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いよいよ目に余る、我が家の積読

改めて、「積読」とは

積読、積ん読(つんどく)は、入手した書籍を読むことなく自宅で積んだままにしている状態を意味する言葉である

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%8D%E8%AA%AD

これも

最前列、最後列の一部が積読となっております。

これも

こちらは最前列の文庫本とハルムスの世界が
積読となっております。

これも

最前列の右手に見えます単行本5冊、
紛れもなく積読でございます。

これも

そんなわけない。そう思いたい気持ちをぐっと堪えて。
こちらすべてが積読でございます。

ここにも

限りなく読了に近く、高優先度ゾーン、
所謂、ただの積読ゾーンでございます。
優先的に読みたい本たちではあり、
やや生きた空気を纏っているのが印象的、
パルプまわりの栞が変である。

我が家にあるすべての積読書へ(懺悔)

我が脳のキャパシティが決壊して三ヶ月がたった。かねてより極小ではあったが、決壊後は更に小さくなり、判断力、思考力、耐久力…等々、みな正常作動してるか怪しい。耐久力においてはもはや皆無、我慢という概念がなくなってしまった空気感すら漂っている。

決壊するまでを振り返ると、脳味噌のキャパにおいては、逼迫すればするほど、さらに逼迫速度が増す性質があるように思う。

人を取り巻く環境は、その人間に多大な影響を与えると思う。
下手をすれば、持って生まれた個々人の性質や性格などよりも、環境が与える影響力が上回ることもあるかもしれない。
さらにそこに、もともとの性質やらが絡み合い、人は落ち込んだり喜んだりする。もう、これだけで相当な忙しなさである。

環境がちょっと変わることで、今まで出来ていたことが簡単に出来なくなる。
今回、仕事量が大幅に増えキャパオーバーに至ったことで犠牲となったのは、半年ほど前から生活の基盤となっていた読書である。
あれだけ毎日貪り読んでいた本が、文章が、一切読めないのだ。

しかし、奇しくも本を買うスペースは衰えることなく、我が家の本棚は毎月充実してゆく。
そんな中、一切読めない状況は変わらない。
結果は言わずもがな、積読、積読、積読。

もともと積読人ではなかった私

もともとの私はというと、積読をするタイプではないどころか、一切無縁だった。一方の夫は、自他ともに認める超超積読人間。積読されていく夫の本を横目で睨みつけた日もあった。

夫の不可解な積読脳をなんとか理解したく、積読に至るまでの思考回路に探りを入れていると、

「家にあったら読みたいタイミングで読めて良いんじゃないかな」
「いつか絶対読みたいと分かってるから買うんじゃないかな」
「タイミングを大事に生きてるから積読するんじゃないかな」

というような答えがかえってきたと思う。が、少々記憶が曖昧、9割位私が捏造してしまってる気もする。苦し紛れながらも「〜じゃないかな」と曖昧になるような語尾を設けてギリギリの秩序を保たせて頂いた。

まあしかし、夫の考えを受けて「それもそうか」と、だんだん積読賛成派に傾くようになったのは確かである。
そして気がつけば、夫を超える積読人間になっていた。

いつ死ぬか分からない、いつ働けなくなって生活が送れなくなるかも分からない。何一つ保証がない人生の中で、読みたい買いたいを我慢する理由が見当たらなくなったのだ。

積読しても朽ちない愛

積読したからといって、その本への興味はゼロになることは基本ないし、愛情は朽ちない。人間は一生に読める本が限られている。でも積読をしてると、本を読もうと思えるタイミングが積読をしない人と比べ、圧倒的に増える。これは割といいことだと思う。

積読が加速しても、本を愛する気持ちは間違いなく脳髄に残っている。本を読みたがっている自分が潜在している。
そして、そのことに細胞レベルでは気づいているから、またも無意識に本を買う。

脳は、これ以上インプットできないなどと悲鳴をあげるけれど、また読めるようになって、読みたいタイミングで読めたとき、やっぱり買ってよかったと思えるはずだ。

一方で、根の部分に積読批判の頃の感覚が残っており、過剰な積読には少しの後ろめたさがある。今の積読状況は、さすがに目に余るものがある。

だけど、結局読書はマイペースにできることがなによりも重要であって、積読がどれだけあろうがなかろうが、その時の自分に必要な本を、適したタイミングで読めるかにかかっていると思う。

そう信じて、最近少しだけまた読めるようになった自分をいたわりながら、マイペースに読書をしたいと思う。

先日、積まれた中から選んだ、小島信夫のアメリカン・スクールがとてもとてもおもしろく、私の中でまた大きく読書感が動いた気がした。不条理な感じと、変が変なまま進んでいき、普通の概念が壊される感じが堪らない。

こういう出会いがあるから、読書も積読もやめられるはずがない。積読したって、最高の読書ができればなんでもいいのだ。

日々、正当化されがちな積読は、またしても一人の派遣社員の言い訳屁理屈によって、正当化された。

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