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本当は死にたくなかったんだと思う

みなさんこんにちは。フリーライターのつじです。

唐突ですが、みなさんは死のうとした経験はありますか?私は記憶にある限り、2回死のうとしたことがあります。

本来であればこのようなことはネット上で書くべきことではないかもしれません。

しかし、私は自分の気持ちを脳内で言語化して生きている性分です。そのため、自分の気持ちに嘘をついて生きるのはすっごく苦しく感じます。

でも、このnoteを家族が読んだらショックで泣き崩れるかもしれないし、クライアントや友人は危ないやつだと思って離れてしまうかもしれない。好きな人はメンヘラ扱いして私の元を去るかも…というジレンマもありました。

それでも、死のうとした過去は変わらないし、変わらないからこそ過去の捉え方を変えて生きようとしなければならない。

また、私は弱い人間だから、血迷ったら死んでしまうかもしれない。だから、死なないために。

非常に身勝手な話ではありますが、自分が死のうとしないために、この話をnoteにしようと決意しました。

心が痛む内容で恐縮ですが、今回は私がずっと隠していた自殺未遂を経験した話を書き綴ります。

初めて死にたいと思った日

私が初めて「死にたい」と思ったのは11〜12歳の頃です。

8歳の頃に両親が離婚をして父に引き取られて育った私は父と上手くコミュニケーションがとれず、学校では集団の輪に上手く入り込むことができなかったため、居場所がない日々を過ごしていました。

勉強も楽しくなければ休み時間は話す友人がいない(打ち解ける友人はほぼ全員転校するというジンクスつき)、よくあるクラス内の男子のいじめの対象になるという女子だっため学校は苦痛で仕方ない。

親に学校に行きたくないと言っても真面目に話を聞いてくれない、家族の思い出なんて何もない。家族は私を邪魔者扱いするし、どんなことをしても寂しさや辛さを抱えた心の叫びに気づいてくれない。

こんな人生なら生まれてこなければ良かった。この思いは私が死なないときっと気づいてくれない。死ななければ報われないのか。

実際に飛び降りる勇気もない私は、頭の中で何回も飛び降りる自分を想像しながら3階の教室の窓を眺めて過ごしていました。

初めて死のうとしたとき

中学では親友ができ、小学校の時のような悩みも忘れて過ごしていました。

しかし、16歳頃から心のわだかまりをコントロールできなくなり、不眠状態に。後に自傷行為も止まらなくなってしまいます。

17歳の頃に休学して精神科に通うようになり、安定剤や睡眠薬を処方されたのと同時に家庭は崩壊。祖母には無理矢理起こされ外に出させられる、兄には学歴を馬鹿にされ、父には「お前はおかしい」と言われる日々でした。

※当時、家族は私がただ単に怠けて何もしていない人だと思っていたのだと思います。


18歳の冬、この家庭崩壊をきっかけに安定剤を過剰服用して1回目の自殺未遂を起こしてしまいます。

※安定剤を溜め込むのは色んな理由があると思いますが、薬のストックがない=頼れるものがなくて怖くなることが理由でした。

幸か不幸か生きている&救急車に運ばれるところまで至らずでした。しかし、寝る前に過剰に飲んだ安定剤のせいで歩けないうえに目をあけると目の前が真っ暗になる。その日は一日寝込んでいたのを今でも覚えています。

ここから薬の過剰摂取は控えるようになりましたが、心のわだかまりはまだ消えないままでした。

本気で死のうとしたとき

19際か20歳になる前後、本気で死のうとしたことがありました。

とてつもない空虚感や憂鬱に襲われ、生きることが怖くなった私は自宅のクローゼットの持ち手にネクタイを通し首を吊ろうとしてしまいます。しかし、起きたらベットで眠っていました。

※父が私が部屋の隅で息を切らして倒れているのを見かけて布団まで運んでくれたようです。(父が自殺未遂に気づいたかは知りませんが…)

起きたときは死ねなかったことへの後悔よりも、本当に死んでしまったら大変なことになってしまったのかもしれない、という怖さと「もうあんな思いをしたくない」という気持ちが残っていました。

当時は死への怖さや恐れが強く残っていましたが、今思い返すと死のうとする前に誰かに助けてほしかったことから自傷行為や自殺未遂を繰り返していたんだと思います。

死にたくないから助けてください

長い年月が経った今は、昔より生きやすさを感じられるようになりました。

しかし、私は強い人間ではありません。そのため、とてつもない空虚感や寂しさ、困難が大きく感じたとき、自傷行為を行っていた日のことや死のうとした日のことが頭を過り怖くなることがあります。

空虚感や寂しさにをそのままにしていると心が壊れて過去の過ちを犯してしまうのではないか。また、病院で安定剤を飲んだりふさぎ込む毎日が続いたらどうしよう。という恐怖に見舞われながら生きています。

誰にも気づかれず、一人で黙々と過去の出来事との戦いに誰にも言わずに乗り越えられれば問題ないのですが…。

一度大きな過ちを犯していると二度目の過ちが怖くなるのです。また、年齢的にも自傷行為や自殺未遂をしてしまうと10代の頃より失うものは多くなります。

私の身勝手な都合で大変申し訳ありませんが、私は死にたくありません。

私に死んでほしいと思っている人や、勝手に生きてれば?と思っている人も居るでしょう。こんなメンヘラ構ってられないよと思いながらこのnoteを読んでいる方もたくさんいると思います。

でも、まだ少しだけ消えちゃおうかと思うこともあります。精神科の治療を受ければ良いと思うかもしれませんが、安定剤で人生の数年間を棒に振っている私は、安定剤を飲めば解決するとは思っていません。

だから、少しだけ。私が嵐のように荒れていたら一秒だけでも「生きたい」と思えるように、声をかけてくれたら嬉しいです。

他人の自殺は他人事ではない

昨今、私と同じくらいの年代の方が自ら絶つようなニュースが私たちの心を揺るがせています。

一度、死のうとした身としては「もしかしたら私もこうなっていたのかもしれない」「次は私になるかもしれない」と感じるニュースです。

しかし、怖くなると同時に「もし誰かが一緒にいたら防げたのかもしれない」という後悔も募るのです。

もし、私以外に元気がない人や様子がいつもと違う人、心が弱くなっていそうな人がいたら、その人と5分だけでも一緒にいてあげたりコミュニケーションをとったりしてあげてください。

自殺は孤独な人を1人でも減らすことで防げると思います。

そして、死のうと思っている人や死ぬまではいかないけれども空虚感にまみれている人は、素直に荒れたり泣いたりして、少し楽になりましょう。

弱い部分を見せることは悪いことではないから、死にたいって思う時間が減ることをしましょう。

もし、誰にも言えずに辛くなったら私に連絡してください!

過去に自殺して命を絶った人も、本当は死にたくなかったんだと思います。助けてほしかったけど、助けてもらえなかったから死んでしまったのだと感じます。

だから、死ぬ勇気があるくらいなら…と言わずに。傍に弱っている人が居たら5分だけでもその人に何かしらの形で寄り添ってあげられる人が増えてほしいと思うばかりです。

最後に、私が大好きな曲の歌詞の一部をシェアします。こんなやさしい言葉があふれる世界になりますように。

悲しみは いらない やさしい歌だけでいい
あなたに降り注ぐ全てが 正しい やさしいになれ
正しい やさしいになれ 正しい やさしいであれ
引用:Cocco ジュゴンの見える丘

最後までお読みいただきありがとうございます。それでは、また。

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