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”当たり外れが大きい”アメリカの医療

今回のテーマ:アメリカの医療

by   らうす・こんぶ

アメリカの医療費は高額だという印象を持つ人が多い。確かにその通りだが、個人的な体験から、私のアメリカの医療に対する印象は「当たり外れが大きい」だ。

医療保険を持っていない人が病院から何万ドル(数百万円)もの医療費を請求されて破産した、などというニュースをしばしば耳にする。日本では一般的な治療や手術を受けてそんなに高額な医療費を請求されることはない。だから、ニューヨークに住んでいた時は、具合が悪くなると、医療費のことを考えてますます具合が悪くなるような気がした。

さいわい私は持病もなく健康なので、あまり病院に行く必要もなかったのだが、日本に戻る少し前、大病を経験した。ひとつはコロナ。2020年の春先、コロナがニューヨークで猛威を奮い、多くの死者が出て世界中を震撼させたが、なんと私も早々にコロナに感染してしまったのだ。しかも、それがやっと治ったと思ったら、今度は右目が網膜剥離になってしまった。それまで健康だと思っていたし目もよく、病気に不慣れだった私にとって、このダブルパンチはかなりきつかった。

だが、素晴らしいドクターたちに恵まれ、コロナからも生還し、網膜剥離も完治した。私は本当にラッキーだった。お世話になったドクターたちには感謝しても仕切れない。

2020年の3月の終わり頃。急に悪寒がして、「もしかしたら」という嫌な予感。週末で病院は休みだったから、週明けまで待って友人で内科医のドクターEに電話で相談すると、すぐにリモート診察を行ってくれた。病院には行かなかったのでウイルス検査は受けなかったが、彼女は私の症状からコロナだろうと判断し、適切な薬を処方してくれた。

ドクターEは毎日数回「気分はどうか」とテキストメールで尋ねてくれ、適切なアドバイスをくれた。その頃流行っていたコロナはオミクロンとは違って強力だったので、私はまる2週間”病人”だったが、彼女は私が回復するまで毎日それを続けてくれただけでなく、サイクリングのついでだからといって、ご主人と一緒に私のアパートまで来てたくさん食料を差し入れてくれた。

私は外に買い物に行けず、行けたとしても料理を作るような体力は全くなかった。日頃は元気な私でも、病気のときは弱気になる。そんな時、ドクターEや多くの友人が心配して食料を差し入れてくれたことは涙が出るほどありがたかった。

ドクターEのおかげで元気が戻ってきてやれやれやっと通常の生活に戻れると思ったのも束の間、ある朝目を覚ましたら右目がおかしい。水の中にいるときのような見え方で、すぐに尋常じゃないとわかった。ドクターEに「目がおかしいので、いい眼科医を紹介してほしい」というと、彼女は同じ病院の眼科医、ドクターKを紹介してくれた。

私を診察したドクターKは、私の右目が網膜剥離であること、そして早急に手術が必要だと告げた。そして、無慈悲にも、私にこういう手術をするのだと言って手術のビデオを見せた。目の手術のビデオなんか見るもんじゃない。目の表面を切ったりチクチク縫い合わせたり……。そんなもの見せられて、もう恐ろしいのなんの……。私は片眼を失うかもしれないと覚悟した。

あまりに不安だったので、ドクターEに電話をして、「ドクターKの腕は確かだろうか」と尋ねると、彼女は「心配なら、ドクターKに今までどのくらい同じような手術をして、成功率はどのくらいか尋ねてみたら?」と言う。こういうところは実にアメリカ的だ。日本の感覚だとそんなことを尋ねたら、医者が気を悪くしてしまいそうでとてもできないが、私をコロナから救ってくれた恩人でもあるドクターEがそういうので、ドクターKにテキストメールで尋ねてみることにした。

なんと、このドクターは私にプライベートの電話番号を教えてくれていたのだ。それも驚きだった。私のように不安を抱える患者からしょっちゅう問い合わせが来たらプライベートな時間なんてなくなるんじゃないだろうかと、他人事ながら心配になった。ドクターEと面識はなかったらしいが、同僚からの紹介ということで、特別に便宜を図ってくれたのかもしれない。

テキストメールで恐る恐るドクターKに、「伺ってもいいでしょうか。ドクターKはこれまでに同じような手術を何回くらい執刀されましたか」それに対する答えは「1000回くらいかな」、「こんなこと伺って失礼かもしれませんが、それで成功率は何%くらいですか」と私。「95%」とドクター。かなり高い成功率だが、それでも5%は失敗するんだ、と暗い気持ちになったが、タモリさんだって片目は失明していても普通に暮らしているし、万が一、片眼が失明しても生きてはいける、と自分を叱咤激励して手術に臨むことにした。何しろ、早く手術しないと失明するかもしれないので、グダグダ悩んでいる時間なんかなかった。

