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何者かでなければならない感


先日、
以前間借りさせていただいていたカフェスペースで出店されていた珈琲屋さんが
なんと家の近くで、しかもInstagramを見たその翌日に出店されるというので、行ってきました。

以前、その方の出店時に珈琲をいただいて美味しくて、
お家でも楽しみたいなあと思っていました。
ちょうど今飲んでいる珈琲が無くなりそうなところだったので、タイミングが合い嬉しかったです。

初めてお伺いするカフェにドキドキ。
けど行ってよかったです。
初対面のときに感じた、とてもサッパリしていて分け隔ての無い印象そのままで。


珈琲をいただいている間も折を見て私にも色々聞いてくれて。

今、またカフェをするためにまずは自分が住んでいる場所の周辺で場所を探していることを伝えた。



すると、
「広島に来て一年足らずで間借りカフェをされて、すごいですね。」
「仕事も見つけて、カフェも始めようとされてすごいですね。」

あんなにお話したのも初めてで緊張していてあやふやだけど、こんな感じのことを言ってくれた。


わからん、
大人の世界のお世辞なのかもしれないけど。

素直に言葉を受け取らせていただくと、

自分では全然そんなこと思ってなかった。
目からうろこ。


まだまだ頑張らなきゃ、私は何もできていない」って、
そんな気持ちの方が大きかった。


あれ? なんで私はずっとそんな気持ちでいるんだろう。


これね、
間借りカフェを終えた直後から、ずっと私の中に漂っていたけど、
なんかヤダから見て見ぬふりをしてきたこの感情。

「何者かでなければならない感」(少々語呂が悪い)

これが、原因のひとつだとおもう。



意味はそのまんま、
自分があたかも何者かになったような気になっていて、
なにか一定の能力や才能、成果がなければ他者に見放されるんじゃないかっていう怖さから、
何かを成し遂げなきゃと追われる感情。


我ながら、
天狗になってるようでかっこ悪いし、
ただただ自己肯定感下げて焦りだけ生まれるとっても無意味な感情だなって思う。ツラい。


だから今まで見て見ぬふりをしてきたわけだけど、
もっというと、
何でこんな感情が生まれちゃったのかも、
なんとなくわかってるのよ。

それは、

もちろん自分ひとりの力じゃないのに、やってみたら間借りカフェができたこと。
それでInstagramのフォロワーさんも増えてまるで誰かに認めて貰ってるような気分になったこと。
間借りカフェが終わると、増えたフォロワーさんもぽつぽつ減っていき、
なんかありのままの自分じゃだめだって言われてるような気分になったこと。

あと、Instagramで
カフェをしたいってことがきっかけで繋がった人や、
はたまたどこの誰かも知らないけれど夢に向かって行動している人達が、
笑顔で自分達のやりたいことでぐんぐん活動を広げたり深めたりしている様子を見て、
すごいなあと思う一方で、
羨ましいとも思ってしまうこと。
私には何もないと、ついつい思ってしまうこと。



完全にSNSで承認欲求を満たしてるよ私。
やだなあ。


お店をするならInstagramも練習しなきゃと思って始めたけど、
元々何か投稿するのはかなりひっさびさで、
依存気味だったんだろうな。



うーん。だいぶ深掘りできてきた。



ただ、一方で、
「何者かでなければならない感」は、
ときに私が一歩ずつ進むためのエネルギーになってくれることもある。


だから今回、これをプラスなものに、
いや、マイナスの要素をなるだけ少なくできるように、考えてみたい。

パート勤めになってから、フルタイムの時と比べるとむすめととて心にゆとりあるひとときを過ごすことができていて。

これだけでもうむすめのお母さんとしては
自分の中ではハナマルなのに。

仕事だって
ひょんなことから去年の10月いっぱいで焼菓子屋さんのアルバイトを辞めなきゃいけなくなって、ドタバタで仕事探して何とか今の職場に就いて、
経験のある福祉の職場とはいえ初めての業務、想定外の業務量のなかでも
先輩方に助けてもらいながら徐々に仕事を任せてもらえるようにもなって。


よく考えたら私、充分頑張ってないか?



なのに私、まだ、やれる、やらなきゃ、やりたい、と思ってる。


なんで?


社会的地位が低いから?
そんなことを満たしたい訳じゃない。

給料が少ないから?
私のやろうとしてることはお金が儲かりそうもない。


週4のパートだから?フルタイムじゃないから?
時間があるから?

空いた時間があるのなら、むすめと一緒に過ごせばいいのに。

もともとそれもあって、子育てのための時間的気持ち的余裕が欲しくて、
パートでお仕事してる。

だけど私は、
15:00ごろ仕事が終わってから、夕方まではむすめに保育園にいてもらって、
もくもくお菓子を焼いたりレシピ本を読んだりしてる。

朝わざわざ早く起きて、朝ごはんがてらスコーンや蒸しパン、パンの試作をしてる。

平日休みの日も、むすめを保育園に預けて
前回は社協へ相談に行ったり、次は地域のカフェの見学へ行こうとしてる。


私、やりたいのだ。
やりたいを、抑えきれないんだ。
できるかどうかわからないけど、とにかくやってみたいのだとおもう。




散々このnoteを活用して、
やりたいことも深掘りしてきた。
(はよ行動してくれ私)



いつかの記事で言ったように、
去年一年で、
自分の好きや得意や興味や信念を仕事にしている人達と、たくさん出会った。

noteも始めて、
自分の夢ややりたいことと向き合い、キャリアを見直したり、ひとつひとつ着実に行動していたり、努力の末実現させていたりする人と繋がっている。


周りはいつもすごくて、
自分には何にもない気がして、
正直、私、流されてるのかもしれない。


けど、このやりたい、結果できなくたっていいから挑戦したいって気持ちは、ほんものだとおもう。



誰かに言われて、何者かにならなきゃいけない訳じゃない。

自分で、何者かになりたいんだ。なってみたいんだ。


なので、
こじつけのようだけど、
私が今まで囚われていた「何者かでなければならない感」は、
今日をもちまして「何者かになりたい感」と命名します!


ますます語呂悪!(笑)


この "何者か" は、誰かの評価を気にするのじゃなくて、自分で決めるもの。
積極的にマルシェに出店するのでもない、定期で間借りカフェを開くのでもない、オシャレなお菓子を作れるようになるのでもない。


私にとっての "何者か" とは、

子どもとの時間を大切にできて、
やっぱり好きな、お年寄りの笑顔や元気につながるそんなお仕事をするために、
自らキャリアをつくれる者。
(ビビリな自分には似合わなくて、切り開けるとは言えなかった)



やりたいことも、その目的だって理由だって、そして挑戦する環境だって
ひとりひとり違うんだから、
誰かと比べたってどうしようもない。


私には守りたい家(賃貸ね!)があって、大切なむすめがいて、
家計のためにやらなきゃいけない仕事もある。

最終的にカフェを開きたい岡山で活動したいけど、
今は旦那さんの転勤で広島にいる。


今すぐ結果、出なくてもいいじゃん。


他者を気にした "なければならない" を捨てて、
自分の "なりたい" だけを、心の中に持っておけばいい。



こんにちは、今日から「何者かになりたい感」。


ああだめだ、何度見ても語呂がわるい(笑)


ふあー、今回は久々、なんだか赤裸々に書きました。
あんまり人に知られたくない、見栄とかプライドとか。
しかも、「何者かになりたい感」ってなに(笑)!
恥ずかしくなって消しちゃうかな…。いやでも残す気がする。

お付き合いいただきありがとうございました。
目を休めてください…😴



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