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前提プロフィール(いつの間にかUI/UXデザイナーになって株式会社BLAMでCX部の部長になるまで。)

GWいかがお過ごしでしょうか。
今日は久しぶりに悪魔的おいしさの朝マック、ベーコンエッググリドルを食べた後激しい頭痛に襲われ(朝マックは関係ない)そのまま睡眠したらこの時間でした。

読書を今後も継続してここで書き留めるにあたって、こいつはなんでこうなっているんや?という経緯が見えないと、せっかく勧めても読みたいものも読みたくない世界になるかなと思い、自己紹介させてもらいます。
あと、自分ののらりくらりさらりふわりな生き方がたまに人の助けになることを知っているからです。
働くことにしぼって書いたのですが、自身の目標通りである経験猛者なので例の如く死ぬほど長くなりました。再放送も楽しいけどいよいよすることがなくなったな、という暇なみなさんに限りどうぞお読みください。

基本プロフィール

名前:ひらやま富永
出身:兵庫県尼崎市
(ある意味なかなか人が経験できないことを経験できたことについては誇りを持つ)
所属:
株式会社BLAMのカイコク事業部CX部部長
好きな食べもの:えび・オロナミンC
好きなこと:
絵、ねこの肉球を嗅ぐ、音楽をまあまあ聴く、読書(漫画・雑誌・書籍なんでも)、テレビ、ミニチュア(リーメント社が好きですが永久のアイドル、シルバニアも好きです。)
性格:
負けず嫌い・好奇心旺盛・抜群のインドア派・運が最強・妄想癖
好きな著者:
佐藤雅彦さん、小霜和也さん、山本高史さん、寄藤文平さん、佐藤健寿さん、本谷有希子さん、村田沙耶香さん、金原ひとみさん、綿谷りささん、柚木麻子さん(ミーハーなので、小説家は芥川賞受賞作家さんが多いです)

ハタラク価値観

幼い頃から祖母・母に、働くことは楽しい・働くことは誇り・女やからって諦める世界は終わりにして欲しい、となぜか託され続け、そういった使命&価値観を持つ。母は7女1男の長女で、我慢を強いられ、外国に嫁いでようやく自由を手に入れたといつも言っていた(国際結婚です)、祖母は日本に取り残された戦争孤児で1人で働いて生き抜いたというプライドをがんがんに持っている人だった。
そんなわけで、幼稚園の時、将来はお嫁さんになりたいの、という友達をみて、人のものになるのが夢なん?だっさ、と言い、母親に怒られまくる歪んだ価値観も合わせ持ちました。(ださいとは今全く思わないけど、自分自身の結婚願望はいまだにない)
ちなみに私の夢はその頃魔女だった。

初めてのハタラク(小学3年生〜)

その後、小学校3年生から母から「これから君たちの育児も落ち着いたので、ようやくパートで働けるので、家事という名のアルバイトをしないか」とスカウトをされた。
1ヶ月1000円、昇給面談が4月で、評価によっては500円アップがあると言われ、家事をするようになる。評価されるにはアピールも大事なのでとても主張が激しい人間になる、が、評価されるための質も同時になっていないと恥さらしだということにも気づく。(最終的に5000円になった)

初めての外でハタラク(高校生〜大学生)

高校生になったある日、母から突然「義務教育も終わったことだし、解散しよう」と言われる。解雇通告である。「猶予は7月まで。それまでにアルバイト先を探して働きなさい」とのこと。
自立心旺盛で、小学校の時から一人暮らしがしたいと言ってうるさかったので、それを見越してのことなのかな。。?どういう意図かは全然わからない。
高校はバイト禁止なのにな、部活もあるのにな、と思いつつ、トライやるウィーク(尼崎だけ?中学の時にある1週間職業体験)でお世話になったマクドが一番手っ取り早いだろうということで面接を受ける。無事合格。
マクドナルドで働き始める。
これから話す上で働く時に目標をひらやまは二つ持っており、今にも影響しているので紹介。

