子どもたちの声にならない声
「私の伝えたいニュアンスをわかってよ!」
「どう伝えたら理解してもらえるの?」
「もう伝えることをあきらめた方が楽かも…」
こんな思いを感じたことはありませんか?
私はいまだによくこの思いに駆られます。
そんなとき
「おそらく、子どもたちも、同じような思いを経験してきたんだろうなぁ」と小さな胸がはりさけそうなくらいに感じたであろう思いを想像します。
子どもたちは普段とても感覚的なことを感じ取っています。
理論立てて説明するのはとっても難しい。
でも自分にとって、とても大事なこと。
たとえば、
友だちから嫌がらせを受けているけど、先生には言いたくない、というか、言ってもムダだとわかっている。
仕返しが怖いとかそういう理由ではなく、
「何か理由があって嫌がらせをしているんだろうから、そんな子に対して、たとえ先生が『嫌がらせを辞めなさい』と言ったところで、その子の嫌がらせをしないとやっていられない状態は解消しないから」
という場合…。
先生に言わない理由がちゃんとあるけど、口で説明するのも難しいし面倒だ。
「すべての人に理解してもらいたい」とは思わないけど
大事なことだからこそ自分の大事な人には理解してほしい。
たとえ理解してもらえなくても、理解しようとしてほしい。
「そこに何か大切なものがあるんだね。」と受け止めてほしい。
そう感じながらも言葉にできないもどかしさを毎日のように感じて子どもたちは生きているんです。
たとえば、子どもたちが怒っているとき。
大事なことをわかってもらえない悔しさや自分のふがいなさが爆発していることがよくあって。
ママ自身がその悔しさやふがいなさを体験している場合は、
子どもの怒っている姿を見て
「何か大切なものを守ろうとしているんだね」という捉え方ができる。
子どもの怒りを鎮めることが大事なのではなくて、
「この子は何を大切にしようとしているのか?」という視点を大事にできる。
大事なことは目には見えない。
このことを言葉だけではなく体感しているママは、「母の勘」がよくはたらく。
「いくらママが子どもの思いを汲み取ったとしても、世間一般の人たちはそこまで汲み取ってくれないよ」
ってたまに刺さる意見をいただくこともあるけれど、
そんなことを子どもたちにわからせるのは私たちママの役目ではないと思う。
「社会の厳しさ」みたいなものを教えるのは、あくまでも社会であって、
家庭がそこを教えてしまうと、子どもにとっては社会は「恐怖」でしかなくなってしまう…
私たちママは、ママにしかできない役目を請け負っておけばいいと思いませんか?
ただただ厳しい世界を提示されて、誰がその世界で生きる希望を持つんでしょうか?
優しい世界は、見ようと思わなければ見られない。
だから、家庭の役割は社会と一緒じゃいけない。むしろ、社会とは逆。
これが、家庭でできる一番の役割だと私は思うのですが、あなたはどう感じますか?
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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