるとも思ったのでこれまでの
経歴で都度感じたことも含めて備忘録として書き連ねたいと思います。


こんな人に読んでほしい!!

・漠然と将来に不安を抱えている人
・今の仕事を一生続けるイメージが湧かない人
・自分の歩みたいキャリアがよくわからない人
・大企業の配属ガチャに敗れて露頭に迷った人
・将来のために努力したいけどなかなか続かない人
・転職考えてるけど色々なことが不安で一歩踏み出せない人
・ただただ給料を上げたい人
・周りから変わっていると言われて落ち込んでしまう人
・自分の人生を諦めたくない人

上記、全て20代の頃に私が抱えた悩みです。継続や転職を通じてそのほとんどは
改善される方向に向かいました。同じ気持ちを抱えている方々は、本当にたくさんいるかと思います。そういった方々に少しでもやる気や勇気を与えられたら嬉しいです。

自己紹介

・30歳 (北陸出身、大学から東海在住)
・1浪の末、地方国立大学 生化学専攻の学士卒 (大学院は不合格でした)
・日経225採用プライム上場メーカーの総合職 (マーケティング部門)
・前職ではインフラ機器メーカーの新規システムや、支援アプリの開発を担当
 (17卒)
・会計、IT、Financeの知識をかじり、それぞれ資格取得
・今年の4月で社会人8年目
・今回が初転職
・海外留学および渡航経験なし (パスポート発行の仕方がわかりません)
・御朱印集め、スタバガチ勢 (別記事にて執筆予定ですw)

学生時代から新卒入社まで

大学時代

地元がとても田舎(電車は1時間に1本が普通)だったこともあり、当時の思い描
いてた進路は「将来何になりたいか」ということよりも「大学でどの街に住みたいか」ということに重きが置かれていました。今思えばとんでもない話ですが、そのくらい都会に憧れていました。そこから紆余曲折あり、一浪の末、三大都市の国立
大に入学し、都会暮らしを実現できましたが、そこで早々問題にぶち当たります。

化学の勉強全然楽しくねぇ・・・

大学選びの軸が ①都会にあるかどうか  ②自身の偏差値相応かどうか の
2つしかなく、化学科を選んだのは当時他教科より少し点数が高かったからだけでしたので、「俺が勉強したかったのはこれじゃない、、でも勉強したいことなんてない、、」みたいな現代の学生によくある状況に陥りました。学業については怠惰を極め、当時学外でやっていたサークル活動にのめり込んだこともあって常に留年ギリギリの成績で、進路選択を先延ばしするために受けた大学院も内部生でほぼ唯一の不合格になりました。本当に倍率が低い試験だったので、当時は自分も周り
も落ちるとは思っておらず、ポケモンばりに目の前が真っ白になりました。それでも時間は前にしか進まないので、2日で就職するという決断をし、8月最終週に
スーツを買って就活開始
というかなり笑えない状況でしたが、化学を扱う企業
では、絶対やりがいを持てず鬱になると思ったので専攻を活かせるという切り口は無視して、
①企業規模が大きい
②グローバルに展開している
というこれまた量産型大学生みたいな企業選びの軸で選考を受け、奇跡的に
内定をいただけた自動車部品メーカーの前職に入社する運びになりました。
グローバル業務においてキーとなる英語については得意ではありませんでしたが、
英語自体が好きだったので業務を通していつかペラペラになれればいっかくらいに
考えていました。内定式などの入社前イベントも楽しみ、多くの同期と一緒に会社に貢献する未来を描いたりもしていました。
ちなみにこの時期、就活生の多くが手に取る就活四季報については卒業してから
初めてその存在を知りました。

前職時代 (低迷期)