1. 目標は時給以上

小さい頃から妄想癖がすごくて、自分は何者かに必ずなるという自己効力感がすごく、働き初めてから時給以上の価値を見出さないと私の人生がもったいないという感覚が強かった。
そのため、ただもらえる時給800円(当時)だけで私の人生の時間を過ごしてたまるか、と思い誰よりも業務効率化やエキスパートになるため働く、働く。自慢だが、スキルシール全部持っていた。(マクドのインナーブランディング本当すごいよね)

また、自分の価値を上げるため、学生の入る夕方ではなく、みんなが嫌がる朝マック(朝5-8時)に変更し、朝に関する全てのオペレーションを1人でできるようにした。
時給以上の自分の妄想に楽しむだけでなく、価値があるなと思ったところで店長に定期的に時給交渉をして、時給が上がれば入るし、時給が上がらなければ、働く時間を減らしバイト掛け持ちをして困らせるという強気に思われる人間だった、まあ至極当然だけど。(最後には社員目指さないか、とまで言われたので円満には終わっています)
今の私の働く価値観の全てがこの時点で養われたと思うので、本当にマクドナルドには感謝中の感謝。ホスピタリティやバリューは、UXで超重要なので今思えばここからはじまっているし活きている。

2. 経験猛者になる

家がまあまあ裕福でもない家庭だった。美大もあきらめさせられるくらいだし、大学は全部奨学金だった。一人暮らしも始めたけどためた100万円+バイトで、生活費は自分でやりきった。
大学は、滑り込んだ形で受験前日まで場所を知らなかった関西学院大学に入学するのだが、お嬢様お坊っちゃま度が激しく高くバイトせずに一人暮らししている人が多くいた。
もし仮にバイトして貯めて留学しても、あっという間にそれを凌駕する人たちと戦うことになる、それだとこの4年間が負けたことになるので、海外の経験は20代以降にまわし、いろんなことでバイトすることで経験値を上げまくろうという作戦にシフトした。(レッドオーシャンを避けた)
→ 後に小霜さんの書籍でいろんなバイトするのがいいと書いてあったことで救われた

以下経験値アップ
コンビニ店員/ホテルのウエイトレス/たらこを売り捌く/バーテンダー/焼鳥屋/競馬場の売店/交通調査/書店員/シュークリーム屋/アジアンカフェ/ヨーロッパ風居酒屋/寿司屋①/寿司屋②/DVDを焼く/コールセンター...
確か20個目標にして達成していたのでまだあるのだけど忘れてしまった...
基本短い訳ではなく掛け持ち3つ以上していた、相性の悪いところはすぐやめたけど。

本当にハタラク主戦場準備へ(就活編)

就活をしたかといえば、片足の親指の爪くらいしか突っ込んでいない。
学生時代、ファッション誌の編集者になりたいのに、どうしてあの黒いスーツを一律で着ないといけないのか、それで私のファッション愛が表現できるのか不思議すぎてやる気が起きなかった。
とりあえずまあ就職することは決まっているから、株式会社の株も何かわからない人生なので勉強し始めるか(文学部です)、と思い、書店でバイトしていたのでバイトしながら書籍をウォッチ。偶然見つけたのがこちら。

これがとんでもなくわかりやすく、わかりやすい理由を考えたところ聞き手である佐藤雅彦さんが、ものすごい質問力であったからというところに導かれた。で、佐藤雅彦さんって誰?と思って調べたら、だんご三兄弟・ピタゴラスイッチを作ったひとで衝撃。運命を感じる。
その佐藤雅彦さんが、電通という聞いたことがあるようなないような会社に働いていたと書いてあり、調べたところ、広告代理店だった。
普通大学で入っているのにクリエイティブなことができるのって広告業界なんだ!と気持ちが一気にシフト。広告業界を夢見る学生に変更。

そこからは、そのおさえられない気持ちを当時いろんなところで話まくり、寿司屋の大将にも伝えたところ、常連さんに多いよ〜と言われ、あ!あの人たちか!!と一致する。電気通信会社だと思っていて、電信柱に何かする会社だと思っていた(無知すぎる無知)。

