LanLanRu映画紀行|デリシュ!
舞台:1789年、/フランス
デリシュ!美食の国フランスにてレストランの誕生を描いた映画
2022年公開/フランス・ベルギー合作
きれいな、まるで絵画を見ているような、光と影の美しい映画だった。それだけでも十分見る価値があると私などは思うのだが、この映画、主題はフランスの「食」の革命についてである。面白そうなテーマだと思い、今回記事に取り上げることにした。
1789年、革命前夜のフランス。マンスロンは、公爵主催の食事会で腕を振るう宮廷料理人である。しかし一皿の創作料理が貴族たちの反感を買い、公爵から解雇されることに。失意のうちに息子と共に実家に戻ったマンスロンは旅籠(はたご)を経営しながら自慢の料理を提供し始めるが、たちまち評判を呼ぶようになり・・・。貴族のお抱えシェフが大衆に食事を提供することになったお話。つまり「レストラン」の誕生を描いた映画である。
フランス料理はいかにして大衆のものになったか
今ではだいぶんカジュアルになって、誰でも楽しめるようになったフランス料理。しかし元をたどれば宮廷料理である。貴族と王が権力を誇った18世紀において、「食」を楽しむことができるのは貴族の特権だった。映画冒頭に流れるアバンタイトルは象徴的だ。
そのような状況をひっくり返したのがフランス革命だった。アンシャン・レジーム(旧体制)の崩壊と共に、「食」の世界でも市民化が進んでゆく。実際のところレストラン誕生の起源は諸説あるようだが、フランス革命がその動きを後押ししたことは間違いないだろう。
革命による市民の富裕化、ギルド制度の消滅による商業活動に対する規制撤廃もこの流れを後押しした。シェフ自身もカリスマ性を備えるようになる。なかでもシェフの帝王と称えられたアントナン・カレームは有名であるが、彼の登場により、フランス料理は国際的にさらなる発展を遂げていくこととなる。
ジャガイモ 嫌われものの野菜
さて、ジャガイモである。マンスロンの運命を変えたこの作物。
作中ではさんざんな言われようである。
「ドイツ人だとでも?」
「ハンセン病になる。」
「豚にでも食わせておけ!」
南米原産のジャガイモがスペイン、あるいはイギリス経由でヨーロッパに持ち込まれたのは16世紀のことである。「滋養強壮になり性欲を増進させる」とされる一方、癪病を引き起こすと栽培を禁じられたこともある。フランス貴族界では「広く最悪の野菜と見られていた。」
しかし三十年戦争を通して、この作物が食糧難の時にとても役に立つことが明らかになった。ドイツではフリードリヒ1世と2世がジャガイモの普及に貢献し、18世紀末にはジャガイモはドイツの主要作物の1つになっていた。
フランスではアントワーヌ・パルマンティエがジャガイモの有用性を説いて普及に努めた。彼の論文「食糧難の際に代用食品となる、栄養価の高い野菜に関する研究。じゃがいも栽培をめぐる新たな考察」は大きな反響を呼び、1787年に開催したジャガイモ尽くしのプロモーションディナーも成功に終わる。時の国王、ルイ16世も彼の声に耳を傾けた一人だった。パルマンティエに実験農場を提供し、自ら食卓に歓迎してみせた。その結果1793-1815年にかけて、フランスにおけるジャガイモの栽培面積は約10倍にもなり、フランスにおいても欠かすことができない食材の一つとなったのである。パルマンティエの名前は、今もフランスの家庭料理、アッシ・パルマンティエ(Hachis Parmentier)ー牛肉とじゃがいもの重ね焼きに残っている。
さいごに
謎の女性ルイーズとマンスロンとの恋模様。ジャン・ジャック・ルソーに継傾倒する先進的な息子と、侯爵のお抱えシェフとしての義理と誇りを大事にするマンスロンとの対比など、もちろん純粋に映画としても楽しむことができる。わくわくする料理シーンや、まるで絵画のような風景描写などが美しく、出会うことができて良かったと思う映画の1つである。
〈参考文献〉
・『世界の外食文化とレストランの歴史』(原書房, 2023)
ウィリアム・シットウェル 著/矢沢 聖子 訳
・『美食の歴史2000年』(原書房, 2011)
パトリス・ジェネ 著/北村 陽子 訳
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