『旅する哲学 大人のための旅行術』から学んだこと

2016年11月にパリで開催された「Airbnb Open」というグローバル規模の感謝祭イベントで、AirbnbのCEOであるブライアン・チェスキーがイベント参加者全員にある1冊の本をプレゼントしてくれました。

その本は「The Art of Travel」というタイトルで、世界的に有名な哲学者であるアラン・ド・ボトン(Alain De Bottonによって書かれた旅行術に関しての哲学書でした。日本では「旅する哲学 大人のための旅行術 」として、翻訳出版されています。

会場で渡されたこの本はイベントのために少し内容が書き加われた最新版のものでしたが、内容は2002年の初版のものと大きく変わらないようです。

「The Art of Travel」はヴァン・ゴッホやホッパーなど、過去の偉大な人物から得た洞察とアランの個人的な考えを混ぜながら、旅について考えさせてくれる本ですが、エッセー風で、少し難解な英語で書かれていたので、日本語版を読んだあとに、英語版を読んでみました。

良い旅が人生をより豊かにしてくれるため、旅行産業に携わる人が読むべき本の1つとされているため、この本を読んで学んだことについてnoteに書きたいと思います。

□ 現代の旅行は悲惨である

「旅行術」が始めて本の主題になったのはヴィクトリア女王の時代です。著者であるフランシス・ガルトンは旅行者にあらゆる危険から生き延びる術を教えるために記述したそうです。

こういった旅行術本を読んでいた人たちは、体力があり、生物、地質、化学、物理、歴史などの専門知識を持ち、経済的支援をするパトロンがいる、ごく一部の未知への探究心が強い博識人だったそうです。

昔は旅をするのに様々なことが求められましたが、21世紀に入り、今は誰でもしようと思えば簡単に旅ができる時代になりました。また、テクノロジーや社会の発展により、昔ほど危険から命を守るような旅行術の重要性は薄れていきます。

しかし、21世紀の旅人には新たな不幸が誕生します。それは、エキゾチックなものや未知なものが、TVをはじめとするヴィジェアルな情報の氾濫、行き届いたガイドブック、世界の均質化などのせいで、擬似的な既視感に冒され、発見の喜びや考える能力が奪われているというものです。

仮にガイドブックなどの旅行情報を参考に旅をしても、現地との繋がりがなければ、やはり自分は外から来た人間としてしか感じられず、不満に思うでしょう。

どこに行くべきか、現地で何をするべきかといった旅行情報は今の時代、身の回りに溢れるほどたくさんあります。けれども、なぜ旅をする必要があるのかどうすれば普通の旅を実りあるものにするかといった旅行術に関する情報はなかなか耳にしません。

旅行術には当然のこと、それほど単純でもなく、それほどどうでもいいことではない疑問が、数多くあってしかるべきなのに、そういった疑問に対する答えを持ち合わせないまま旅をする人があまりにも多いのです。

そのような時代のなかで、著者のアランは、旅先の経験を深め、経験に厚みを与え、できることなら食物のように消化して、自分の栄養にする技術(アート)が旅には必要だと主張します。

それでは実際にどのようにすればそのような技術を得ることができのでしょうか?

旅行前の準備をしよう

旅行前には旅行誌やガイドブックを目にすると思いますが、目にするものはどれもあなたを旅へと駆り立てるキレイな写真ばかりです。あなたは誘惑され、いつしか旅先への期待を膨らませます。

同時に、実際の現実での経験情報をネットやテレビなどで見たり、知るようになると、旅先での現実は常に薄められるようになってしまいます。

このように、時間が経つにつれ、あなたの旅先への期待は大きく膨らみ、旅先での現実はだんだん薄くなっていきます。そして、そのギャップが大きくなればなるほど、旅行前に抱く旅先の期待と実際に目にする現実が乖離し、期待が現実に裏切られるという事象が起こります。そのため、悲観的な考えを持つ人のなかには現実は常に期待を裏切り、失望させるものであるから、旅をしないほうが良いと考えるかもしれません。しかし、期待と現実はもともと別物なのだと考えるほうが、より真実に近く、より役に立つと言えます。旅行前の期待や想像は、実際の経験の野蛮な現実をはるかに超え、あくまで代理体験をもたらすことができるものとして考えましょう。

また、旅先の現実で美しい要素を享受する機会があっても、あなたの身体的欲求と心理的欲求によって受け取り方が変わります。例えば、長いフライトによるジェットラグで、休みたいといった身体的な欲求があれば、あなたは観光よりも休憩を選ぶでしょう。体は旅先の現実世界にあるのに、精神は体から引き離されて、今抱えている仕事や将来のことなど、結局は日常のことについて考えたり心配したりして、精神が旅先の現実にいない可能性もあります。

私たちが美しい対象とか素敵な事物から幸福を引き出す能力は、実際は決定的に、それよりもさらに重要な問題で、身体的欲求と心理的欲求を、まずその前に満たしているかどうかにかかっています。心理的欲求の中には、理解されること、愛されること、思いを言葉にできること、尊敬されることなどなどが含まれています。

