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なつの感触 -1-

 ふと気付くと傍に来ている。夏はそんな季節のような気がする。ついこの間一学期が始まったと思っていたのに、いつの間にか太陽はいっぱいに輝き出し、緑は濃くなり、夏服の白いシャツを着た生徒たちが校内を歩いているのに気付く。そんな感じ。

 一時限目は二年生の授業。わたしの与えた課題に無心に取り組み、生徒たちが鉛筆を動かす美術室は、妙に静かだ。外があまりに輝いているため、中は薄い影に浸されているみたい。開け放たれた窓から蝉の声。

 ぼんやりと頬づえをつき青い空を眺めていると、わたしの心はどこまでも流れて、あの夏の日々を漂い始めてしまう。どうしようもなく、あの頃を思い始めてしまう。

 あの頃の空はいつも青く、晴れていたような気がした。

 はたちの、夏の日。

 人差し指と親指で作ったフレームの中で、歌う真理子はほんとにきれいだ。彼女はわたしが見ていることやスケッチしていることなんか少しも気にならないみたいに、自由に体を曲げたり延ばしたり、息を吸ったり吐いたり、いろいろな声の出し方を繰り返したりする。その柔軟な筋肉の動き、真剣で楽し気な表情、飽きることない試行錯誤、それらを見ていると、鉛筆を動かすのなんかやめて、ただじっと、見つめていたくなる。

 フレームの中でふいに真理子は、くるりとわたしの方に向き直った。

「もうすっかり夏ね。可南ちゃん」

 真理子は眩しそうに外を見る。わたしもフレームを崩し、開け放したアルミサッシの戸越しに、向こうの庭を見る。

「そうだね。いい天気」

 この北の地の夏は、暑さがどこかすがすがしい。湿気ひとつないぱりっとした空気と、よく晴れた青い空と、輝く太陽とに彩られた夏。わたしは季節の中で夏がいちばんすきだ。庭の草木がいちばんきれいになり、緑濃く鮮やかに、ぴかぴかする。

 わたしと真理子はふたりで暮らしている。同じ大学の教育学部で、真理子が音楽科声楽専攻、わたしが美術科絵画専攻だ。家は築三十年のでかくてぼろい庭付き一軒家。大家さんはもうお孫さんもいる女の人で、昔住んでいたというこの家を、古いからと言って破格の家賃で貸してくれた。今はここから五分ほどのところにある娘さん夫婦のお宅で暮らしている。

 一緒に暮らすようになってから約半年。でも思えば、真理子と知り合ってからまだ一年くらいしか経っていないのだ。

 真理子と初めて出会ったのは、大学一年の夏の初め頃だった。出会いはあまりにも印象的で、その後真理子を知って彼女が普通の人だと分かってからも、ふとした瞬間に、あの、まるで歌から出てきた人を見たような感覚を思い出すことがある。

 その時、わたしは大学の実習室でひとり残ってデッサンをしていた。もう日暮れ時で、赤い西日が実習室に濃く差し込んでいた。構内はひどく静かで、誰もいないんだという雰囲気が建物全体から垂れ込めていた。

 が、その時、遠くから歌声が聞こえた。

   めえーめえー
   もりのこやぎー もりのこやぎー

 わたしの手は自然に止まった。声は遠くなのに不思議とくっきり聞こえる。空耳だろうか?いや、そんな筈はない。

 歌は次第に近づいてきた。

   こやぎはしれば こいしにあたる
   あたりゃあんよが あああいたい

 声は子どものようでいて妙に艶めかしく聞こえ、歌詞は童謡なのにどこかエロティックに聞こえた。教室の朱は刻一刻と濃さを増し、教室の中すべてを染め上げる。わたしは固まったように動けなかった。

   そこでこやぎはめえ―――――――――と――――

 歌が途切れた。開けたままだった実習室の戸の前に、ひとりの少女が立ち止まった。教室は今や濃密な朱の海で、朱が溢れるほど逆に沈む影のような薄暗い廊下に、小柄な姿が浮かんでいた。それが、真理子だった。

