「オジいサン」 京極夏彦著
久しぶりの京極夏彦先生の書籍。京極先生と言えば妖怪モノが有名で、自分自身も京極先生には妖怪小説から入ったわけであるが、これはだいぶ毛色は違う。とはいえ、モノローグ形式で進むこの小説の語り口は京極節そのもの。久しぶりの京極武節に嬉しさを覚えながら読み進める。
モノローグは、タイトルでもある「オジいサン」について思い起こそうとするところから、枕カバーのシミ、加齢臭、さらにテレビの買い替えや昔から付き合いのある田中電機、地デジのこと等々と、とどまることなく延々と続く。
この老人の独り言がいつまで続くのだろう、どういう展開? と半ば不安にもなるほど、淡々とモノローグが続く。そして終盤に、このタイトルの「オジいサン」の言葉、「い」だけが平仮名である「オジいサン」の意味を理解することになる。
高齢化社会そして核家族化により独居における孤独死が社会的にも課題としてニュースでも取り上げられる時代になった。なんだかそんなことを考えさせられる作品である。自分を見てもそう思うが、人間は歳を重ねると頑固になる。自分も更に歳をとるといま以上に頑固になるのだろうな、と想像する。徳一の独り言からは、そのような老人の頑固さが響いている。しかしその独り言は同時に非常に寂しく聞こえる。
どのように歳を重ね、どのように老いていくかは日本で生活し老後を迎えるものの全員の課題だと思う。かといって結婚をしなければならないとか、そう言うことではない。結婚していたとしても死別すればひとりになる。子供がいたとしても概ね別居が当然の現代社会だ。例えばコミュニティの活動に加わったり、ボランティアをしたり、軽作業でも何か仕事を少しでも続けるなど、何らか社会活動に携わっていないと老いは一気に進むと思う。そんなことを考えさせられる作品であった。
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