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集団の中にいる自分

昨日の出来事

昨日は芽室の長芋木工活動家のはっしーさんから長芋をもらった。
ありがとうはっしーさん。

この時期の十勝は長芋をはじめとした様々な作物の収穫のピークを迎えている。やはりここは日本の食糧庫だと実感した出来事。

コミュニケーション能力の低さ

さて前回のnoteの続きとして、京都での大学生活を振り返ろうかとも思ったのだが、今考えていることを備忘録的に書こうと思う。

タイトルにもしたのだが今回は「集団の中にいる自分」というテーマ。

自分と関わったことがある人は分かるかもしれないが、自分は大人数がめちゃめちゃ苦手だ。
自分の意見がはっきりと言えるのは知っている人同士でも頑張って5人くらいまで。しかも知らない人がそこに1人でも入ると極端にコミュニケーションが下手くそになる。

けど1対1だと初対面でも会話がスムーズにできる。

なので、守破離でチャレンジしたカウンターのみのBARが今一番やりたいことなのかもしれない。

守破離での営業は3回ほどであったが、お酒の話はもちろん、芽室町の歴史のお話をお客さんから聴くことができ、自分自身も大変勉強になった。

たまたま通りかかった町内の方や、2020年の閉店前によく守破離に来店されていたというお客さんなど、多くの方に来ていただいた。

尾藤さん、サワラさん、めむろワイナリーさん、KAGURAさんといった関係者の皆さまにこの場を借りてお礼申し上げます。

BAR守破離

と、ちょっと話があっちこっちにいってしまっているが、例えば集団で何かを作り上げるメンバーに自分がいて役割が見つけられないとどうしても負い目を感じてしまう。

本当にありがたいことに芽室を中心にいろんな団体や集まりに声をかけていただくことが多くなった自分だが、「果たしてその団体に何かもたらすことができているのか?」「自分がいることで何かプラスになっているのか?」を常に考える。

宿泊や飲食をやっている都合上、夜におこなわれることが多い会議などにはほとんど参加できないのも悩ましい。

かといって店を閉めるということはその日の売り上げを0にしてしまうということ。バランスの取り具合が難しい。

芽室の多くの方々にお世話になったということもあり、少しでもこの地域に恩返しをしたいと思う反面、生きていくためには事業で稼がなきゃいけない。

お金は大事だ。
金銭的に余裕が出てきて、将来の生活を見通せるようになったら心にも余裕が生まれて、地域にもっともっと関われるんだろうなぁ…と思う。

お金の増やし方を誰か教えてください。(ちゃんと合法なやり方で)


その場に居ただけにはなりたくない

これまで書いてきた自分自身の対人能力のほかにも、「集団の中にいたとしても何か成し遂げる人間」でいたいという変なプライドが自分を邪魔してくる。

中身が伴っていない人間なのに、プライドだけは高い人間って見られてしまうのではないかという不安もあるが、なぜかここだけは譲れなくなってしまっている。なんでだろう…。

なので「その場に居ただけの人」にはなりたくないという想いが強くなってしまって、結局空回りする。悪循環。

でも、その場にいられるということは「小さいながらも必要とされているのだろう」と考えればちょっとだけ自己肯定感が上がる。

自己肯定感高めで行こう

自己肯定感低めの自分

自己肯定感は低くならないようにすることが大切だ。
といいつつ、自分は基本的に自己肯定感低めで生きている。

つい先日は自己肯定感が地まで落ちてしまったので、厚岸と津別に旅に出た。

厚岸ではウイスキーに癒され、津別ではゲストハウスnanmo-nanmoの都丸さん達にお会いし、まちづくりについて話すことで色々と勉強させていただいた。

その日にたまたまゲストハウスに集まった人と夜な夜な語り合う。
これこそゲストハウスの醍醐味であろう。

自分の存在意義。芽室にいる理由。芽室のまちづくりへの関わり方。芽室の人たちへの感謝の伝え方。

いろいろと考えながら、この町で生きていきたい。

次回こそ…

次回こそ京都での大学生時代を振り返ろうと思う。
お付き合いいただければ幸いです。







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