このように旅前には期待と現実が異なるものだというものを理解し、あなたの身体的欲求と心理的欲求を満たしておきましょう。そうすることで、あなたが実際の旅で得られるものが異なってきます。どんな経験でも旅人を豊かにする素材は常にあることを忘れないようにしましょう。

□ 旅は思索の助産婦である

移動中のジェット機・船・列車は、あなたが心の中で考えていることを外に引き出すのに良い場所と言えます。眼の前にあるものと、頭のなかで考えることができるものとの間には、奇妙なと言っていいくらい相関関係があります。例えば大きな問題について考えるときは飛行機の窓から見えるしばしば大きな空の風景が求められ、内省的なもの思いは、列車に乗り、流れゆく景色とともに考えると深まりやすいです。新しいことを考えるためには新しい場所へ行くと良いでしょう。このように旅はあなたの思考の整理・発展を助けてくれる助産婦となりえます。

□ エキゾチックを求めよう

外国の場所の魅力は目新しさと変化という単純な考え方からうまれますが、あなたが旅先の要素を高く買うのは、それらが目新しいだけではなく、それらがあなたにとって価値あるものとして魅了されるからです。アイデンティティーと生き方とに、母国が与えてくれる何ものよりも忠実に一致しているものだったり、母国でむなしく渇望していたものだったりするかもしれません。そういう価値あるものを一般的には「エキゾチック」と言います。

例えば、ロンドンの建物は、クラシックな造りでノスタルジーな感じがしますが、オランダの建物はシンプルにデザインされ、現代的です。イギリスで馬がいるようなところは、エジプトではラクダに取って代わっています。空港の案内板には英語以外の言語が複数使われているかもしれません。自分の街にはない路面電車が旅先では走っていることもあります。自分の所属するコミュニティーのなかにはなかった価値観(男女平等、起業家がかっこいい、LGBTなど)が旅先にはありあす。こういったものはエキゾチックなものと言えます。

エキゾチックを求めれば、旅先に持っていた狭い見方を、遥か遠くまで広げてくれることができます。そして、心の中でぼんやりと見えていたすべてのものに、くっきりとした輪郭を見つけることができるでしょう。

エキゾチックを求める方法の1つとして、ガイドブックを部屋に置き、街中をぶらぶらと計画なく歩くのが良いです。自意識に邪魔されることや他人の積み重ねた情報に従うことも故意に反抗することもなく、自分は何に興味があるのか考えながら、自分自身の価値の区別を決めることができます。

自然に癒やされよう

自然は都市生活によって引き起こされる心理的なダメージに対して、欠かすことのできない解毒作用や調整力を持ちます。都市で生活していると、時代やエリート価値観への拘束、社会の階層のなかに占めるあなたへの不安、他人の成功への羨望、見知らぬ人の眼にも輝いて見えたいという虚栄心と欲望などに惑わされ、あなたは不幸に感じてしまいます。

しかし、不幸は、おそらく、たった1つのものの見方しかできないところから生まれます。都市生活から抜け出し、自然の中にいると、いつもの自分の見方を捨てて、自然のものの見方から見たらどう映るかというふうに、多くの視点で考えるようになります。また、人間のものの見方と、自然のものの見方との間を行き来すると、インスピレーションを与えてくれるかもしれません。自然が記憶の中に生き続けるイメージとして残れば、その人の性格は競争に、羨望に、心配に抵抗するように作られ、それゆえ祝福された人間になれます。

□ 崇高な景色を目にしよう

大海原(穏やかなときも荒れ狂うときも)、落日、断崖、大洞窟、スイスの山々など、人は崇高な景色を目にすると、「人はなんと弱い存在なのだろうか。」というような感じで、自分の小ささを感じます。通常、自分の小ささを思い知らせることは不愉快なことです。しかし、崇高なものの前では人は畏敬の念を抱きます。そして、崇高な景色に向き合うと、世界の強烈さと古さと巨大さによって、自分を小さく感じながらも、自分が抱える克服できない障害や納得できない出来事を、苦々しさも欺きもなく、あなたに受け入れさせる役割を保ってくれます。

気をつけなければならないのは、風景の多くは美しいがそこに崇高という要素は必ずしも存在しないという点です。崇高と美は、しばしば混同されますが、風景が崇高さを呼び起こすのは、人間の力より偉大な力を、人間を脅かすほどの力を秘めているときだけです。美しい風景は罪がなく、まったく危険はなくて、人間の意思に従順的に感じられます。一方で、崇高な風景は広大で、何もなく、しばしば暗く、風景の要素が同質で連なっているために、見るからに無限に感じられます

あなたの心がくじけたとき、それを支えるためには、物理的に人間を圧倒する自然のなかの要素そのものを持ち出すことが助けになります。崇高な風景は、おだやかに私たちを導いて、限界を認識させてくれるのです。もしあなたが限界を認めなければ、あなたは出来事のふつうの流れのなかにいてさえ、不安や怒りのとりこになってしまい、前に進めなくなるでしょう。