 わたしは一瞬、ここが大学だということを忘れた。

 真理子は軽く肩をすくめて舌を出し、

「ごめんなさい。邪魔しちゃいましたよね」

と笑った。その顔はふわりと白く、長い髪は柔らかそうな茶色で、開け放した戸の長方形に切り取られた姿は、まるでひとつの絵のようだった。

「……今の……こやぎの……」

 わたしは自分でも何を言うのか分からないままに、そう言っていた。真理子は、

「ああ、『めえめえ児山羊』っていう歌。きれいでしょう?」

と答えてまた笑った。そんな風に無邪気に笑う真理子と艶めかしい声で鳴くこやぎとが、頭の中で重なりひとつの幻影を作り、わたしは混乱した。

 その時の話をすると真理子は、

「やだあ、可南ちゃん、ロマンティック過剰。あれはただのはなうただったよー」

と言って笑う。けれどその時のことを思い出す時、わたしは、歌と、真理子と、あの朱の波に満たされた教室とを、分けて考えることができない。

 自分でも驚いたことに、わたしはその場で真理子に絵のモデルをしてくれないかと頼んでいた。普通ならしない。人見知りもするし、初対面の人にそんな申し込みをするほど神経も太くない。自分でも、何を考えていたのかさっぱり分からない。そしてもっと驚いたことに、真理子は簡単に引き受けてくれた。あっけないほど簡単に、笑顔を見せて。でも、今思うと、それはいかにも真理子らしい。

 こうして、スケッチブックをもって音楽科の練習ブースに通う日々が始まった。

 付き合い始めて知った真理子は、人懐こいたちで話好きだった。歌のこと、副科のピアノが面倒なこと、イタリア語はすきだけどドイツ語は嫌いだということ、ボイストレーニングおたくだということ。実際彼女の体はよく鍛えられていて、柔軟に動くしなやかな筋肉がうつくしかった。

 わたしはわたしで、なんでこんなにわたし喋ってるんだろと内心驚きながら、ルネサンス期と現代の絵画がすきだということ、クラスで一番描くのが遅くて嫌になること、そういえば小学生の頃徒競走はいつもビリだったということまで話し、真理子は声をあげて笑った。

 わたしたちは揃ってお金がなくて、どっちも似たくらい古くて安いアパートに住んでいた。うちに遊びに来た真理子が

「可南ちゃんがすごいマンションとかに住んでなくてよかった」

と笑ったほどだ。お互い、画材に楽譜、展覧会に演奏会と、お金が出ていくたびにぴいぴい言っていたくせに、それらを節約する気は全くなく、結果その他のことは切り詰めて切り詰めて生活していたけれど、その頃の思い出は不思議と楽しかったような気がする。

 二人でよくリサイクルショップへ行った。真理子は、ぎゅうぎゅうに詰め込まれたハンガーの列から掘り出し物――カットソーだったりスカートだったりワンピースだったりした――を引っ張り出しては、

「ねえねえ可南ちゃん見て、これ百円だって」

と歓声をあげ、無造作に選んだシャツを腕に抱えているわたしを見ては、

「駄目よ、可南ちゃん。洋服は試着が肝心なのよ」

と叱ったりした。

 近所の神社へ出かけて百円だけ払っておみくじを引く、という遊びもよくした。わたしは大凶をひくのがとても得意で、いつもどんよりした気持ちになったものだけれども、真理子は

「結んでしまえばいいのよ」

と言って、わたしに代わってさっさと枝に結んでくれた。そういう真理子は大吉をひく名人だったけれど、そんな時彼女は

「大吉は凶に通じるの。喜んでちゃいけないのよ」

となぜか真面目な顔で言い、それもまたさっさと枝に結ぶのだった。

 実家からの仕送りは少なかったけれど、その分いろいろと物が送られてきた。彼女の家は食料雑貨店を営んでいてよく乾物や缶詰が届き、わたしの方では母方のおばあちゃんの家で作った野菜なんかが送られてきた。わたしたちはこれを『救援物資』と呼んで、ふたりで山分け(というほど多くはないけれど)したものだった。

 気付けばわたしたちはいつも一緒にいるようになっていた。

「可南ちゃん、一緒に住まない?」

と真理子が言ってきたのは、一年次が終わる頃だった。わたしは素直にうなずいた。それはなんだか当然の流れのような気がした。もちろん実際的な理由はあって、真理子はずっと引っ越したいと言っていたし――あの古アパートではピアノや歌は無理だった――、わたしとしてもふたりで住めば経済的に余裕が出るのでずっと楽になる。けれど、そんなことより何よりも、真理子と一緒にいるのは楽しかったのだ。

