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世界は光と闇でできているー「LION〜25年目のただいま」鑑賞

気になっていた映画「LION /ライオン 〜25年目のただいま〜」を見ました。

私はどうしても、"based on a true story" 事実に基づいた映画、というものに引かれてしまいます。誰かの「事実」がどのように「表現」されておるのだろうか、と。

2017年の映画。公開当時に情報が入っていない自分が情けない。

当時話題になっているはずなのでご存知の方も多いかもしれないが、この映画は、5歳の時にインドで迷子になったサルーが、オーストラリアで養子となり、25年を経て故郷へ帰るという作り話みたいな本当の話がベースになっています。

このキャッチコピーがもう強烈すぎる。

迷った距離1万キロ、
探した時間25年、
道案内はGoogle Earth

どうやって? 本当に? そんなことが可能なの?

観客を惹きつける主人公の「CQ=セントラル・クエスチョン」が、見事に炸裂しています。


さて、素晴らしい映画だった、と一言で言い切ることのできない、感動と困惑が入り混じった鑑賞後です。

サルーが5歳まで育ったインドのほぼスラム街のような貧困の村。インドの喧騒に飲み込まれ、迷子になってしまったサルーは、その後、人身売買や物乞い、孤児院をへて、オーストラリアへ養子へ。

石炭を盗んで牛乳と交換してもらう生活から、冷蔵庫をあければなんでもある豊かさの極みの世界への移動。

映像とはいえ、あまりに忠実に再現された世界の格差に、気色悪さを感じてしまいました。

それぞれの場所で享受している「豊かさ」の質の違い、生きる時間の濃さの違い、大人たちの顔色、思惑や優しさの種類の違い・・・

サルーが経験した、最貧困から何不自由ない豊かな暮らしへの移動に、「よかったね」と声をかけられる要素は何もない、と感じました。


一方で、豊かさを否定する気にもなれません。彼が25年を経て愛されたインドの家族の元へ帰れたのは、他でもない、豊かさの象徴とも言えるテクノロジーなわけです。

Google Earthがなかったら、5歳当時の記憶を現地に繋ぐことなど、不可能に近かったでしょう。

どちらが善で悪で、という話にはどうしたってならない。光と影が、同時に入り乱れる人生に、見ている自分の感情をどう捉えたらいいのか、戸惑いました。


「英国のスピーチ」製作陣が挑んだ作品であることもキャッチーだったようですが、事実をかなり忠実に再現していることは当の本人がインタビューなどで語っていて、とはいえドキュメンタリーほど退屈でもなく、創作・表現にまつわる大変高度なアレンジを感じます。

子役の男の子がまた、とんでもない逸材。混沌のインドを生き抜く、透き通った、ひたむきな眼差し。彼の演技にほとんど持って行かれたような映画ですね。


インドでは実に8万人もの孤児が生まれているといいます。本人は現在、インドで孤児院を営み、オーストラリアとの養子縁組に関わっているのだとか。

筆舌に尽くし難い経験であろうとも、人生を嘆くのではなく、受け止め、生きる。未来に繋ぐ。

そう、ポジティブに受け止めることのできる映画でもありましたが、それだけではないものも感じました。

この世界は思ったよりも、闇をベースに出来上がっているのかもしれません。死に近いところにある、不気味で邪悪なあらゆる闇のお陰で、世界はバランスを保っていられる。

サルーの人生から受け取ったメッセージは、「諦めるな」とか「生き延びればなんとかなる」とかいう、そんな単純なことではなかったように思います。

そうではなく、親を失い、今日食べるものにも喘ぐ子どもたちがいることで、今日の私の、私たちの豊かさが成り立っている、という非情な可能性だったんではないかと思うのです。


原作の翻訳本も出ていたのね。読んでみよう。

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