見出し画像

体内記憶否定派の私が受け入れられるようになったわけ

私は、体内記憶をあまり信じてはいなかった。
子どもは親を選んで生まれてくるなんて、信じられなかったし、否定もしていた。
だって、それが本当なら、私は好き好んで今の環境に生まれてきたことになるのだから。


しかし、そのことについて、1つの答えのようなものを見つけたので、ご紹介しようと思う。


体内記憶について、以前から多少の知識はあったが、全てを否定していたわけではない。
そんなこともあるんだなぁくらいに、話半分で聞いていた。



だからこそ、うちの子どもたちが小さいときに、聞いてみたこともあった。
でも、残念ながら、我が子たちは覚えていなかった。


我が子たちが覚えていなかったこともあり、やっぱり心から信じることはできなかった。
なぜなら、不幸になる子どもがいるのを知っているから。


私が、You Tubeを聞きながら作業をしているのは以前も書いたが、体内記憶についての情報をたくさん知ったのも、やはりYou Tubeからだった。
たまたまおすすめに出てきたのをクリックしたのがきっかけだった。


体内記憶については、さまざまな内容があるわけだが、軽い毒親育ちとしては、本当に親を選んで生まれてくるのかが気になるところである。


私が聞いたことをまとめると、以下の通り。

  1. 母親を選んで生まれてくる子どもが多いらしい。

  2. 祖母を選んで生まれてくる子も多少いるらしい。

  3. 父親を選んで生まれる子もいるにはいるが、殆ど報告がないらしい。

  4. 自分が幸せになるために、その親を選んでいるとは限らないらしい。

  5. 体内記憶を覚えているか否かは、生まれる前に選べるらしい。

  6. 間違って他の人に入ってしまうこともあるらしい。


つまり、母親と父親の両方を選べるわけではないらしい。
選べるのは1人。


そして、興味深いのは、4.の"幸せになるためとは限らない"ということだ。
そういえば、生まれるのは修行のためらしいということを思い出した。

人は、生まれたあとにやることを決めてから、生まれるらしい。
それが一見辛いと思うようなことの場合もあるらしい。



その、やることだが、魂を磨くための試練なのだから、辛いと思うようなことである可能性もあるのはわかる。
そのやることを完遂できる親を選んで生まれるのなら、厳しい環境を選ぶのもわかる気がする。


以上をふまえ、体内記憶について、全てまるっと信じているわけではないが、今までのように否定するのはやめようと思い始めている。


以前は、こんな親を選んでしまったなんて、認めたくないという思いが強かった。
だから、体内記憶や親を選んで生まれてくるということを否定していた。


しかし、今までの理不尽が、試練をこなし成長するためと考えたら、確かに私は成長したと思う。
まだまだ課題はあって、道半ばだとさえ思う。



そう考えると、私の親は、私が超えるべき壁であって、今まさに越えようとしているのかもしれない。


勘違いしてほしくないのは、超えられない試練は与えられないなどと言うつもりはない。
なぜなら、試練を決めているのは自分であって、神ではない。
私なら、目測を誤ることだってあるだろう。


もし、今は無理だと思うなら、そのときは諦めて他のことから解決すれば良い。
回り道をして、力をつけ、またチャレンジすれば良い。


辛い経験をしたくてこの世に生まれてくる人もいるのかもしれない。
しかし、私は、辛いことや痛いことがきらいだ。
きっと、幸せになるために生まれてきているだろう。


私が、今回の人生で学ぼうと決めたことは、"自分を大切にすること"かもしれない。
だって、未だにそれができるようになってはいないのだから。


生まれる前に決めたことができるようになれば、天に帰るらしい。
つまり、まだ帰ってないということは、まだ完遂できていないということだ。
ただ、タイムリミットはあるらしく、一度の人生で完遂できなければ、第二弾もあるらしいが。


辛い理不尽はもうそこそこ経験した。
まだ未完遂なことなら、理不尽を経験することではないはずだ。



まだ、経験していないこと。

つまり、あとは幸せになるしかない。

こんなことを言うと、楽観的すぎるだろうか。
でも、そんな考え方でも良いだろう。
もう随分、苦労はしたのだから。


そして、何より、やること自体を私が決めているのなら大丈夫だと、なぜか根拠のない自信がある。



自己肯定感が上がると、すべてをポジティブに考えられる。
自己肯定感が上がった今だからこそ、体内記憶を受け入れられるようになったのかもしれない。


 

〜追伸〜

今回、らしいらしいと伝聞ばかりでごめんなさい。
スピリチュアルやオカルトなどにどっぷり浸かるつもりはないけれど、自分の目に映らないものを全否定しないようにはしています。
だって、案外見えてないものが多いのを知っているから。
人を巻き込むつもりはないけれど、自分が楽しむ程度なら、今後もいろいろな情報に触れていきたいと思っています。
苦手な方はスルーしてくださいね。



関連記事はこちら。

自己肯定感が上がったきっかけの話。

自己肯定感が案外高かったと気づいた話。




#note初心者
#エッセイ
#ブログ
#人生
#生き方
#記憶
#成長

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?