見出し画像

MINOTAURO/Nicolás Pereda、ただただ眠たい3人

暗い室内、晴れない表情で電話をする男。やがて配達員が入ってきて、ピザを受け取るも小銭が足りない。
小競り合いの末、配達員がいなくなり、また1人になった男はもぞもぞと怠そうにピザを食べ、おもむろに突っ伏して、そのまま眠りはじめる。いかにもぐったりとした様は、ほとんど真っ暗に映された室内の映像とリンクしている。
「MINOTAURO(英題: minotaur)/ Nicolás Pereda(2015)」はこんな感じで始まる。

この映画では、全編を通して影が印象的に使われる。画面の8割が暗がりなんてこともざら。たとえば、廊下で娘を呼ぶ女の表情は黒く沈んでなにも見えない(ちょっとホラー映画っぽくもある)。または、暗闇の中で1点、ぽつりと差し込む日差しに照らされる投げ出された足やその他の何か(それが何なのか、大部分が闇に沈んでいて判別できない)にフォーカスし続ける長回し。そして時折挟みこまれる、薄暗く沈んだ家具の間を動き回る役者たち。

ここまで書くと、いかにも陰鬱な映画に聞こえる。けれど印象的なのはむしろ、部屋に満ちる暗闇の柔らかさだ。
光が差したり差さなかったりする部屋の中にはなぜか観葉植物が密生し、画面には暖かい湿度がみなぎる。この部屋で過ごす登場人物の3人は会話を繰り広げたり、本を読んだり、シャワーを浴びたり、そして昼間でもおかまいなくぐったり眠る。光合成する植物のように、彼らは眠り続ける。

観ているうち、沈むような、それでいて安らぐような、どっちつかずの陶酔に陥る。満ちる暖色の影の中で、彼女が覚えていない去年のパーティーについて会話が始まる、または朗読が突然始まる、または……どの出来事も、曖昧な構成の中で、中断され、宙に浮いていく。

監督はカナダ系メキシコ人のNicolás Pereda。トロント在住、ヨーク大学で映画制作を学ぶ。
この作品はwraith(=生き霊、幽霊)のようなファンタジーと紹介される一方、監督は

The home is impermeable to the world. Mexico is on fire, but the characters of MINOTAURO sleep soundly.

とのコメントも残している。訳すと、「その家に外の世界は入ってこない。メキシコは燃えているが、キャラクターたちは眠っている。」

この映画はMUBIとvimeoで公開中。(22/2/26時点)

この記事が参加している募集

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?