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ある心理カウンセラーの志望動機 ―祖母から教わったこと―

こんばんは、心理カウンセラーの心太です。


さて、前回の記事は初投稿で簡単な自己紹介をさせていただきました。

今回は私、心太がカウンセラーという職業を目指そうと思った経緯・理由をご紹介します。

私の場合は、祖母の影響がとても大きかったように感じています。
我が家は共働きで両親の帰りが遅く、自然と同居していた祖母と一緒に過ごす時間が長かったのです。

祖母は寡黙な働き者で、曲がった腰で庭の畑いじりや家事をしたり、手押し車を押しながら買い物に出かけたりと忙しい日々を過ごしていました。
私は、そんな祖母の傍らで土をいじったり、畑を耕す真似事をしたり、買い物帰りの祖母を迎えに行ったりと、祖母の周囲をウロチョロするのが大好きな子どもでした。

そんな祖母が脳内出血で倒れ、夜中に緊急搬送されたのは、私が小学校6年生の頃でした。
すでに寝ていた私は、庭先の救急車の明かりと、大勢の大人の足音に目を覚まし、ただ呆然と祖母と両親を見送ったことを覚えています。

その後、祖母の右半身に麻痺が残り、また物をうまく飲み込めなくなったため、入院と特別養護老人施設への入所、ときどき自宅への外泊をする生活となりました。
健康な体を喪い、これまでのような生活は送れなくなってしまいました。

病室のおばあちゃん

さて、祖母が倒れてから数年が経ち、私は中学2年生になっていました。
それまでは、“ひとのためになる仕事をしなさい”、という両親の教えを受け、子供なりに医者を目指そうとしていました。

ひとの人生において、健康が最も重要な要素であると考えたからです。
しかし、祖母の様子を見ていると、どうやらことはそれほど単純ではないように思えました。

祖母は、半身麻痺でそれまでのように歩くことができません。
嚥下障害もあり、一人で食事を摂ることはおろか、ときには非常に苦しい思いをして、気道に入り込んだ痰や食べ物を吸引しなければなりません。

お世辞にも健康とは言えません。
喪ったものも多いでしょう。

でも、祖母は穏やかなままでした。
今になれば、祖母にもいろいろと思うところがあったのだろうと思いますが、当時の私にはそれまでとなんら変わらない、優しい祖母がそこにはいるように感じました。

そこで少年心太が思ったことは、「健康はどうやら体だけの問題ではないらしい」ということでした。
この考えは、祖母と触れ合うたびに確信へと変わっていったことを覚えています。

ひとはいつか死ぬ。
事故・病気・加齢によって体の健康も衰えていく。
それでもひとは強く、優しく生きることができる。
祖母のように。

そのために必要なこと、大切なことはなんだろうか。
自分にできること、したいことはなんだろう。
私が行き着いたのは、「こころの健康」こそが生きていく上で最も重要なことなのではないか、という考えでした。

上述の発想以来、私は将来的にひとのこころの健康に携わることを目指し始めました。
その中でも、カウンセリングという人間的・対話的な手法を用いる、カウンセラーという仕事に魅力を感じ、現在に至っています。


以上が、私が心理カウンセラーを目指す経緯や理由でした。


今回の記事は、初投稿の自己紹介の続き物でした。
次の記事からはぼちぼち心理関係の話を挙げていこうと思います。

ではまた!

心太


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