1年目

無事に大学を卒業でき、4月に内定をいただいたメーカーに入社しました。
本社近くのアパートに住み込みで行った約2ヶ月間の研修では出身、専攻、年齢
など全てがバラバラな同期に囲まれて毎日が新鮮さに溢れていた一方で研修とは
いえ仕事中の1日が進む遅さだったり、土日休みのありがたみなどを感じました。
GW終了後、研修日程を終了した後に発表された配属発表で再び事件が起こります。当時の私は自動車部品を扱うどこかの拠点でグローバルな仕事ができればいいかーと思って希望を出しましたが、配属されたのはインフラ機器の開発部門でした。自動車業界に携わるばかりと思っていたので、また目の前が真っ白になり配属
地を言われても県内なのか県外なのかもわかりませんでした。
困惑したまま、休む間もなく配属先に異動します。新卒は、「製造現場を知る」
という名目で1年間の工場実習をするのですが、配属直後の説明で製造している
製品の市場がほとんど国内であることを伝えられました。

もう絶対海外行けんやん・・・

入社してわずか2ヶ月でモチベーションが爆下がりしたのを覚えています笑。
工場実習の方は初め、ライン作業者として1日数千個の部品のバリ取りや
検品を行う仕事を与えられました。ここから徐々にいろんな工程で実際の
製造を体験させていただいたり、工場他部署の業務も教わったりするのかな
と思っていました。実際は、、、
バリ取り作業 (2ヶ月後). ← そろそろ他の仕事も教えて欲しいなぁ、、
バリ取り作業 (半年後) ←. 実習とは??


バリ取り作業 (1年後) ← 脳死状態
なんと1年間ずっと同じ工程同じ作業をやって1年目が終わりました。実習が
始まって最初数ヶ月は次の仕事が振られるのを待っていましたが、半年後には
脳死でヤスリを握っている自分がいました笑。
今思えばここでも直接提言して、いろいろ指示して貰えばよかっただけの話なのですが。当時は実習生だったこともあり1人で行動するのに壁がありました。
行動して現状を変えるなんてことも考えられず、終業後もだらだらして、土日の
休みに遊ぶことが生き甲斐でした。勿体なかったなぁ笑
「グローバルに働きたい」が当初の理由で「ものづくりに携わりたい」感覚が
なかったことも、なんでメーカーに入ったんだろうと自問自答しまくる理由に
なりました。
スタバへ行くことなど頭の片隅にもありませんでした。

2年目/3年目

1年間の工場実習を終え、新卒時に告げられていた開発部門へ本配属となります。
既存の製品の改良や新規機能開発、量産設計ではなく、数年後の市場投入を見据え
た先行的な開発を中心に行なっていたチームで業務を行いました。
ハードウェア分野の技術者として、CADを使った治具設計や電気回路設計をさせていただきましたが、ここでも違和感を感じます。
職場にはいわゆる職人気質の技術者が多く、黙々と図面を引いたりして設計業務を
行い、社内の人とコミュニケーションをとりながら業務を進めるのですが、

社外とのやり取り少なくね??

自社で設計したり先行開発する場合、基本的にコミュニケーションを取るのは
社内の人のみで、協業先に外注しても1社だけという状況、顧客からのフィードバックもあったのかもしれませんが届かず、実際に自分が開発している製品が
市場に出て役に立っているイメージが浮かびませんでした。
「開発部門は社内外様々な人を巻き込みながらものづくりをする」意識があった
ため、仕事を通じて人脈が増えていかない状況に違和感がありました。
また、よく技術者のやりがいとして謳われている「自分が携わった製品が出来上がったり動いたりした時にやりがいを感じる」というのもその当時はあんまりよく
わからなかったというのが正直なところでした。
これではパフォーマンスが出るはずもなく、普通の人では考えられない失敗なども
よくしました。当時の上司にも「いろいろ業務やってもらって適性見てるけど、
何の適性があるかわからない。適性がある分野がないのかもしれない」と面談で
面と向かって言われたこともありました。流石にそこまで言うなよ、、と思いましたが当時の自分の業務パフォーマンスでは仕方ないかなと思います。
あまり詳しくは書けませんが業界の閉塞性や賃金状況などもあって、この頃くらい
から同期の退職も散見され始めました。
「○○さんも辞めたのか〜、自分も転職活動してみようかな、でもノースキルだし
実績もないし、成功しないだろうな、、」と卑屈になって何もできる3年目まで
はひたすら平日を消化する日々が続いていました。
これではまずいと思い、その年の冬に社内で配布される移動希望調査に希望を記載して提出しました。
理由は「顧客と近い距離感で仕事をしたい」とかだったと思います。
この行動が後々効きました。