そしてその話をした当日、偶然にも常連さんが訪れたのであった。
TwitterのIDを交換し(好奇心旺盛モード発動!)、仲良くなって普通の飲み仲間となった。そこでいろんな人を紹介してもらいつつ、京都広告塾や宣伝会議養成講座に東京まで通い、さらにはワタリウム美術館のバウハウスにまで通い、関大に忍び込んで山本高史さんの講義を聞きに行き、大学の図書館で広告関連棚を読破し広告業界に目を光らせる毎日、広告業界にいく気満々の日々。

まじで今度こそハタラクの決めるよ(就活終了編)

ただ、結果から言うと電通は落ちた。なぜならSPIを全く勉強してなかったからだ。(だせーーー!!!!)

そんなわけでどうしようかな〜制作会社かな〜と思っていたら常連さんのご友人の方からご連絡をいただき、スタイリストどう?とご紹介をいただく。

スタイリスト?→ぐぐる→ファッション関係かー何するんだろう?→広告・テレビ関係にも関われるのかー→上京できるのかー→じゃあそれで!

ということで面接の設定をするため、師匠である安野ともこさんからお電話をいただいたのだが、声で一目惚れ。この人のもとで働きたい、と心臓をばくばくさせながら目黒に面接へ。何やるかはわからないのですが、広告関係に携われると聞いて!服も好きです!と言うと、おもしろーい!そのくらいがいいのよね、と言われて採用。(私もまじかと思うが師匠さんの安野さんもすごい)

早めに単位を取り終わり、4回生の秋学期から上京。はじまりました、ハタラク人生。

まじでハタラクよ(新卒編)

そもそもスタイリストのアシスタントに新卒とかの概念はなく、師弟関係にあるのでいつクビになってもいい毎日。緊張感張り巡らしながらやるも失敗の毎日。領収書の前株と後株の意味もわからなかったし(また株かい)、運転は初心者で東京デビュー、車をばこばこ擦らせる毎日。

おやすみも少なかったし、よく朝日はみたし、自主的に朝日登る前から出勤もしたし、お金もなかったし、駐禁はきられたし、撮影日に寝坊したし、アシスタントだとなめくさる制作会社にも出会ったし(年齢聞いたらさらに、、忘れないぜ)、あんなに憧れていたのにえへん顔の代理店に苛立つし、大変で大変で大変だった。

だけど、辛くても辛くても、文化祭みたいな達成感の毎日、ドラマも舞台もCMの現場も緊張で吐きそうになりつつも出来上がったものをみるとうっとりしたし、きっと普通では出会えない全員ガチよりのガチのプロ(言葉が軽いが本当)の現場の方や俳優・女優さんとお会いし、切磋琢磨でき出会えたことの刺激はすごかった。何より隣にいる安野さんが心の支えで、癒しで、憧れで、本当に素敵な毎日を送られていた。あと、案件を大量に抱え込んでもなんとかなるマルチタスクマンになっていた。

そんな不思議な経験をしていた時に私ってなりたいと思っていないスタイリストになるために頑張っていてガチよりのガチのプロの人たちと今後競えるんだっけ?とふと、ふらっと流れ着いたこの選択肢に疑問を持つようになった。いつか同じ土俵にたつためにはこれだとおんぶにだっこ状態で意味がない、と思い退職をするにいたった(1年半)

まじでハタラクを見つめ直すよ(2社目編)

安野さんにも暖かく見送ってくださり、日払いのバイトでなんとか稼ぐ日々。(スマホの右真ん中の部品をつめるだけのお仕事、知り合いの居酒屋、、等々)

2社目は芸能事務所のマネジメントに入った。(これも紹介です、運いいでしょ)そこで所属していたソラミミスト・イラストレーター・アートディレクターの安齋肇さんと出会う。

私が主戦場にしたかったのは絵だった。

そこでデザインやイラストを学ぼうと言う魂胆だった。
だけど、いざ絵を描くぞ!と意気込んでも自分の好きなものがすぎる故に、下手すぎる絵を見流のが辛くてプライドが邪魔して描けない。そんなモジモジくんな日々を過ごしながら安齋さんに、仲良しのイラストレーターさんともたくさんお会いさせていただき、いろんな機会をいただき、はっと気づく。