折しもニューヨークはコロナ禍の真っ只中。そんな時の手術は通常とは違う、非常事態の手術になった。前述したように、待ったなしの手術だったので、コロナが少し落ち着いてから、なんて言っていられなかったのだ。

私はつい先日までコロナ患者だった。そのことが事態をさらにややこしくした。もう完治はしていたはずなのに、ウイルス検査を受けたら陽性反応が出てしまった。ドクターKは、検査は死んだウイルスも感知してしまうから、そのせいで陽性になったのだろうと言ったが、とにかく、陽性反応が出たからには、私は「コロナ陽性者」として手術を受けなければならず、病院側は「コロナ陽性者」に対して万全な体制を整えて手術を行わなければならなくなった。

手術は土曜日に行われた。病院に行くと、宇宙服のようなウイルス防護服に身を包んだドクターや看護師さんたちが、ざっと十数人体制で私の手術に関わった。アメリカでは分業体制がきっちりしているので、私を病院の玄関から手術室まで案内する係、私を手術着に着替えさせて、服や身の回り品をビニール袋に包んで(ウイルス感染を防ぐため)保管する係、手術に関して説明するドクター、麻酔の係、手術中は看護師数名がドクターをサポートするなど、たった一人の患者のためにすごいチーム編成で手術に当たってくれた。

麻酔は部分麻酔なので、手術中のドクターたちの会話がよく聞こえた。アメリカの医療ドラマなどでもよくあるけど、手術中、ドクターたちはどーでもいいようなお喋りをする。あれは患者を緊張させないためらしいが、私は「そんな関係ないお喋りしていて、手元にちゃんと集中できてるんかいな」と、むしろ心配だった。

手術は1時間半くらいで終わり、私は少し休憩したのち帰宅できるはずだった。だが、アメリカでは付き添いがないと帰してくれない。途中で何かあった場合のために必ず付き添いを頼むように言われる。私はウーバーを頼んで帰宅するつもりでいた。それならDoor to Doorなので問題ないだろうと思ったのだが、ダメだと言われた。看護師さんは電話して誰かに来てもらえと言う。

でもね、ニューヨーカーがコロナ禍を一番恐れていた時期、賑やかだったマンハッタンから人影が消えてしまった時期に、この間までコロナで伏せっていた私を病院まで迎えに来てくださいなんて、いったい誰に頼めるだろう。しかも検査で陽性反応が出ているのだ。そんな私を病院に迎えに来るなんて、私と心中する覚悟でもないとできないだろう。

そんなことは誰にも頼めないので、ベッドがなければストレッチャーの上でもいいから病院に泊めてくれと言った。でも、病院は土日は休みで基本的に人がいない。で、看護師さんも困り果てていると、そこにドクターKから電話がかかってきた。看護師さんが電話に出ると、「ドクターKがあなたを家まで送ると言っているわよ!」と驚いた様子で言うではないか。「あなたはドクターKのお友達?」

かくして私はドクターKの車で自宅まで送ってもらうことになった。週末は基本的に病院は休みなので、ドクターKは私の手術の後は時間が空いていた。私はドクターの家が同じ方向なので乗せてくれたのだろうと思ったが、聞くとドクターKの家は逆方向。わざわざ私のために遠回りしてくれたのだ。私にはドクターKが白馬に乗った王子様に見えたよ!

手術の翌日、検査のために病院に行くと、セキュリティの人しかいないがらんとした病院でドクターKが診察をしてくれた。私一人のために2日続けて休日出勤してくれたのだ。

ドクターKは手術が好きなのだ(!)そうだ。天職とはこういう人のためにある言葉なのだろう。病院にいるときのドクターKは仕事に忙殺されてランチの時間もないほどなのに、いつも患者さんとも看護師さんたちともにこやかに対していた。

手術後しばらくは毎週、その後は徐々に回数は減っていったが、それでも私は定期的に病院に通い、帰国直前までドクターKの診察を受けた。

これほどまでにお世話になったので何かお礼をしたかったが、多分受け取らないだろうと思ったので、クリスマスカードを送ってお礼の気持ちを伝えた。今年も日本からクリスマスカードを送ろうかな。



らうす・こんぶ/仕事は日本語を教えたり、日本語で書いたりすること。21年間のニューヨーク生活に終止符を打ち、東京在住。やっぱり日本語で話したり、書いたり、読んだり、考えたりするのがいちばん気持ちいいので、これからはもっと日本語と深く関わっていきたい。

らうす・こんぶのnote:

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