「社会をする」ために「書く」ことを守っていく

連休がある方もない方も、5月、みなさんいかがお過ごしですか?

個人的なことや家庭内でのどたばたしていることなどは、あえてここでは書かないけれど、好きなことである「食」「暮らし」のことをテーマにお伝えするとしたら、この春は、山菜・山の幸づくしで過ごしています。

2年ほど暮らしていた東北の山里でお世話になった方から、都会より一足遅れた春の便りが届いて……

山菜・こごみをゆでて

おひたしにしたり、

ばっけ(ふきのとう)をゆでて、

ばっけみそを作ったり(ほろにがくて、ごはんに合う)、

たらの芽は、天ぷらにするのはテッパンだけど、肉巻きにしてみたり(ころころとしてとてもかわいい)、

こしあぶらをまぜごはんにしてみたり(ほろ苦い香りが、身体を目覚めさせてくれました)

こごみのおひたしでツナマヨパスタにしてみたり。

山菜を脇役じゃなくて、主役にするためには、どんなお料理がひきたつのだろうかと考えるのは、いつも「なにをわたしはいちばん食べたいのかな」という欲望に沿ってメニューを考えて、それを形にするプロセスも楽しいのだけど、「これを主役にしたい」というミッションというかテーマそって考えるのも、わたしにとっては楽しいことです。

自分の特性上、なにもかもそういった目的思考が強いので、がんばりすぎてしまいがちなところもあるのですが、自分にしか分かりえないミッションというかテーマを自身に与えてあげると、それがたちまち「遊び」となって、義務やタスクではなくなって、好きでやっているだけのことになります。

我ながらなにもかもに意味を持たせようとする「重いやつ」「くそ真面目」とうんざりするけれど、自分を構成している必要な要素であることは間違いないと思っています。

義母から、佐賀牛が初めてのわたしにと、とびきりの佐賀牛も送っていただいて、お皿からはみ出るようなでっかいとろけるお肉も、ぜいたくにいただきました。

とまあそんなかんじで暮らしていたわけですが、ここ最近、noteを数年ぶりに再開したこともあって、自分にとって「書く」という行為をどう位置付けるのかということが課題として浮かび上がってきたため、日々ふわふわと考えてもいました。

先月からわたしは、「なんでもない日のうた」「発達障害を背負わない」「ASD(自閉症スペクトラム)女の『愛』とか『セックス』とか」というタイトルの定期マガジンを立て続けに始めたのですが、それは、「この分類だったら書くものを棲み分けできそう」と思ったからでした。

ですが、実際に書いてみると、どのマガジンに入れたらいいか、線引きが迷わず下せるものもあれば、重複するものもあったりで、運用方法については試行中といったかんじです。

読んでくださる方には、だぶりになってしまうので、それが定期マガジンとして許されるものなのか、ちょっと勉強不足でして、調べてみようと思います。

そのような試行段階のなかで、わたしが直面したのは「書く」ということの行為の位置付けについてでした。

もう十数年以上は、仕事として取材・執筆はしてきたわけですが、近くいま所属しているとあるメディアから離れつつあるという節目もあるなかで、仕事としてこれからも書いていくには、どうしても「社会」となんらかのあつれきを生じさせていくことは、不可欠です。

やるからには、いい加減な気持ちではなく、どんどんとずんずんと、がしがしと核心に突き進んでいきたいという心持ちが常にあります。

一方で、核心に突き進めば突き進むほど、まだまだ自分が「当事者」だと感じられるテーマも少なくなかったり、これも特性上「こだわりの強さ」として出てしまっている部分ではありますが、「社会はこうあらねばならない」「こういうソーシャルワークをしたい」という理想が強いものであるほど、強く引きつけられたり、魂のようなものを奮い立たせてくれたりする原動力となるものの、それは自分を苦しめてしまうものであることを、いやなくらいに繰り返して理解してもいます。

もうそのような、苦しめるとわかっているところに自ら飛び込むことによる”失敗体験”は、繰り返したくはないのです。

だけど、わたしは、「書く」という営みは続けていくと思うし、手放すことはしないとも思います。

その気持ちを併存することはできるのか。

そんななかで出した答えが、「社会をする」ために「書く」ということを守るということでした。

そこに行きつくにあたっては、きょうはある方に相談をさせていただき、お力を借りました。

やりとりをするなかで、2人のあいだで、「社会をする」という、これまで聞いたことのない新しい言葉が生まれたのが、新鮮でした。

社会をするために、具体的にどう「書く」ことを守っていくかということは、これから実際に考えながら、進めていきたいと思っています。

そんなような実践についての考察も、ここでつづっていければなどと、試行段階のなかではありますが、考えています。

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