見出し画像

「川のほとりに立つ者は」 寺地はるな著

「川のほとりに立つ者は、水底に沈む石の数を知り得ない」

作中に何度となく出てくるこのフレーズは、この小説の物語を凝縮して表している。

我々は皆、この川のほとりに立つ者である。相手のことや周囲のことなど何も理解していない。理解しているつもりになっていて、実際のところは全く理解していない。そして誤解や思い込みの中で生きている。

物語は、カフェで雇われ店長として働く清瀬を中心に、その恋人の松木、松木の幼馴染かつ親友の岩井、そして岩井の周辺の人物やカフェの従業員などが登場してくる。これら登場人物は様々な背景や事情を持っている。例えば岩井は学習障害、具体的には言語障害を持っていると思われ、子供の頃から文字を書くことに非常な困難を抱えている。清瀬が店長として働くカフェのアルバイト店員の品川はADHDで物忘れなどが激しく作業をテキパキとこなせない。岩井が恋焦がれるまおは不幸な生い立ちから家を出ているが、交際相手からハラスメントを受けている。清瀬は更に、岩井が障害を克服するために松木が先生役となって文字を教えているとは知らず「天音(まお)」宛の手紙を松木の部屋で偶然に発見し、激怒して松木と疎遠になってしまう。

清瀬目線で物語を読み進めていくと、いかに清瀬が周囲の人間のことを理解せずに生きてききていたかが照らし出されてくる。しかしながら、自分に当てはめてみると、多くの人が清瀬のような状態ではないだろうか。会社や学校で日々顔を合わせる人たちのことをどれだけ深く知っているだろうか。この人は仕事ができない、この人は勉強ができない、この人はいつも人間関係でトラブルを作っている、などと表面的なことは目に入るが、その背景であったり、状況などは多くの場合は知らないし、理解していない。

清瀬は松木が入院し意識不明の際に仕事に出られず店を他のアルバイト店員に任せてしまう期間がある。その際に、なぜ出勤できない状況なのか清瀬自身の口から店員に説明していなかった。そのことで店員から「なぜ言ってくれなかったのか」と咎められるシーンがある。そして、カフェのオーナーは清瀬が物事を抱え込んでしまう傾向があることを理解していて、他の店員には事情を説明していた。そのことで清瀬は、自分自身も周りに支えられて生きているのだということを理解し始める。そういった清瀬の成長が、読者へのメッセージとして届いてくる。自分が理解している範囲なんていかに表面的で、どれだけ支えられて生きているかを日々いかに意識していないことか、と。

小説を手に取ったときは少し軽めの物語かと思ったが、現代が抱えるさまざまな課題を網羅しながら、そして普遍的なメッセージ性のある作品であった。


このnoteでは、読了した書籍について感想を載せていきますので、引き続きご覧いただけると嬉しいです。感想やご意見もお待ちしておりますので、お気軽にコメントしてください。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?