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小説 マイという女

 その日、マイちゃんと私は一緒に渋谷で浴衣を物色した後、神南のあたりにあるパンケーキと紅茶が評判のカフェでお茶をしていた。マイちゃんは体力がない上に究極のめんどくさがり屋なので「わざわざ神南まで行かんでもドトールでええやん。暑いし」とごねたが、なんとか言いくるめてそのカフェまで連れてきたのだった。マイちゃんはさっきまでドトールでいいだとか、なんならファミレスのほうがいいだとか言っていた癖に、早々にリコッタチーズとラズベリーソースのパンケーキとアイスのフレーバーティーを注文し、嬉しそうに店内を見回していた。

 マイちゃんは私の彼氏であるオカザキ君のバイト先の同僚で、私の2つ年下である。オカザキ君と私は一年くらい前に付き合い始めたのだが、その時から彼とマイちゃんは頻繁に連絡を取り合っており、私が彼の家に泊まっている時でさえ、まるで恋人のように甘ったるい雰囲気で1時間も2時間も長電話をしていた。マイちゃんの存在を脅威に感じた私は、あくまでも興味本位といった風を装って彼からマイちゃんのことを聞き出したのだった。オカザキ君が言うには、マイちゃんは彼の妹のような存在で、なおかつ男性関係にだらしないわりに騙されやすいところがあるので放っておけない、ということだった。そんなことを聞いてしまって、さらに不安になってしまった私は、彼にマイちゃんを紹介するように頼んだ。実際に会って仲良くなってしまえば、もはや脅威ではなくなるのではないかと目論んだのだ。

 実際に会ってみるとマイちゃんは思ったよりもガタイがよく、どこか垢抜けない感じのする女の子で、一目見た瞬間から私はマイちゃんを脅威だとは思わなくなった。オカザキ君は華奢な女の子が好きなのだ。私は身長も体重も標準中の標準ではあるが、もとの造りが全体的に薄っぺらいせいで華奢な印象を与えるらしい。3人で酒を飲みつつ食事を進めていくと、マイちゃんはオカザキ君のことを男として見ているというよりも、家族以上に親しい友達としか見ていないように感じた。マイちゃんがオカザキ君に抱きついたり甘えたりしているところを見ても驚くほどに嫉妬は生まれず、むしろ微笑ましく感じた。かなり風変わりで極度の皮肉屋であるマイちゃんと一緒にいると、なんだか自分が選ばれた人間であるように感じてしまうのだ。

 それからというもの、私はオカザキ君に負けず劣らずマイちゃんと頻繁に連絡を取り合うようになった。オカザキ君と私とマイちゃん、という組み合わせで遊びに行ったりもした。マイちゃんはオカザキ君がいる時は私なんて眼中にないかのようにオカザキ君にべったりで、二人にしかわからない人の話を嬉しそうにしたり、たまに私に話題を振ったと思えば私にはわからないスポーツや音楽の話で、チーム名や音楽のジャンルがわからない私を少しバカにしたように笑うだけだった。理由はわからないが、私は不思議とマイちゃんに惹かれていた。マイちゃんはいわゆるいい子ではないし、かなり気難しいのだけど、だからこそ親しい友達として付き合っていける気がしたのだ。私はマイちゃんの好きなバンドのアルバムを聞き、サッカーのルールを勉強したりして、マイちゃんが私に心を開いてくれるように仕向けた。マイちゃんは徐々に私に対して探るような目を向けなくなり、ふたりで遊びに行こうと誘うとだるそうにしつつもやってくるようになった。マイちゃんと遊びにいく前日は彼女の好きそうなビンテージの雑貨屋や古着屋をリサーチして、マイちゃんが喜びそうなプランを立てた。マイちゃんは雑貨屋でも古着屋でも興味がなさそうにしていたが、たまに奇妙な木彫りの人形を買って満足げにしていたり、カフェでメロンソーダを頼んであっという間に平らげていたりしていた。そんなマイちゃんを見ることができた日には達成感すら覚えた。私はマイちゃんの特別な友達になりたくて必死だったのだ。

