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家の中で苦手な場所

いろいろ「気にしい」な人間なのだけど、物理的な意味でいうと、親戚の家であろうと、友人の家だろうと、昔から苦手な場所がある。

水回りがどうも苦手なのだ。

(写真を引用させていただきながら失礼ですが、自分で撮った写真などあるわけがない)

台所

一番古く思い出せるのは、親戚の家に行ったとき。

特に変わったところもない、ごく普通の古い日本の台所というところだったのだけど、そこが思い出せる最初の場所だと思う。

どんな光景だったか、一生懸命振り返ると、扉にてんとう虫かなんかのステッカーが貼ってあり(別にてんとう虫が嫌いとかではない)、壁には最寄り駅の時刻表だとか、首都圏の鉄道路線図とか、月替わりの格言が書いてあるような縦長のカレンダーがあったと思うのだけど、とにかく「そこに足を踏み入れたくない」という気持ちが幼心に芽生えていたように思う。

その頃から、明確に台所が苦手だ、と思っていたわけではないのだけど、自分の家ではない台所に歩を進めると、来てはいけないところに来てしまったかのように、足がすくみ、指をギュッと握りたくなるような思いに駆られるようになった。

今もいろんな人の家に行っても、それはあまり変わらないかもしれない。そして、それはなぜかと問われても、それ以上の何かのきっかけは思い出せない。自分でもなかなか消化できない不思議なところだ。

自分で料理をすることはほとんどしていなかったけれど、食事をするのもその台所の脇という典型的な光景だったので、まったく足を踏み入れない場所ではないので、そもそもその場が嫌だったとか、別にゴキブリが出ても平気な人なので、嫌悪するものはそれほどなかったと思う。

ただ、二世代住居だったこともあってか、かつての実家の台所はモノがとても多かった。いわゆる「もったいない精神」の塊がごとく、シンクの下には何時を最後に使われていないのだろう?というような錆びついた鍋や調理器具も少なくなかったけれど、パンドラの箱のような状態というのは、実家全体に漂っているモノの多さを物語っているようにも思えた。

もし、台所というところが、その家庭の一つの縮図ではないかと思うが潜んでいるならば、他人様のテリトリーに踏み込んでしまう畏怖、という風に考えると、ほんの少し合点がいくところもありそうだけど、実際、自分の内面に起きている居心地の悪さは、未だに納得のできる思考が見いだせないでいる。

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