前職時代 (変革期)

4年目/5年目

この年が転機になった方も多くいるかもしれません。4月から新型コロナウイルスの感染拡大が始まりました。前職でもテレワーク等の環境が早急に整備されました。家でも仕事ができるもんだな〜と思っていた矢先に初めての異動があり、既に市場に投入されている製品を担当している開発部署への異動でした。
異動当初、新しい上司からは「開発部門からは出せないけど顧客と近い立ち位置で仕事できるよ」と言われ開発なのに??と訳が分かりませんでしたが徐々にその言葉の意味がわかってきました。
今思えばこの異動がなければ転職も実現していないです。
異動部署での開発業務はほぼ全て設計や実装を自部署で行わず、協業先とコミュニケーションをとりながら仕様を確定し、実装を委託する手法での開発を行なっていました。ほとんど開発というか企画のような業務内容でした。試作品1つとってもハード、ソフト、通信、多くの領域でベンダと協業することになります。必然的に人脈が増え、前部署でのモヤモヤ要素が消えることになります。これが自分には
ハマりました。コミュニケーションが得意では断じて言えないのですが、仕事で
新しい人とやり取りしていくことはスリル感があり、初めてやりがいを持てるようになってきました。
5年目の終盤にはソフトウェア分野で新規システム開発やアプリ開発のプロマネ
的な立ち位置もやらせていただきました。部下もつけられるようになり、主体的に指示して業務を進めることができるようになっている感覚がありました。
業務にやりがいを持てるようになった時、ふと原点に立ち返りました。
「今やってるような業務を英語使ってGlobalにできるようになったらもっと楽しいだろうな」
入社時に思い描いていたグローバルに仕事をしたいことを思い出しました。
かなり朧げですが、この時の感覚が最後の決断につながります。
仕事ではキャリアを積めるようになってきましたが、会社自体は業績が振るわず
コロナも相まって賞与の大量減額なども経験しました。

また、ちょうどこの時プライベートで自分の人生の生き方を見直すきっかけとなることが2つ起こりました。

1つ目は時系列が前後しますが、4年目の最後に当時付き合っている彼女と
お別れしたことです。別れた理由は細かくは書けませんが、端的にいうと
お相手が自身の夢に挑戦したいからということでした。
夢を持って職業に就いたことなど話してくれて、お別れすることは寂しかったですが、同時に尊敬の気持ちと「今の自分は日々夢とかやりたいことを持って日々生きれているかな、いやいないだろうな」と感じ、純粋にやりたいことに挑戦する生き方をしたいなとパラダイムシフトが起こるきっかけとなりました。

2つ目は5年目にあった実家の祖母との死別です。
大学入学直前まで同居していたこともあり、大切な家族との死別で三日三晩
泣き続け、嗚咽も経験しました。
年明け時点までは本当に元気で、容体が悪くなって、入院から死までの
スピードが早く、こんなに人はあっさり逝ってしまうのか、と感じました。
同時に、「人はいつ死ぬかわからない、今は健康でもいついなくなるか
わからない。だからこそ、今1日1日を懸命に生きなきゃならない」

亡くなった祖母が私に教えてくれたようにも思いました。

上記2つの事が同時に起こったのもあり、5年目の頃には
「周りに流されず、1日1日、自分のやりたいことに挑戦し続ける人生を
歩み続けよう
」というマインドにほぼ切り替わりました。

前職時代 (挑戦期)

5年目〜7年目中盤

「やりたいことに挑戦しよう」とは思ったものの、最初は自信が挑戦したいことがわかりませんでした。
会社の業績が低下してきていて、ゆくゆくは転職しようと思っていたので、自分の
望めるような転職 (挑戦)ができるような挑戦をしようと思い立ちました。
どのような転職を実現したいか考えた時、3つの条件が浮かびました。