またやってもた、おんぶにだっこや。どうしようこの末っ子根性。。
明らかに人生の路頭に迷った感、そもそも就活も真面目にしてこなかったので自己分析0。怖い。みんな師匠さんがすごいだけで私には何もない。急に病んで闇落ちし睡眠薬が手放せなくなった。(いつも究極)

そんな悩んでいた時に安齋さんと帰りのタクシーでいろいろ話していた時、酔っ払った安齋さんに「イラストレーターだけでは生きるの難しいからさ、何か別のこともやったほうがいいよ、トミーぐぐるの上手だからWeb系いけば?」と言われ、(以前電話で安齋さんのPCの電源つかない問題をぐぐって解決した)なるほど!Web系なら師匠さんらが苦手で、私得意かも!同じ土俵に立てる!と思い、Web系に転職を決意。

その頃はMacとWindowsとSafariとiphoneとbrタグしか知らない状況で(興味ないことまじで知識つけない)Web系といえばエンジニアがそうなのかな?と思い、未経験でエンジニア募集しているところに受けにいく。

何せ同じ土俵に立つことが目標なので、3年後には独立したいのでやめます、HTMLならbrタグは知っています!と伝えて前職に合格。(→アパレルのブランドを持っていたこともあり、スタイリストアシスタントを乗り越えていてデザインの素養もあるならまあいいでしょってことで合格。)
エンジニアの道が始まる。

走り出したよ(3社目)

やりだすととまらない性格なのでエンジニアとして(コーダーです)まあまあ成長。(今でもcssにはすごいうるさい)
やり始めると、当時担当していた大手ECサイトの命名規則や管理・保守性が気になりだし、さらにはLPではなくメインページが悪ければ頑張っても意味ないんじゃない?といろいろ気になり出し、初心者ながらいろいろ上司に疑問をぶつける。

またいい上司と出会ったもので、初心者だから、とうがった目をせず真摯に意見を受け止めてくれて、だったら一緒に改善やろうよ、となる。(ようやく今の職種になります。)

そこからABテストで鬼のリバイズの日々。フロントエンドとしてテンパる毎日だが、明らかに数学的な脳みそが足りていなくて優秀なエンジニアさんに頼っていたら、いつの間にか設計の方をやることになりPMに。
そして大きなリニューアルも任せてくださり、競合リサーチをしたり、仕様を決めたり、テスト項目を書き出したり、CVを見てうんうん唸ったり、WFを書いたり、チーム配分をどうするかを考えたり、サイトパフォーマンスであーだこーだいったり、Atomic Design取り入れたり、postcssがどうだのいったり、ついにはUIデザインをつくったりすようになった。
ようやく本編の名刺の肩書もUI/UXデザイナーにしてもらった。

そんなこんなで振り返ったら約束の3年がきたのでメインページの改修を全部する約束をもとに3年間でフィニッシュ!
初めての会社らしい会社はすごく充実したものだった。

同じ土俵へレッツゴー!(独立編)

そんな感じで独立して、特に予定も立てていなかったし、実は働くこと以外で今回ぶれないようにするために言ってなかったけど死ぬほどお金遣いが荒く、250万円くらい借金していた。
薄々気づいているとは思うが無計画マンといえば私のことだと思っていただきたい。

そんな中、前職の間中にまた安野さんが手掛けているジュエリーブランドのCASUCAのECサイトを任せてくださったり、ずっと友達だったYOHAKUのぴょんすから仕事ももらっていたり、TRUNK CTOデニールからTRUNKのデザインのお仕事をもらったりして日々生計を立てられるようになった。その他もお友達にご紹介もいただけてハッピーライフ。。

また、ぴょんすに誘ってもらったカタン(ボードゲーム)で出会ったタッツー(BLAMの取締役の浅川です)と帰り道に話していたら、ちょうどデザイナー募集していたんですよー!という話になり、じゃあ話聞かせてーくだーさい!となった株式会社BLAMでも働くことになった。

