愛を教える時、その"痛み"を説く母。『ジョジョ・ラビット』のスカーレット・ヨハンソン
青いドレス、青い蝶
スカーレット・ヨハンソン演じる母親像がとにかく魅力的だった。
ディズニープラス内で「戦争コメディ」とカテゴライズされている作品。その通り、戦争映画とは思えないほど彩度が高くカラフルな画面の中で、鮮やかな青いドレスをまとうスカーレット・ヨハンソンは特段に美しかった。
この作品の中で象徴的に舞う青い蝶は、幸せの象徴、神様の使い、未来などを意味するという。
恋は、お腹の中で蝶が飛び回るように痛い
戦争に夢中な10歳の少年はそう言い返す。そんな"健全な"男の子に、愛をどう伝えるだろう。僕ならそれがいかに素敵なものか、なぜ「強い」と言えるのかを力説してしまうと思う。きっとすごく野暮ったいし、少年の興味を引くことは難しそうだ。
スカーレット・ヨハンソンは違った。愛を教えるときに、その「痛み」を教えていた。
ジョジョ少年はポカーンとしていた。彼の頭の中を想像するなら「ママが言う愛ってヤツは痛いの?痛いモノの何が良いの?」と混乱していたかもしれないし、「あれ?なんだかちょっとわかるかも…」だったかもしれない。
その後も、スカーレット・ヨハンソンは「痛み」に関するセリフを述べている。親子で河原を散歩するシーンだ。
ピンと来た。「木に登ったりしないと」で締めても、ここでの会話自体は成立する。「木から落ちたりしないと」を付け足した点に、やはり「痛み」を知ることを大切にする彼女らしさを感じた。
物語は終盤。愛を説き続けた母との別れを乗り越え、戦争ごっこに夢中だったジョジョはエルサに対する自分の感情を知り、おそらく人生で初めての愛の告白をする。
待っていたのは強烈なビンタ。
愛することは、痛みを伴う。ジョジョはエルサのビンタに対して「当然だと思う」と受け止めた。決して逃げなかった。
息子の考えを否定しないスタンス
自らは確固たる信念を持ち、反ナチスとして活動する母。対照的にナチスや戦争に傾倒する息子。それでも母は自分の思想を押し付けるようなことはしなかった。
一度、食卓のシーンで確実に意見が対立したが、「この話はやめ!食卓は永世中立国、スイスよ!」と、これまた素敵な表現で議論をストップさせた。
この時代では、反ナチスの思想を持たない方が、息子が平和に生きられるから、という想いもあるかもしれないが、ひとりの人間として息子の思想を尊重していたようにも感じる。
親子の会話の中で、母は息子に「答え」を示すことはしなかった。「自分で考えなさい。自分で見つけて、自分で選択しなさい」といったメッセージも感じられた。
自分が反対する思想に傾倒する息子の姿には、きっと少なくない痛みを伴うはずだが、そんな姿や表情はまるで見せなかった。母の愛の前には思想の相違など取るに足らぬもの。そうであれば、やはり愛は強い。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?