 しかし、ある日を境にマイちゃんと連絡が取れなくなった。オカザキ君にも尋ねたが、気まずそうに「あいつは気まぐれだからたまにこういうことがあるのだ」と言われた。マイちゃんはバイトもやめてしまったらしく、オカザキ君も全く連絡が取れないようだった。私は最後にマイちゃんに会った時に何かしてしまったのかとマイちゃんが怒りそうな自分の行動を書き出したり、マイちゃんの家に行こうとしたり(これはオカザキ君に止められたので実現はしなかった)したが、理由はさっぱりわからなかった。

 そんなある日、オカザキ君に別れを切り出された。彼はどうしてもしなければいけないことがあるとかなんとか言って申し訳なさそうにしていたが、私は彼と別れることよりもマイちゃんとの関わりが完全に断たれることが悲しかった。もちろんオカザキ君のことは好きだったが、それ以上にマイちゃんに私を正当に評価して欲しかった。私はマイちゃんと同じレベルにいる人間なのだと彼女自身に認められて、仲間に入れて欲しかったのだ。


「カナちゃん、一口いらん?」

 マイちゃんは半分以上残ったパンケーキをつつきながら私に尋ねてくる。彼女は体格がいいのでよく食べそうなのだが、意外と食べられないのだ。しかし本人はそのことに気がついておらず、人より多めに注文するくせに残し、一緒にいる誰かに食べてもらう、ということを繰り返していた。オカザキ君も私も、食べきれる分だけ注文するようにいつも注意していたのだが「えー、だって食べきれると思ってんもん」と言って少し拗ねるマイちゃんを見ていると、甘やかしたくなってしまうのだ。私がいつものようにマイちゃんのパンケーキを引き取って食べ始めると、しばらくして唐突にマイちゃんが口を開いた。

「あのな、私オカザキのこと好きやってん」
「あ、そうだったんだ」

唐突にマイちゃんの口から出た言葉に驚きつつも、年上の余裕なのか自分でもわからないが、私は落ち着いていますよ、と態度で示すように静かにフォークを置いてマイちゃんを見つめながらぬるくなりつつあるダージリンを一口飲んだ。マイちゃんは私の顔を見ることなく、フレーバーティーの下に敷いてあった紙製のコースターを少しずつ曲げている。

「オカザキのことめっちゃ好きやってん。やからな、いつもみたいに適当にそういうことせえへんかってん、絶対。めっちゃ好きやったから、ちゃんとちょっとずつオカザキに好きになってもらわなあかんと思ったから。ほんでもな、カナちゃんとオカザキ付き合う時さあ、なんの前触れもなく急にそういうことして、付き合うことになったやろ? やから、別にカナちゃんもオカザキも悪ないねんけど、めちゃくちゃむかついてん。最初の方はカナちゃんのことも知らんかったしさ、はよ別れろとか思っとってん」

 私はわかりやすく混乱していた。この期に及んで何を言っているんだこの子は、とか、なぜ私とオカザキ君が身体の関係を持ったことをきっかけに付き合い始めたことを知っているのだろう、とか考えても答えの出ない問いが次々と湧いてきた。何よりも、マイちゃんがただの女だったということが衝撃的だった。その事実に軽く失望しつつ、皿の上のパンケーキを見つめていた。マイちゃんのほうを見ると、ふっと目をそらされる。そして、マイちゃんは少しづつカーブを描いてゆくコースターを見つめたまま、続けた。

「でもな、カナちゃんに会ってみたらめちゃええ人やし、私ダサいのに一緒に買いもんとか行ってくれるし、オカザキにべたべたしても何も言わへんし『あー、もうやっぱり勝てへんな』と思ってん。ほんでしかもカナちゃんと普通に仲良くなってもたし。それで、オカザキのこともだんだん普通の友達みたいに思えるようになってん。多分今はもうちょっとしか好きちゃうと思う」