BLAMは役員みんなが90年生まれの同い年で、私は今まで同年代とほぼ接したことがなく、特に同い年がどう生きているかなんて興味なかったし全く知らなかった。そんな中で同世代のいろんな価値観や違う生き方をみることがとても楽しくて、本当に私とは違った価値観なので驚くのだけど、悪い意味にはならずなぜか知らないが居心地がよかった。
私が陰キャラよりのサブカルマンだとするとみんなは陽キャラよりのリア充マンなのである。(根は陰な人が多いのは後々知る)
その時に、執行役員のみやしゅん(宮本)に、とみーを社員に狙ってんだよねー!(酔っ払ってたと思う)と言われて、狙われてるのかー、ならチームで何かやるのもありかなーと考え出して社員を決意。
(同じ土俵に立つことがメインだったので独立に特にこだわりがなかった)

やっときたよ!BLAM(現在編)

入社時期は明るみに出したくないのだけど、フリーランスでやっていた全ての人を社員になったからと言ってお断りは絶対したくない、という話をして週4で社員に。複業マッチングサービスのカイコクのデザイナーとなった。
そこからしばらくして開発チームのマネージャーに。

当時は(ていっても最近だけど)他のもあいまって週11稼働くらいしていて本当に死ぬかと思った。
今はタイミングも重なり、徐々に徐々に複業になった方をペースを落として週6、7稼働で、BLAMを週5にした。

なぜフルコミットの週5にしたかというと、所属すると決めた株式会社BLAMに本気で目を向けると、がむしゃらで大好きなみんなにはブランドという武器をあまり持っていなかった。前提条件で不利な状態で働くみんなをみて、悔しくて悔しくて、こんなにいい人たちなのに世の中に全然まだまだわかってもらえないなんて!!!怒、と思った。
(こう思えたのも今までの複業経験があると思っているので、引き続き複業は継続するんだ)
でも同時に、会社の、サービスの、ブランドをどうこう考えるためには、自分の経営やブランディング・マーケティングの知識が圧倒的に足りていなかった。また悔しくて悔しくて勉強をする日々と自分が気づいているのに開発部の領域でしか力にできないことにむしゃくしゃする日々。
カエタイ、オラ、カイシャ、ヨクシタイ。

そんなこんなで代表の杉生や取締役の浅川と話し、今の読書にいたったり、5月ほやほやのCX部の部長にいたったりした。
あと、すっかり長すぎて忘れているかと思うのですが、もちろん絵もあきらめていないので今春からムサビの通信大学で油絵科に通うよ!
やったーーー!


圧倒的にこれからのひらやまとまだまだやるぜのカイコクをどうかひとつお願いしますぜ、としつつ、次は4月に読書したものを書きます。

最後に

ちなみに、複業で主にやっているLISTはやりたいことリストのアプリです。
ひらやまのやりたいことがいっぱい詰まった記事の後に一ミリでも触発されたらダウンロードしてみてくだされ。長すぎる導線。メルマガなら怒られます。

はたまた、ひらやまは複業が大きなきっかけで働く自立ができたと思っています。だからカイコクを、ハタラクを主として考えるBLAMに共感をもちました。今はデジマ特化ですが、いいきっかけになってもらえたら。どんどん拡大します。

ひらやまは、デジマはまだまだわからないんだけども、話しを聞いて勉強しつつやっているオンラインコミュニティのデジマギルドの開催は次回は5/7(木)19:30〜@zoomでGDNについてです。
興味があったらカイコクTwitterにDMください。中の人のひらやまが応対します。

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しょっちゅう話してくれ話してくれーとお願いしているマーケ責任者のたけしくんのnoteはこちら

では、ハタラクはまだまだ続くね。(フェイタンかよ。)インドアのひらやまとどこかで会えたらあなたのハタラクも教えてください。


※ ハタラクがカタカナなのは、BLAMで
 「役務だけじゃなく、勉強やキャリアのことを考える時間も含む。
労働に留まらない「ハタラク」を指す。」からなのでした。
※ ひらやまを主語にしてしまうのは癖です。メタ認知が激しすぎる故です。

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