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モデルから始まった職業遍歴2

前回のおさらい。
16歳で雑誌のモデルとして8年働くもクビになる。
どこかに勤めるにも一般常識がない。困った。
なんと!そのタイミングで母が銀座で事業を始めた。
ニート手前という立場、断ることができず手伝うことに…。

手伝いはじめたことに慣れた頃(諦めでもある)
母は、私の婿探しを始めた。
寝耳に水である。
結婚願望が子供の頃から全くなかった私だが
28歳ごろだろうか
妙に焦り出したのだ。(母が)
嫌々手伝って来た上に結婚まで決められるのは冗談ではない。
せめて、(する気はないけど)恋愛結婚にさせてくれよ。
が、わかっている。
母は誰を連れてこようが良い顔はしない。
高学歴だろうと、家が資産家であろうと、顔が良かろうと
そして母のお眼鏡にかなったのが35歳近く離れた人だった。良い人ではある。

私は、その方に言った。
「逃げてください。我が家に巻き込まれると碌でもないです」
良い人であろうが年上であろうが
そもそも私に結婚願望のないのだから
他人を色々と巻き込むものではないと思っていたが
ますます母とはケンカが絶えなくなった。

そして、結局些細なことでお互いの怒りは爆発し私は勘当されたのである。
母は、美しい人ではあるが
言ってることもまぁまぁ正しいのだが、無茶苦茶でもあった。
人の感情の機微がわからない、とまでは言わないが
言葉も意思も強く厳しく、あれほど恐ろしい人間はいなかった。

勘当された私は、飛田新地にでも行くしかないのだろうかとも考えたが
とりあえず身元保証人として親族に連絡をし
親族の世話になることとなった。
(何故、父に相談できないかというと、ここまでの流れでお察しの通り
我が家は母絶対主義なので、父も逆らえないのである。無情。)

勘当されて半年ほど経った頃、堀越の同級生から連絡があった。
「某作家さんのところで働かないか」
私は、秒で返事をした。
どんな仕事をするのかも分からないが、やはり16歳から働いて来た私は
何もしてない・やることがない日々が精神的にきつかったのだ。

そこからは、とんとん拍子で決まり
事務でも経理でも雑用でもなんでもやってきたが
困ったことに引き継ぎがなかったので
すべて手探りであった。
しかし、これはモデルの頃の経験からか「できない」とは言えない。
出来ないなら出来るようにするしかない。
そして、母の仕事を手伝って来たことで、臨機応変に迅速に物事は対応する。
と言う学びを活かし
前任者のパソコンを解析し、その都度乗り越え、何とか8年、今も働いている。

一期一会である。
モデルにならなかったら堀越には入ってなかった。
私を今の職に導いてれたのは、高校の同級生だったのである。
感謝してもしきれない。

そして母だが、私がいなくなった後も店は続けていたが
(仲直りはしているがこの話はまた今度)
2年半前に癌でこの世を去った。
私は、仕事をリモートワークにしてもらい母を介護し看取った。
その時に初めて、あんなに喧嘩をしたけれど
母娘で働けてずっと一緒にいられて良かったんだなと思った。

失ってから気付くことが多い世の中だが
やって来たことには、全てに意味があったのである。

以上、一般的には参考にはならない私の職業遍歴、転職活動でした。

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