マイちゃんの手の中にあるコースターは完全に丸まって、筒状になっていた。リコッタチーズとラズベリーソースのパンケーキはあと4分の1くらい残っていたが、もう食べる気はしなかった。わたしは何か言おうと思って口を開こうとするも、何から言えばいいのかわからなくてひたすら黙っていた。しかし、マイちゃんとばちり、と目が合って、不意に言葉が口を突いて出た。

「あの、オカザキ君にベタベタくっついてたのってわざとなの?」
「うん。あのときはまだめちゃくちゃオカザキのこと好きやったし、カナちゃんのこと嫌いやったから」

マイちゃんは申し訳なさそうに目をそらして、丸まったコースターを指で弾きながら、ボソボソと答えた。

「そっか」
「うん」

 どうしてこんな会話をしているのか、いまいちわからないままじっとマイちゃんを見つめていると、マイちゃんはコースターを机の端に置いて、とても申し訳なさそうにこちらを見つめて言った。

「でもな、私な、ていうか私とオカザキな、結婚すると思う。たぶん、近いうちに」
「は?」

マイちゃんは再び私から目を逸らして言い訳をするように続けた。

「子供、できてん。あのな、別にカナちゃんのこと裏切ったとかじゃないし、浮気とかそういうのちゃうと思うねん。なんか結構酔っ払ってて『一回試してみよか』みたいになって、ちゃんと避妊もしてん。でも、できてもてオカザキに言うて、堕ろすお金借りようと思ってんけど、言うたら『堕ろしたらあかん』って言われて」

マイちゃんの口から出てくる言葉たちは、すべて恐ろしくタチの悪い冗談にしか聞こえなくて、わたしは右手にあるカウンターの裏から「ドッキリ大成功」と書かれたプラカードを持ったオカザキ君が出てくるところを想像した。しかし、いつまで待ってもオカザキ君は現れず、マイちゃんはこちらの様子を窺うようにチラチラとこっちを見ている。その視線に耐えきれなくなって、とりあえず何か言わないと、と思って鋭く息を吸う。

「あのさ、ほんとにオカザキ君とマイちゃんの子供?」

口を突いて出た言葉は、思ったよりも辛辣だった。もし私がマイちゃんだったら、酷く傷ついたことだろう。しかし、マイちゃんは先ほどまでのおどおどした様子が消えて、こちらをまっすぐと見つめた。

「うん」
「絶対に?」
「絶対」
「そっか」
「うん。ごめん」

 私は、申し訳なさそうに下を向いているマイちゃんを見つめていると、なんだかおかしくて仕方がなくなって、クスクスと笑ってしまった。マイちゃんは笑い声に気がついて驚いたようにこちらを見ている。こんな告白をされて笑うだなんて、気でも狂ったのかと思われても仕方がないのだろう。しかしながら私は至って正気で笑っているのだ。マイちゃんがオカザキ君を好きだったことなんて、普通に考えたらわかるはずなのに。そんなことにすら全く気付けなかった自分の間抜けさや、私が飲み物をひっかけたりしないかと少し怯えているマイちゃんの肩が、どうしようもなく笑いを誘う。

「ごめん、なんかマイちゃん、やっぱりやるなあ、と思ったら面白くなってきちゃって」

そう言うとマイちゃんはどことなく不安げに口角を上げて、何かを口に出そうとしてやめる動作を3回ほど繰り返したあと、

「オカザキって思ったよりうまいねんな」

と言った。失敗した、という表情になったマイちゃんを見て、すかさず確かに思ったよりうまいよね、と返して生ぬるいダージリンを啜った。マイちゃんはもう私とは二度と会う気がないのだろう。マイちゃんが選ぶのはやっぱりオカザキ君なんだ、と数日前まで恋人だった男を恨んでみたりしたが、涙は出なかった。

 私はマイちゃんのことを一生許せないのかもしれない、そう思った。

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