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特集 - 東海道五十三次

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東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんんつぎ)は、江戸時代に整備された街道の名称ですね。東海道にある53の宿場のことを指します。宿場(しゅくば)とは、宿、宿駅(しゅくえき)とも… もっと読む
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東海道五十三次における川崎宿の役割

東海道五十三次における川崎宿の役割

川崎宿は、東海道五十三次の2番目の宿場。東海道の街道が発足してすぐには正式な宿場ではありませんでした。前の宿場の品川から次の神奈川宿までの距離が長く、伝馬(でんま/でんば)の負担軽減の為に少し立ってから正式採用された。宿場町は維持費が高くなり、住民への負担も大きく、長く資金に苦労していたと伝わっている。徳川吉宗は将軍になる前の江戸への道中で、川崎稲荷社の境内で休憩されたと云われている。

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これからの川崎について

これからの川崎について

川崎は、京浜工業地帯に入っており、非常に多くのメーカー企業の工場が乱立しています。写真は川崎市内ですし、味の素や花王などの大企業の工場も多くあります。

夜になると非常に幻想的で、日本経済を支えている要因の一つなのですね。海浜エリアであり、今後も企業の多くが存在し、それらを支えるように中小企業も残っていくことでしょう。

そして、内陸はベットタウンとして静かな街を残し続けていくと思われます。アゼリ

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川崎の今昔

川崎の今昔

川崎市は多摩川のめぐみもあり、都会の喧騒を忘れて穏やかに過ごせる場所である。東京のベットタウンということもあり、賑わいを見せる場所も多い。歴史ある街で武家も多くおり、古くからの閑静な住宅地が多かった。

現在は神奈川県の政令指定都市の一つでもある。また、川崎大師は関東三山の一つに数えられ、災厄をことごとく消除する厄除大師として大変有名です。正月の参詣客はおよそ300 万人にも達し、大きな賑わいも見

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これからの品川について

これからの品川について

今後もビジネスの中心地になり続けることでしょう。東京の交通の中心地であり、京急線による神奈川県の移動手段という立ち位置はこれからも同様の歴史を刻んでいくことと思います。

京急線付近や路地裏を行くと昔ながらの家が軒を連ねている様子も垣間見ることができるので、こちらも残していくことが「品川」という町の醍醐味なのかもしれません。御殿山の桜、商店街、ビジネス街による多くの人の交通。これらは昔から変わらな

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東海道五十三次における品川宿の役割

東海道五十三次における品川宿の役割

宿場としては最初の品川宿(あくまで日本橋は出発地点という認識)。

当然、行き交う人も様々だったようですが、御殿山の桜や潮干狩りなども出来た為、江戸に住む人の行楽地でもあった様子。御殿という町自体はないのですが、室町時代の港町で繁栄しつつ寺なども多く建てられたようです。

徳川家光時代には沢庵和尚の為の寺の創建、徳川吉宗時代の桜の植林によって、将軍に関わりの多い地域となった。それと同時に江戸庶民の

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これからの日本橋について

これからの日本橋について

日本橋は情緒あふれる街であり、老舗や料亭、割烹などが揃うイメージがありますが、兜町や茅場町を有する、金融経済で発展した街の側面も持っています。道行く先に各都道府県の銀行の支店が出揃い、素人では聞いたことない証券会社、信用金庫が軒を連ねています。

日本に初めてできた銀行が兜町できたことや、日本の資本主義の父と言われている渋沢栄一私邸も兜町にあったようです。今はビルが立ち並び忙しないですが、路地裏や

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品川の今昔

品川の今昔

品川駅(正確には品川区ではなく港区ですが…)は通勤・通学のラッシュアワーが物凄いことで有名です。都内、神奈川に行く為の洋書であることは、宿場だったころの品川もそうだったようですね。

東海道だけでなく、五街道中で最大の交通量を誇っていたんです。ビジネス街という印象が強いですが、これは昔からの人の行き交いで生まれた歴史なのだと思わせる場所でもありますね。

旅マガジン TOMOIKI
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日本橋の今昔

日本橋の今昔

日本橋は情緒あふれる街であり、老舗や料亭、割烹などが揃うイメージがありますが、兜町や茅場町を有する、金融経済で発展した街の側面も持っています。道行く先に各都道府県の銀行の支店が出揃い、素人では聞いたことない証券会社、信用金庫が軒を連ねています。

日本に初めてできた銀行が兜町できたことや、日本の資本主義の父と言われている渋沢栄一私邸も兜町にあったようです。今はビルが立ち並び忙しないですが、路地裏や

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東海道五十三次における日本橋の役割

東海道五十三次における日本橋の役割

江戸から京都へ向かう東海道の起点である日本橋。当時の参勤交代時における大名行列が朝早くから江戸を出発する様子が描かれていたりもします。

背景を知って上で見ると面白いですよ。

一方で、魚河岸から仕入れを終え、行商に出かける様子も描かれており、江戸で一番賑わっている早朝の日本橋の活気が伝わってきます。
主役は、旅人であり、武士であり、商人だったんだと思います。

日本橋を訪れた人全て。ここから各自

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