性教育って誰がやるの、親?学校の先生?産婦人科医?(医学生がごちゃごちゃ考える)
性教育、と聞いて思い出すのは小学5年生の時の保健室での授業だ。もう10年くらい前の話。学年の女子生徒だけが集められて、ナプキンの使い方を実際の代物に初めて触れながら教わった。
「環境が変化すると突然初経がくる子がいるから、今度の宿泊学習では皆ナプキンを持っていきましょうね」
みたいなことだったと思う。
帰り道、男子生徒に
「女子たち何しとったあ?」
と聞かれ、
「そんなん聞くの、キモイ」
と友達と一緒になって返した。保健室で習ったことは、なんだかほわっとしていてよくわからなかったけれど、とりあえず男子に言っちゃいけないと思っていた。
時代は変わった。令和になった。私は、医学生になった。実習を通して、様々な診療科をローテーションしながらいろいろな知識を身に着けている。
産婦人科ローテーション中、ラッキーなことに産婦人科医師が日本全国から集まる学会に参加する機会を得た。犬も歩けば、産婦人科医にあたる、みたいなぐらいそこは産婦人科の先生だらけだった。
学生が産婦人科関係の社会的問題について考える催事(学生フォーラム)があった。その中で、性教育がピックアップされていた。性教育をどうしていくべきなのか、150人の医学生が全国から集まりあーだこーだしていた。
そもそも性教育の一番中心的なところは、主に思春期の性の発達や、生殖や性交についての知識を教えることのはず。でも、学校での性教育にここにブレーキがかかっている。
それが通称はどめ規定と呼ばれる日本の教育課程の学指導要領の一項目だ。
※はどめ規定とは?
主に保健体育の授業では、中学1年生のときに、成長に伴い男女の体がどのように成熟していくかや、ヒトの受精卵がどう胎内で成長するのかを学ぶ。しかし教科書には、受精の前提となる性交についての記述はない。その理由は、国が定める学習指導要領に「妊娠の経過は取り扱わないものとする」という一文があるためである。これが、いわゆるはどめ規定である。
ほぇえええええ!セックスとかそういうのって、教えませんよって決まっちゃってるのね、と私はびっくり。じゃあ、誰が教えるのよ?
ここで、登場するのが親な気がする。イギリスなど、一部の海外諸国では学校での性教育がほとんどなく家庭内に任されているという国もある。
でも、そもそも性的なことを話すことについてどこかためらいのある家族の多い日本で、性教育を親に任せるのは酷だ。ある一定水準のある、正しい知識をすべての子供に平等に教えることを、親に任せるというのは非現実的である。
だいたい、親とそんな話をするのは関係性があるからこそ、こっぱずかしさや照れるような気分が学習を邪魔する。
実際私の家でセックスとは?みたいな話になることはなかった。私の性教育の先生は、村上春樹だった。
中学3年生か、そのぐらいのクリスマスに村上春樹の海辺のカフカという小説をプレゼントされた。その物語の中では、主人公が思春期真っただ中の青年であるということもあってか、性行為が1つのモチーフになっている。この本を読み始めた私は途中、そのセックスシーンで、
「なななな、なんじゃこりゃ・・・?」
と思った。
AVとか官能小説とか、そういった性欲を煽るみたいな描写じゃなくって、登場人物たちのコミュニケーションのひとつという感じだった。
そのあと、村上春樹の恋愛小説ノルウェイの森を読み、その物語の中の男女が体を重ねるシーンがとてもエロティックだったことを覚えている。
これが私のセックスに触れた初めての瞬間だった。
話は「誰が性教育をするのか」に戻る。
親に性教育を全振りしてお願いするのは無理、となったうえで最近では産婦人科医が学校外部の講師として出張訪問授業をするケースがいくつかある。
でも、ちょっと待てよ?確かに赤ちゃんは産科で生まれるけど、性教育って産婦人科領域のことなの?
違う気がする。産婦人科医って性交渉自体の専門家ではない。アフターピルを処方したり手術はできるけど、コンドームの使い方を教えたりしている姿を見たことはない。産婦人科医が担えるのは、性教育のある一部分だ。
性教育を身体のことや社会的な様々なことをベースとして、包括的な教育をしていこうという動きはある。保健体育の授業にとどまらず、いろんな科目に少しずつ織り交ぜて自然に学んでいこう、とか。
このカリキュラムが変わり、前述したはどめ規定がなくなるような頃はいつか来る気がする。でもその頃に今性に悩んでいる子どもたちは大きく成長しちゃっている。
じゃあ、今どうすればいい?
話はまとまらない。そりゃそうだ、答えはない。意見の言い合いが終わらない。ずっと、あーだこーだしてる。なんか楽しい。
学生フォーラムに参加して知らなかったことをたくさん学び、余計に何が何だかわからなくなった。ずっと、ごちゃごちゃしている。
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