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大好きなバンドマンの死と、お別れについて。




人間は、いつか死ぬ。死なないとしても、ある日突然目の前から居なくなる。
別れ方はだいたいこの2パターンだ。死別か離別か。

私は最近この死別や離別について考えをめぐらせては、時々身体や心が空になる感覚に襲われている。虚無感や孤独感と呼ぶのが正しいのだろうか。

日常の中でふとそんなことを考えている矢先に、つい先日応援しているバンドのメンバーの訃報があったので、更に別れについて深く考えるようになった。最後にあのバンドのライブを見たのは今から2年近く前の話だ。今年の春過ぎにもライブへ足を運ぶ予定だった。春過ぎに開催される予定のライブでも、今後もずっとメンバー全員が勢揃いすることを想定していたのだが、こんな形で、欠けてしまうなんて思いもしなかった。

また、訃報があったバンドとはまた別で、応援していたバンドが今年頭に解散をした。ライブで直接演奏や歌を聴くこと、彼らがそのバンド名義で出した新曲を耳にする機会も無くなってしまう。

私は2組のバンドを好きこのんで応援しているが、面識は特にない。直接対談をしたとか、演奏をしたとか、楽屋で会ったとか、そのような事は一切ない。私はこの国のどこかで生きているただの一般人だ。接点も無くて当たり前な話かもしれない。

しかし、身近な人ではどうだろうか?
家族や友達、職場の人間、趣味のコミュニティなど、自分が物理的にも心理的にも至近距離で関わってきた人は指折り数えきれないくらいにたくさん存在するはずだ。
私はまた、このような身近な存在に対しての別れを思うと苦しみで胸がいっぱいになってしまう。
私の好きな歌の冒頭にこんな歌詞がある。

「 あたし あなたに会えて本当に嬉しいのに 
当たり前のようにそれら全てが悲しいんだ 
今痛いくらい幸せな思い出が 
いつか来るお別れを育てて歩く 」

この感覚がとても襲ってきて、その結果夜の孤独がきつく涙が出てくる。
家族も私より先にこの世から居なくなってしまうこと、今仲良い友人や、話しやすい職場の仲間がいつか疎遠になってしまうこと。実際に疎遠になってしまうかもしれないし、物理的な距離が生まれたり生活リズムにズレが生じてしまい、直接会うことが難しくなってしまうかもしれない。そんな風に不確かな別れのタイミングを想像しては、その顔を見れるのはあと何度だろうかと肩を落としてしまう。
別れが育つというのなら、接点が増えて関係が深くなっていくことが別れの樹に水をあげているようなものだ。そうして育った樹が大きくなって、葉が散ってしまうその時が別れの時だろうか。
その後、また蕾が付くか散ってしまったままかは分からない。蕾が付くのなら嬉しい話だ。
いつ居なくなるか、そしていつまた会えるのか、誰にも“それ”が分からないのが人生なのだろうか。


それからもうひとつ、私は家族と死別してしまったあとの孤独に耐えられるかどうか不安だ。今からそんな不安を抱いてもしょうがないだろうとは思うが…。
両親や祖父母など、私が生まれ育った時にもう出来ていた家族はいる。今でも元気に生きている。しかし何年も何十年も経てば自分よりも先に空へ行く番が来るのだろう。
それまでに孤独を縫い合わせる術を持っておかねば。現在は仲の良い友達に会うことや、一人で完結する趣味を楽しむこと、趣味のコミュニティに参加して複数の人と楽しむことで人生を豊かにしている。

「自分の人生を楽しむことでポジティブ思考を保つ」このような考え方になったのはここ1~2年でのことである。マイナスなことよりも、プラスが感情の大部分を占めていたいと、約二十年生きていて気がついた。
少し主題が脱線してしまうが、自分の考え方についても述べていこう。
いつか会えなくなるのならその前にたくさん直接会話をしておきたいと思うのだが、なにかの愚痴やマイナスワードは、聞き手側にもカロリーが要る話だ。なにかに打ち込んでいて楽しいという気分で日々を過ごしていたら私の口からも自然に前向きな話題が生まれるのではないかと、そう少し期待している。だから自分の人生を豊かにして、なるべくポジティブな言葉で接することができるようにと気をつけている。

話を戻して、私はそのような方法で人との繋がりの中に自分を馴染ませている。
しかし、その方法でも繋がりが途切れる可能性もあるかもしれない。先程話題に挙げたような、疎遠に対する恐怖感はここにも起因している。
私は時の流れに身を任せるような生き方でも良いのかもしれない。生きていれば恐怖を感じる瞬間もあるかもしれない。だがそれと同じくらい、いや、それ以上に楽しさを感じる瞬間も存在する。
その楽しみを思い出して、少しずつ噛みしめて生きていきたい。高級なチョコレートを1粒ずつ食べる時のように大切に。思い出や記憶がいつかの自分を救うこともあるのだろうから。
(記憶が自分を救うとあのバンドのボーカルも言っていたし…。)

今回は別れや死などの話について触れてしまった。友人や仲の良い人にこんな話をしたら私の思想に対して気まずくなって、それこそ疎遠になってしまうのではないか、自分から離れてしまうのではないかと不安だ。頭の中で悶々とするだけもスッキリとしない。自分の感情とも折り合いをつけておきたいし、noteへ記すことにする。


最後に、私の大好きなギタリストさん、どうか安らかに。ご冥福をお祈りします。
あなたのギターの音がとても好きです。間違いなくあのバンドの歌は、あなたのギターリフが大切な色を添えていたように思います。
ひとつ欲をいうとしたら、春過ぎのライブであなたがギターを弾くその姿をこの目に焼き付けたかったです。その姿をとても楽しみにしていました。
あなたたちの作る楽曲に、仲の良さに、何度も救われてきました。ライブで4人の姿を見た時にすごく幸せな気分になりました。あの曲のギターを弾いてみようとコードを調べて練習してみたりしました。
これからもあなたたちの歌を聴き続けます。
今はあなたたちの歌を聴くのは緊張してしまいそうですが、また時が経ってすんなりと聴けますように。たくさんの思い出をありがとうございました。
ギタリストさんの次の世界が、明日も晴れますように。




文中で引用した歌↓


あのギタリストさんが作曲した、私の大好きな歌↓

ライブ映像


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