「花をもらう日」第二章 苔が生えた⑦

 「えーと、実は、もうひとつオーディションがありましてね」
 今度はEテレの経済番組なんですけど、これは週1回で、収録もので、男性と組んでいただく番組なんですが、とKさんはつらつらと言った。北村さん、経済、詳しいですか?
 「……あの、すみません」
  「はい?」
  「この間のオーディションの結果は、まだ分かっていないんでしょうか」
  きょとん、とする程度の間があり、あれえっ、と高い声が聞こえた。あー、連絡、まだ行ってませんでした。そうかそうか、ごめんなさい。
 「うちの事務所からは今回、だめだったんですよ」
   受話器を握った手が一瞬緊張し、すぐゆるんだ。
  
 だめだった。
   だめだったのか。
   あの子たちも、わたしも。
   みんな。
「で、今度のは明後日なんですけど、どうでしょう」
 明後日。明後日はまだコンタクトはつけられない。この眼鏡顔では、どうしたって行けない。
 「すみません、実は」
  事情を説明すると、Kさんの声は明らかにトーンダウンした。じゃあ、いつまでかかるか分からないんですね。うーん、それだとちょっとまずいなあ。テレビだからねえ。
  うん、まずいよね。わたしも心の中で同意した。
  電話を切って、あることを確信した。電話というのは、かかってきたときと同様、切ったときにも何かが分かるものなのかもしれない。
 ────目が治っても、わたしにオーディションの話は、もう来ない。

             * * *

 家からほど近い大学の生協の片隅で、わたしは交通費がかからないこと、毎日来られることをアピールした。本、大好きなので、お役に立てると思います、とも言った。生協内の書店のアルバイトの面接に、わたしは臨んでいた。偶然にもFM××が流れていた。午後2時過ぎ。わたしが一番最初に担当した番組だ。
 「これ、やってました」
 「はい?」
 「FM××ですよね? この番組、わたし2年前までDJやってたんです」
 困ったようにうつむかれてしまった。数日後、今回は申し訳ありませんが、と電話がかかってきた。
 ………とうとう、アルバイトの面接にも落ちるようになったかあ。
 笑いがこみあげてきた。なんで落ちたのかなあ。午前も午後も、いつでもシフト入れますって言ったのに。本が好きだって言ったの、もしかしてまずかったのかな。思い入れがありすぎるかも、って思われてたりして? それとも、アナウンサーなんてチャラチャラした仕事してたヤツなんてすぐに辞めるだろうって思われたのかな。まあ、仕方ないよね。だって、履歴書に書かないわけにはいかないじゃん。
 へらへらと自問自答しながら自虐的な気分になるのは楽しくないこともなかった。その前の週にわたしは、パーティーの司会者の面接にも落ちていた。もう何があってもびっくりしない。失望もしない。そんな気分になっていた。
 目は、それこそ笑ってしまうくらいに治りが遅かった。あまりの遅さに途中で眼科を変えたが、同じことを言われた。このままずっと眼鏡でいてもいいかも、と思うようになっていた。今のわたしには、この、おちゃらけたような顔が相応しいのかもしれない。
 真剣でなくなると、人は身軽になれるらしい。わたしはもりもりとアルバイトに応募していた。翌週は家庭教師センターの事務員のバイトの面接を受けた。家庭教師なんてやったこともないのに、時給千円、週5、1日7時間勤務なら国民健康保険も税金も払えそうだと思ったのだった。面接のあとに、英語と数学のテストもやった。テストなんて久しぶりだな、とかりそめのやる気を出して、シャープペンシルを走らせ消しゴムを使った。
 面接官は、
 「もうアナウンサーの仕事はされないんですか?」
 と揶揄するでなく聞いてきた。わたしは、ええ多分、とにこやかに答え、心の中でこう続けた。あのねえ、やれるならやってるに決まってるでしょう。その質問はね、かつて売れたミュージシャンに、もうヒット曲は出さないんですか? って聞くのと同じなんですよ。
 ………ああそうかごめんなさい。仕事の面接だから聞くんですよね。そりゃそうですよね。わたしはまた自虐的な気分を引っ張り出してきて自分を嗤った。
 この卑屈さはしかし、思いがけず、親と自分だけの世界から自分を解放する奇妙な原動力になってもいた。ぽつぽつとわたしは、友だちに連絡を取るようになっていた。仕事は? と聞かれても、うん、求職中、とすらりと言えた。休職でもあるけどね、と付け加えたりもした。もちろん、そう言える友だちを選んで連絡しているのではあったが、わたしの中に、誰かに自分の状況を聞いてもらいたいという気持ちが生まれつつあることは確かだった。

#ラジオ #FM #アナウンサー #DJ #エッセイ #小説 #本 #独身 #女性の生き方

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?