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自分の絵を描くことへのこだわり

数日前に、自分は絵を描くことが好きだというnoteを描いた

完成した自分の絵も大好きで、描きあげたときは何度も何度も見返している
どこかのSNSにアップロードしたとしても、どこの誰よりも見ている自信がある

見返すことと同じくらい、描いている過程についてこだわりがある

一時期、下書き→縁取り→色塗り→陰影→SNSへアップロードまでの工程を全て1日以内で終わらせていた

今では、下書きと縁取り、色塗りと陰影の工程で日にちを置くようになった
1日で全て終わらせるほどの体力と脳の容量がなくなったのだ

工程の途中で作業を終わらせると、完成までに時間がかかるというデメリットを感じる頃もあった
そのぶん、メリットに感じるところもたくさん増えた
バランスがおかしいところ、変な色を使っているところなどを俯瞰的に見れるようになった

完成した!と思ってもとりあえず、スマホで写真を撮ってみたり、フォルダに保存したままSNSにアップロードせず、見返しをする

納得が行ったら、やっとSNSへアップロードをする

自分の好きな絵を、手間なく何度も見れるようになった

そんななかで最近、感じていることについてずらずらと書いてみる


無断転載とトレースの問題

よく目につくのは、無断転載やトレースの問題だと思う
一生懸命に描いたイラストを、誰かが自分の作品だと言い張ってしまう

証拠を一通り揃えることができれば、起訴まで持っていくことができるという

文章も同じだと思うけれど、イラストもインターネットの海に投げてしまえば、誰かの善悪な批判もつくだろうし、好き勝手に使われてしまうことも少なくはない

海外のホームページに無断でアップロードされたという被害も、ネットニュースやSNSまとめなどでよく見る内容だ

自分は目立って被害にあったことはないが、もし遭遇することがあればそれなりの措置をしたいと考える

AIの普及

近年、chatGTPなどの普及により、AIの技術が身近になったように感じる

自分のかわりに大多数の意見を要約・統計して考えてくれることは非常に助かる環境になったと思う

イラストを描くこともAIにプログラムすれば、簡単に描いてくれるようにもなった

私は上記に書いた無断転載やトレースの問題よりも、AIに描いてもらった絵を自分の作品だとすることのほうが違和感、極まりないのである

理由はたったひとつ、AIイラストはひとがえがいたあたたかみを少しも感じられないから

イラストコミュニケーションサイト「pixiv」では、AIの描いたイラストがたくさんアップロードされている

当初は何も対策されていなかったようだが、対策後はAI作品かどうかを投稿者がチェックマークすることができるようになった

私はこの対策を見て、100歩譲って「AIの作品なんだ」と頭と心で理解ができた

それ以外の、AI作品にも関わらずその表記をしなくていいところ・場合に自作品だと主張されたら、違和感しかないだろう
違和感を通り越して、気持ち悪いと感じるかもしれない

ここまで嫌悪感を示してしまうのは、自分の中に絵を描く過程へのこだわりが強くあるから

AIはバランスも色づけも何もかも完璧にできるだろう
対して、ひとが描いたあたたかみのある絵は過程があってこその完成品だと感じている

自分も下書きや色塗りまでの工程を、自分の目で見て細かいところを納得するまで修正している
そんな強いこだわりがあるので、プログラムだけで抽出された絵にあまり惹かれない現状だ

ひとが描いたあたたかみのある絵は、完璧に描かれているなかでも、つたなさやこれから学ぶのびしろが残されていて、おもしろみに溢れている

だから、私は誰かの描いた絵もたくさん見たい
プロのイラストレーターが添削する動画もたくさんみて気づきを得たい


人間の頭脳がAIに敗北するオセロやチェスなどの単純なボードゲームがいくつか出てきているそうだけど、「絵を描くこと」はAIに負けてほしくないし、私にしかできない表現もAIなんかに負けたくない

私のつたないアイデアも、私の巣から飛び立って活躍してほしい

そんなことを思ったり、その思いを叶えたいと願ったり
そのような想いで絵を描いて過ごす

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