「なんかさ、うちに帰ると可南ちゃんがいるっていいよね」

 真理子はそう言って笑った。

 ことが決まると真理子は驚くべき早さで条件に合う物件を見つけ出した。それがこの、築三十年庭付き一軒家だ。研究室の先輩からの紹介だそうだ。安いこと。二人入居できること。大きな音を出しても構わないこと。ぼろいもふるいも関係なかったから、わたしたちにとっては理想的な住まいだった。

 この家では真理子は自由に声を出し自由に歌を歌う。その、体を動かす姿、声を出す姿、歌を歌う姿は、なぜだか、練習ブースの真理子より、ずっと生き生きしている。そう思うと、以前のスケッチはとても味気なく見えた。

 いつからかわたしは思うようになった。歌う真理子。それが描きたい。歌っている時に真理子の体からどこまでも広がっていくもの。それが描きたい。

 夏休みに油絵の自由課題が出された時、わたしは真理子の絵を描こうと決めた。そう決めたのは早かった。なのに絵は全然進んでいない。どうしてだろう、歌う真理子はあんなにうつくしいのに、スケッチブックに映すとすべてが色褪せる……。

 課題は七月から発表されている。今はもう八月。なのにカンバスは真っ白だ。

 真理子は夏休みでもレッスンに通っている。レッスンの日は、だいたいうちで体をほぐし声を出しておいて、先生のレッスンを受け、帰ってきてからおさらいをする。わたしは真理子の部屋でそれをスケッチする。

「歌ってないと体が鈍る。ほら、バレリーナが言うでしょう、一日練習をしないと自分に分かり、二日練習をしないと相手に分かり、三日練習をしないと観客に分かるって。そんな感じ」

 真理子は努力家だ。真理子は、将来奨学金を受けて留学し、プロになると心に決めている。わたしはどうなんだろう、漠然と先生になるんだろうな、と思うだけで、今分かっているのは、真理子の絵を描きたいと思っていることだけ。なのにそれすらも思うようにいかない。わたしには真理子が見える。真理子の歌が聞こえる。でも、だんだん分からなくなっていくような気がする。真理子はあんなに楽しそうに歌うのに。

 本当に、歌を歌っている時の真理子は楽しそうだった。あれだけレッスンで歌っているにもかかわらず、子どもが飽きることを知らないように、彼女はいつもはなうたを歌っていた。そんなときの歌は、勉強している歌曲やアリアなんかではなく、大抵が童謡だった。

「わたしね、童謡ってすき。メロディラインも歌詞も、単純なのにすごくきれい。単純だからきれいなのかな。そういう歌は、ごまかせない気がする。自分の声も、自分の内面も、そのまま出るような気がするの。ちょっと怖いね。可南ちゃん、童謡って知ってるほう?」

 わたしは真理子の歌う童謡が聞きたかったので、ううん、歌ってと答えた。

「じゃあ、ひとつ歌ってあげるね」

 ポピュラーだから知ってるかしら、と少し思案して、真理子は歌い出した。

    おーてーて つーないでー
    のーみーちーをーゆーけーばー
    みーんなー かーわあいー
    こーとりーにーなーってー
    うーたをうたーえば くーつーがーなるー
    はーれたみーそーらーに くーつーがーなるー

「二番もあるんだけど、知ってる?」

と真理子は訊いた。わたしは、ううん、と答えた。

「二番はね、跳ねて踊ってうさぎになるのよ」

 真理子は満足そうに付け加えた。覚えとく、とわたしは返事した。出会った時に真理子が歌っていた、めえめえ児山羊を思い出していた。

                               <続く>

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2002年、新潮社、第1回「女による女のためのR-18文学賞」最終候補作となった作品「なつの感触」の修正版です。
R-18文学賞に応募した後何度も改稿を重ねているので、これは、応募時の原稿ではありません。いくつものバージョンがあったのですが、データも紛失し、プリントアウトも断捨離時に一切捨てたので、手元には、2009年に個人誌として発行したバージョンだけが残っていました。
今回は、そのバージョンをもとに、少しだけ手を加えて掲載しています。
作中にはもうひとつ歌詞を引用していましたが、JASRAC の許諾が面倒くさいので、カットしました。残してある歌詞は、著作権が消滅したものです。
トータル原稿用紙50枚ほどなので、3回に分けて掲載します。
昔の作品を載せるのはいろいろな考え方があると思いますけれど、このところエッセイが多かったので、ちょっと小説が懐かしくなりました。


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