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「生きることは素晴らしい」って本当?人間関係を半分降りるために

中学一年生のとある朝、同い年の男の子が自宅マンションから飛び降り、自ら命を絶ったというニュースがテレビから流れてきた。

苦い顔でテレビを見つめる父と「嫌だわ…… 原因は何?」と悲痛な声を上げる母。

画面のなかでは大人たちが「せっかく親からもらった命なのに」とか「死んだら何もかも終わりです」とか、くだんの彼を責めるような物言いをしていた。

彼がこの世から去る決意をしたきっかけは、学校でのいじめだったようで、私は大好きな玉子焼きを頬張りながらこう思った。

「自分の命をどう扱うかについて、周りにどうこう言われる筋合いはない」

すると両親が、それまで見たことのない顔で私を見つめていた。心のなかで思っただけのつもりが、どうやら口に出していたらしい。

「ああ、この子は命に対してこういう考えなのか」と初めて悟ったと、後に母から聞かされた。

道徳の授業で口酸っぱく言わされた「生きることは素晴らしい」とか、卒業式でさんざん言われた「皆さんの未来は明るい」とか、ああいう言葉を聞くたびに違和感があった。

果たして、生きるとはそんなに楽しいものだろうか。どうにもならない苦しみや、突然襲いくる悲しみの連続ではないだろうか。

それは、人生の先輩である大人たちのほうがよく知っているはずなのに、なぜそんな期待させるようなことを言うんだろう。ずっと不思議だった。



……なんてことを、この本を読み終えて思い出したのだ。

まずこのタイトルに惹かれた。
「半分降りる」ってどういうことだろう?

いざ読み始めてみると、全体的にほんのり暗い。それが個人的にはとてもよかった。読み心地最高。

人間関係はもっと醜いものだ。
それなのに素晴らしいものとされているせいで、人と人が容易に密着して生きるようなしくみができている。
近すぎる距離を少し離して、さらに外に開く。そういう流動的なつながりがたくさんできればいい。そうして固く閉ざされている人間の世界を外から崩してやりたい。心からそう思う。

人間関係を半分降りる 気楽なつながりの作り方

ほら、ほんのり暗いでしょう。

直射日光は苦手だけれど、暗闇も怖い。最終的にはかすかな希望の光が欲しい。そんなわがままな自分にはぴったりの一冊でした。

この本の最終章では、「こうすれば気楽になれるよ」といういくつかの方法が書かれている。

特にしっくりきたのは、「“生きることは素晴らしい”から離れる」と「嫌な相手に意識を集中しない」「いいかげんになる」だ。

「生きることは素晴らしい」という暑苦しい前提はなぜ生まれたのか。絶望に浸ってしまうことに愛着を感じてはいないか。「いいかげん」と「てきとう」の本当の意味とは何か。

それらに対する作者の言葉が、私たちに考える余地を与えてくれる。

ここ数年続いていた閉塞感も少しずつ薄れてきた。これによって、あらゆる「距離感」がまた変化するだろう。

ここで改めて、物理的な距離ではなく、心理的な距離をあけてゆるく他者とつながることを心の片隅に常に置いておきたい。

「人はひとりでは生きていけない」という現実は変わらないのだから。


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