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詩人の友情

 萩原朔太郎に「本質的な文学者」という短文がある。これは梶井基次郎(1901~1932年)の文学的才能を朔太郎が讃えたものだ。朔太郎は『檸檬』を読んで文学の実在観念を発見したというほどの衝撃を受けた。この文章は基次郎の死後である昭和10年(1935年)頃に書かれ、梶井基次郎の死を改めて惜しみつつ、基次郎が夭折することがなければ、ドストエフスキーのような大作家かポーのような詩人になったに違いないと述べている。そして、この短文の末尾には、梶井基次郎という人付き合いの悪い芸術的天才が、三好達治という親友をもったことは基次郎の生涯の幸福であり、その友情のありかたは涙ぐましいほど純情であったと記される。

 梶井基次郎と三好達治の友情は文学界隈では知られた話である。Wikiを参照すると、二人は東京帝大仏文科時代に知り合い、三好はその後梶井の療養先の伊豆で朔太郎と知り合ったという。
 三好達治の詩集『閒花集』(昭和9年:1934年)は、冒頭の扉に「この小詩集を梶井基次郎君の墓前に捧ぐ」と掲げている。本編の詩にも「『檸檬』の著者」という題名のものがある。山の中の旅籠で、窓の下の鳥籠に窓かけの裾がかかり、障子の前を女が通る情景から、「ああこのやうな日であつた 梶井君 君と田舎で暮したのも」とかつての光景を思い出すさまを詠じている。さらに、後記においても梶井への想いが迸る。三好は、六月三十日に届いたばかりの梶井基次郎全集下巻から、書簡を夜半に拾い読みしていたところ、寝ようと思っては眠れず、起きだして再度繙くことを繰り返し、ようやく床についてからも眠ること能わず、ついに朝を迎えるという自らの姿を描写している。

思出は縷々として限りがない。ああ、疏慵にして才薄き私の如きものが、やうやく今日この處まで、たどたどしき道のりを歩み來つた過去を顧みるにつけても、彼の友誼により、その策勵さくれいに扶けられること甚だ少くなかつたのを忘れ得ない。この感慨は、何かしら私をして、底薄暗い千仞せんじん谿間けいかんをのぞきこむやうな思ひをさせる。またそれらの過去の日は、的皪てきれきとして冰霰ひょうさんのやうに、私の眼前にある。

三好達治『閒花集』(後記)

 詩人としての能力に自信の持てなかった三好は、梶井の励ましによって救われて力を得た日々を思う。すると深く暗い谷底をのぞくような思いが沸き起こり、同時に過去の日々は白く明瞭な表象として、三好の眼前に凍てついた姿をさらしている。

 梶井全集が三好のもとに届けられた翌日、七月一日にこの詩集が編まれて、かつ校了したという。意図したことであろうか、この本の表紙は檸檬色(!)をしている。どこからどう見ても、基次郎への情誼を象徴する一書なのである。実にたぐいまれなる詩人の友情である。



【後記】そうだ、私はもともと素人朗読をやっていたのだった。というのを思い出して冒頭の朔太郎の短文を読んでみたのがこちら。


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