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小説 世界で一番不幸だった少女


 ときどき、高校生の頃の自分を羨ましく思う。なぜそんなことを思うのか、自分でもよくわからない。自慢ではないがわたしの高校時代は最悪だった。過剰な自意識を持て余していて、どこへ行っても自分の居場所なんてない気がしていた。だからと言って非行に走るような度胸もなくて、いつもイライラしながら甘ったるいカフェオレを飲んでいた。

 それから10年経って、わたしはシュウと出会った。シュウはわたしの激しい気性もいたって平凡な容貌も、かわいいと褒めてくれるようなひとだ。シュウはとても美しい見た目をしていて、それゆえなのか信じられないほどに広い心を持っている。わたしが見たいと言った映画や食べたいと言ったものをしっかりと覚えていて、わたしの望みをできる限り叶えてくれようとする。友人たちは口を揃えてシュウのことをわたしにはもったいない人だと評した。

 わたしはシュウと付き合うようになってから、3度浮気をした。1人目は前に付き合っていた男で、2人目は街で声をかけてきたおじさん。そして3人目はシュウの弟だ。嘘が上手ではないわたしは、すぐにボロを出した。わたしが仕出かしたことを知る度に、シュウは「終わったことは仕方がないよ」と笑った。そんな時に高校生の頃の自分を羨ましく思うのだ。親と喧嘩をして友人の家で迎えた朝や、ハードル走をする同級生たちを教室の窓から眺めていたことを。私はその頃、世界で一番不幸な少女でいられたのだ。

 鏡を見上げると、そこには品良く飾り立てられた自分の顔があった。あの頃のように、すべてを無責任に放り出して逃げ出したい気分だ。あまり好みではないラベンダー色のチークや、悲しげなピンクの口紅がわたしの憂鬱を加速させる。本当に逃げてしまおうか、なんて向こう見ずな思考と共に、シュウの笑顔が過る。シュウは嘘をつくときも全く表情が変わらない。ただ、ほんの少しだけ語尾が掠れるのだ。ああ、わたしはほんとうに最低な女だ。

 係員の女性がわたしを呼びに来た。そっと立ち上がり、パンツスーツをすらりを着こなした女性の後に続く。女性が履いているパンプスのヒールは不快ではない程度にすり減っていて、今この瞬間が彼女の日常の一部であるということを示している。女性は重厚な扉の前で立ち止まると、すっと横に避けてわたしのほうを見る。この扉の先には、がらんとしたチャペルと、それから緊張した面持ちのシュウが居る。女性の目配せに頷くと、ゆっくりと扉が開く。わたしは誰にもばれないようにそっと息を吸った。


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