□ スケッチをしよう

絵が上手に描けるか関係なく、誰でもスケッチをすると、気付きの力を鍛えることができます。描くことは、あなたに見るということがどういうことなのか教えることができます。そして、旅先で見た美しいものをあなた自身に取り込むことができます

現実そのものには無数の要素があり、スケッチ内に全部の要素を写し取ることは絶対に不可能です。もし画家たちが目の前にあるものを正確に写し取るほかに何もしないと仮定したら、わたしたちが絵画に関心できるのは、対象の複製に必要な技術的な手腕と、画家の名声だけで、絵画は空しい追求と言えます。実際の画家たちはただ現実世界の写しを作っていません。彼らは何を重要だと感じたのかを選択します。より深い質のリアリズムを達成するために、躊躇なく素朴なリアリズムを犠牲にします。現実から写し取った結果が、現実の価値ある特徴を抽き出している限りにおいて、画家は心からの称賛を与えられるのです。

スケッチは、自分の手で目の前にある現実を再現する過程で、あなたを自然に、美を漫然と見つめる立場から、美を構成するさまざまな部分について深い理解を獲得し、深い理解を獲得することによって、美の記憶をさらに確かなものにする立場へと移行させる力があります

描くことから抽き出すことができる恩恵はもう1つあります。ある風景、ある建物にあなたが感じる魅力の背後にある理由を、意識化し理解することです。自分の好みを説明するものに気付くと、「私はこれが好きだ」という態度から、「私がこれを好きな理由は・・・」という話し方へ移り変わり、審美眼を発達させ、美醜に関する判断をはっきり口に出せるようになります。

(左)ヴィンセント・ヴァン・ゴッホ「糸杉」1889年

□ 言葉で描こう

美の印象を自らに定着する方法として、スケッチだけでなく、文章を書くことも有効であると言えます。いわば、言葉で絵を描くようなものです。

なぜ自分がこの情景に対して印象的に思うのかという問いの答えを突き止めるのに、風景から得られる事実を説明するだけは役には立ちませんが、その場所がどんなふうに見えるかを描写するだけにとどまらず、同時に、「なぜ、その場所があなたの心を動かすのか?」という問いに、その場所があなたに及ばす影響を心理的な言語で分析すると、答えに近づくようになります。

意識化された知覚を基礎にすれば、よりしっかりとした記憶が築け、美をより自分のものにすることができます

□ カメラの功罪を理解しよう

カメラは美に触発された所有したいという欲望や貴重な場面を失うのではという心配を和らげる1つの選択肢です。しかし、美を所有し美を味わう過程を単純化したわけではありません

カメラは「見ること」と「意識して見ること」との間の区別を、そして「理解すること」と「所有すること」との間の区別を曖昧にします。真実を知るための選択肢を与えてくれてはいますが、同時にまた、はからずも、真実を手に入れるための努力を、どうでもいいことのように思わせかねません。ただ写真を撮るだけで、やるべきことはすべて済ませた気にさせてしまうような感じです。

カメラはカメラで撮ったものを能動的かつ意識的に見ることの補助として使うのであれば美を所有するのに有効な手段と言えますが、あくまで美の所有の代替として使うのであれば、よくありません。

□ 旅する心で日常生活を再発見しよう

旅行から抽き出す喜びは、おそらく旅行の目的地より、旅行するあなたの心の姿勢次第によります。旅に行く時にはわくわくするのに、旅から帰ると寂しく感じるのは美しいものを受容しようとする心、つまり「旅する心」がなくなるからだと言えます。

新しい空間に入ると、わたしたちの感受性は無数の要素に向かいますが、空間に慣れ始めると、わたしたちが主体的に認識する要素は、どんどん脳によって排除され、最後にはほんの幾つかになってしまいます。

そして、自分の家に長く住み着くと「旅する心」は失われていき、日常生活の中で何か新しいものを見つけることは大変になります。また、近くで興味深いものはすべて見てしまったと、確信めいた感じがし、期待を持つこともなくなっていきます。

退屈な日々の生活の対比として素晴らしい世界があると思われますが、退屈な日々の生活の中にも素晴らしい世界はあります

新しい空間に入るときと同じように、日常生活でも、謙虚に自分の好奇心が動かされる要素に歩み寄り、何が興味を引くかについて考え、固定概念を持たないようにし、旅する心で退屈な日々の生活を素晴らしい世界に変えましょう。

旅の心さえあれば、最終的にどこに行くかは問題でなくなり、毎日が旅となります。何処に行こうと、始めての土地だと自分に言い聞かせてみましょう。

□ 1人旅をしよう

あなたが旅先で感じる反応は、誰と旅しているかによって決定的に影響を受けます。例えば、友人と一緒に旅行したとき、あなたは自分の好奇心を友人の期待に合うように加減しようとします。また、友人はあなたに幻想を抱いているかもしれません。そのことによって微妙に、あなたのある部分が現れるのが抑えられてしまう可能性があります。友人に詳しく観察されていたり、友人の質問や発言に付き合っていれば、あなたは外の世界を観察することが難しくなるかもしれません。一方で、1人旅では無数の要素に対してあなたの好奇心が赴くままに行動する自由があります

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Jackさん / マイクロ起業家

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