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道化師の蝶/円城塔

円城塔氏の小説は過去、「後藤さんについて」を読了すべく二度ほど手に取るも、二度とも失敗に終わっている。つまりは挫折歴という紛れもない前科をかかえている。罪を犯したのは大体5年ほど前だが、消せない過去である。

幸いにも執行猶予つきであり、そろそろ猶予期間が終わろうという頃合いだった。私は自分の変化を信じたくなり、確かめたくなってしまった。そして最も難解、奇妙、未知数な、「道化師の蝶」という小説を、手に取ってしまったのだった。

結論から言うと、今回は最後の1ページまで余さず捲ることができた。そして挫折せず読了できた先に待っていたのは凄い世界だった。

なにが凄いか、まるでなにも理解できないのだ。

そしてその理解出来なさはなにやら可笑しみすら含んでいる。こんな小説は見たことがないし、読んだことがなく、こんな感情にもなったことはなかった。

読者らしくはじめは物語の糸を何とか繋げようとした。しかし読み進めるうち、その自分のくだらなさを悔い、無意識に糸を辿らない方向へ転換した。

更には如何に固定観念を振り回して日々を生きてるか、答えを急ぐ傲慢極まりないせっかちさ、私の弱点全てが意図せず露呈するような想いがした。読書は忍耐を要することがあり、一種修行じみた面を持っていると思う。それがこの小説では物凄く如実に、この身を持って体感できた気がした。

但し、丸腰で挑んでも正直この小説を微塵も理解できてはいないし、理解がこの小説のゴールではない。そもそも純文学にゴールはなくて、読者の状態や感性に依存するような部分が大きく、それが魅力でもある。

消費する必要のないものであって、力まず、堅苦しくない、もっと自由に羽ばたいてもいいんだぞと、そんなようなメッセージは露ほども隠されてない筈なのだろうが、こちらの性格の便宜上、そのように受け取らせていただいた。

意味など微塵も理解できてない筈なのに、こちらは昂揚感、浮遊感を感じ、至極変な感じ。
読書に固定観念は不要だが、私はどうも長年の生き方の癖で抱いてしまうらしく、抱いた瞬間いやまてよと開放させる必要があった。
修行じみた気配満載の読書体験であり、未熟さを痛感したのだが、こう書いていてその未熟さを感じるという流れすらも陳腐に思えてくるのは、この変な小説に不思議な力が宿っているからだろうか。

個人的にこの小説は、すべてを疑い、すべてを受け入れて読み進めると、最もたのしく読むことができると思う。正直眠くもなったし何度か離脱もした。
しかし最終的に気になって再開、うとうとしてまた気力で読み進めて目を瞑る。薄い小説だったが3日かかった。

とりあえず読み終わって当日は一日中、あるいはその翌日、一週間くらいこの小説のことを考えていた気がする。

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