1:お客様から感謝されるか
2:年収がUPするか
3:自分のやりたいことができるか

1については、前職時代から抱いていた不満です。
・インフラ機器なので、消費者にとって存在することが当たり前と思われている点
・コモディティ化が進み、そもそも顧客が新規機能を望んでいない中で
 無理やり新規機能を考えて開発している側面がある点
・BtoB製品のため、エンドユーザーからの意見がない点

上記の点が改善されるものづくりであればやりがいも増すのではないかと考えました。BtoB製品は世の中に必須のものですが、やはり仕事のやりがいは感謝から感じるもの。多くの消費者の手にとってもらえる製品に携わりたいと考えました。

2については言わずもがなです。2,30代で攻めの転職を考える人なら考えない人
はいないと思います。

3については5年目に思い始めた「英語を使ったシステム企画/開発」が本当に
自分のやりたいことなのかを深掘りして考えました。実際に転職した後にやっぱり
違うってなったら終わりなので。
深掘りする際、「他の職種の資格勉強をしてみて、それに興味が湧くか」をやってみることにしました。やはり企業においては様々な知識を駆使したジェネラリストが求められると前職の人事を見て感じたためです。また、
「人生100年時代でこれから何十年も働くのに狭い分野の知識しか身につけないってもったいなくね?」と思えたのも理由です。
資格勉強を始めるにあたり、当時世間では「英語・会計・IT」がビジネス三種の
神器と言われているのを知りました。
英語は元々勉強するつもりで、ITも仕事で触れていたのですが、会計については
全くわからず、「貸方、借方何それ?美味しいの?」状態でした。
当時、資格勉強を甘く見ていたので「英語・会計・IT全部ある程度知識つけて
その中で興味もてた分野に転職するか」という感覚でした。
純粋な興味もあり、会計の方から資格勉強を始めました。
簿記2級を取得した時点で勉強期間は7ヶ月、

「標準レベルの資格取るのにもめっちゃ時間かかるやんけ、、、泣」

早く気づけって話ですよね笑
1つ1つの資格を取得するのに私の地頭ではまあまあ時間かかることがわかった
ので、当時28歳でしたが目標を変更し

「30歳になるまでは資格勉強ガチって知識つけるか」

としました。
上で書きましたが「大学時代に勉強をサボりにサボっていたことに対する負債返済」、「社会人だからこそできる、課題などに捉われない自由な勉強」が純粋に
楽しいと思えたのも理由です。
また、勉強始めてSNSなどを覗くと、
「働きながらなりたい自分になるために勉強している人なんて腐るほどいる」
ことも知ることができ、たくさんの仲間ができたことも継続できた理由です。
色々やりましたが社会人の勉強は視野も広がるし、自分に自信つくしで良いこと
しかありません。断言します。もっとも手軽にできる自己投資です。
以下、3年間の実績です

総勉強時間 2127時間 (2021年3月〜2024年3月2日 現在)
2021/06 日商簿記3級 合格
2021/10 日商簿記2級 合格
→経理へのキャリアチェンジ却下
2022/01 TOEIC 700点取得
2022/06 AWS CFA 合格
2022/10 基本情報技術者 合格
2023/03 FP3級 合格
2023/06 FP2級 合格
→Finance分野のキャリアチェンジ却下 (副業として検討中)

転職後も勉強を継続する予定ですしTOEIC900点、IELTS6.0に向け今後も
頑張っていきたいです。
(追記)
3年間の勉強継続のために実践したことだったり意識していたことを別note
にまとめました!自分の趣味的な要素がやや多いかなと思いますが良かったら
参考にしてみてください。

7年目中盤〜退職

英語・会計・IT (Finance)の資格取得を一通り終えたところで再び自分に
問うたところ、「システム企画/開発を英語で推進できる仕事」をやりたい仕事
として、転職活動を行うことに決めました。簿記やFinanceの知識も大変面白く
企業全体の資産の動きを分析できる経理をやってみたい気持ちも多少芽生えましたが、「未経験で大手企業に転職してサバイブしてまで経理をやりたいか」と言われると答えはNoでした。

資格取得後に行うと決めていた転職活動ですが、特にこれが他の人と違っていた
ということはないと思います。オーソドックスなやり方で進めました。
大手転職サイト登録→転職エージェント面談→エントリー企業選定→履歴書・職務経歴書作成→面接練習、予想質問回答作成→Web面接(一次、最終)→内定→承諾の後、労働条件通知書受領

海外売上比率が高く、今後海外駐在のチャンスを掴める可能性があり、その上で
本業と近しい業務を行なっている点、TOEICが募集要件にあり、しっかり選考時に英語力で足切りしている点、BtoC製品を取り扱っており、顧客を感動させられる製品に関われそうな点から企業から頂いた内定を受諾し、入社させていただく運びとなりました。
面接時、内定先には簿記、FPなど実際の業務に関連しない資格を取得したことにも触れていただき、無駄じゃなかったんだと実感でき、それが嬉しくてWeb面接終了後に号泣しました笑。そういったこともマーケティング経験なしの自分が内定をいただけた要素だったのかなと今は思えます。
転職活動を通じて感じたことは、ほとんどの企業が最終面接まで全てWebであり、
特段有給を取得して受験しに行く必要がないこと、エージェントの方が平日は1日中面談していると言っていたことから中途採用市場は拡大しまくっており、転職
が当たり前になっているのを肌で感じられたことも良かったです。
転職先の人事の方も言っておられましたが現在は転職市場が活況であり、大手企業であってもどこも若手中心に離職者が多く人材確保に必死とのことです。
裏を返せば新卒就活の重要性が薄れてきており、新卒で思うような結果にならなかった人でも諦めずにチャンスを掴みに行けば報われるようになってきていると解釈しているので良い時流に乗れたんじゃないかなと。現職の不満ばかり言って行動していない方、それが自分の価値を下げています。いますぐ行動を開始しましょう。令和時代は最高です。

振り返り

3年目までの状況で転職していたら、本業を生かした転職になっておらず、
ここまで納得のいく転職になっていたかは分かりません。振り返った時に
部署異動、マインドセットが変わる出来事が起こったことが自分のターニングポイントだったと思います。ただ、どちらも望んでおきたことではないのでそれを良い方向で解釈することができた自分は運が良かったのかもしれません。
でも、そこから勉強を継続できたことやそれを通じて趣味や視野が広がったことは
今後の人生の間違いなく財産であると思うので良い思い出としながら転職先で業務に邁進したいと思います。
当面の目標は5年以内の米国海外駐在と英語ペラペラ人材!!
具体性ゼロですが詳細に計画しても行動してるうちに目的は変わっていくものです。なのでまずは行動すること、積み上げるうちに未来は開かれていきます。

おまけ 年収について

ある意味本編かもしれませんが年収については本年度の年収に対して、提示された
年収は残業ゼロ時間ベースで190万円UPでしたので満足のいくものになったと
思います。当初は100万くらいあがれば良いかなと思っていたので中途採用夢あるなと思いました。これを期待値として努力で返していけるように頑張ります!!

終わりに

駄文ですが読んでいただきありがとうございました。
先の見えない時代で特に自分のようなアラサー世代はキャリアに関して悩まない人はいないと思います。状況が改善されるのであれば転職は全然ありだと思いますし、むしろ行動した分だけ結果で返ってきます。
現職の上司等に退職の意向を伝えるのを懸念されている方もいるかと思います。
痛いほど気持ちわかります。
(自分も伝えようと決めてから言い出せず1週間引き伸ばしました笑)
でも、理由が明確でしっかりと気持ちを伝えれば上司になるような方であれば
絶対背中を押してくれると思いますし、今となっては物怖じする必要なかったのかなと思います。
私も揉めるどころか最後は背中を押していただき、何だかんだ良い会社だったと
思えています。
それでは末筆ながら、皆様が良いキャリアを歩んで最高の人生を送れること
をお祈りします!!


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